和田毅

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和田 毅
福岡ソフトバンクホークス #21
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 島根県出雲市
愛知県江南市生まれ)
生年月日 (1981-02-21) 1981年2月21日(43歳)
身長
体重
179 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 自由獲得枠
初出場 2003年4月1日
年俸 2億3,000万円(2009年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本
五輪 2004年2008年
WBC 2006年
オリンピック
男子 野球
2004 野球

和田 毅(わだ つよし、1981年2月21日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手投手)。

妻はタレント・女優の仲根かすみ

プレイスタイル ・特筆

左腕が見えない変則的なフォーム[1]から繰り出されるストレートはキレが良く、MAX146km/h程度ながら三振を量産する。(打者の体感速度は150km/h超とのこと。)変化球はスライダーサークルチェンジカーブフォークを投げる。決してコントロールが悪いというわけではないが、逆球が多いのも特徴の一つ。斉藤和巳杉内俊哉新垣渚とともにホークス投手の四本柱と呼ばれ、その中でも和田は5年連続二桁勝利を達成するなど、毎年コンスタントに成績を残している。また、課題とされる被本塁打も年々減少している。

来歴・人物

プロ入りまで

野球を始めたのは、1987年江南市立藤里小学校1年のとき、地元の「江南団地野球」に入ったのがきっかけ。

1991年、父の故郷島根県出雲市へ転居。浜田高校のエースとして、1997年度の全国高等学校野球選手権大会に2年生エースとして出場。初戦でエース・石川雅規を擁する秋田商と対戦。9回同点から満塁策をとるが、続く打者石川も歩かせてしまいサヨナラ押し出しで敗れる。翌1998年度の全国高等学校野球選手権大会ではベスト8に進出。初戦は富樫和大-加藤健のバッテリーを擁する新発田農に勝利。続く3回戦で森本稀哲を擁する東東京代表帝京高校と対戦、森本に本塁打を打たれるが、試合は3-2で勝利。次の準々決勝では古木克明を擁する豊田大谷高校と対戦、延長10回3-4で敗れた。この前年の秋に上腕三頭筋を断裂していることもあり、この当時は120km/h程度しか出ていなかったが、帝京高校の選手は「150km/hに見えた」と証言している[2]

早稲田大学人間科学部に進学。1年秋、9月12日東京大学戦で東京六大学初登板。同級生のトレーナーと試行錯誤を重ねて、フォームにさらに磨きをかけた。それにより高校時代には130km/hにも満たなかった球速が2か月で140km/hを超えるまでになっている。2年春から先発陣に仲間入りし、群を抜くペースで三振を奪い話題を集めた。また、打撃に優れ、高校時代はクリーンナップを打った。

全日本大学野球選手権大会では決勝で木佐貫洋永川勝浩擁する亜大に敗れ、明治神宮野球大会でも準決勝で東北福祉大に敗れ日本一は果たせなかった。

2002年には江川卓の持っていた東京六大学野球連盟奪三振記録443を更新し、通算476奪三振にまで記録を伸ばしている。早稲田の「ドクターK」と呼ばれ、プロ注目の投手として各球団が争奪戦を展開した。なお、この世代には他大学にも好投手が揃っており、法政大学土居龍太郎慶應義塾大学長田秀一郎・立教大学の多田野数人らとしのぎを削っていた。

4年時はエースとして早大52年ぶりの春秋連覇達成に貢献し、2季連続でベストナインに選出。藤井秀悟から継承した背番号18を早大の左投手のエースナンバーとして定着させた。リーグ通算62試合登板27勝13敗、防御率1.35、476奪三振。27勝は、早大の左投手として最多。己に厳しくひたむきな練習姿勢は下級生の鳥谷敬青木宣親比嘉寿光由田慎太郎らに影響を与え、それが早大野球部史上初の4連覇を達成する元となった。

ドラフトでは自由獲得枠で福岡ダイエーホークスに入団。入団の理由に、秋山幸二の引退試合での、福岡のファンの温かさへの感動を挙げている。また、実際に福岡ドームに試合を観戦しに行き、その熱い声援が早慶戦に似ていたことも挙げている。

プロ入り後

2003年、新人離れした投球術で1年目から先発ローテーションの一角を担い、優勝に貢献。14勝(5敗)を挙げ、新人王を満票で獲得。阪神タイガースとの日本シリーズでは3勝3敗で迎えた第7戦に先発し、史上初めて新人で完投し、日本一の胴上げ投手となった。

2003年末のアジア大会のみならず、2004年アテネオリンピックでも先発で活躍し、銅メダルに貢献。シーズンでは「2年目のジンクス」がないと言われていたが、相次ぐケガに悩まされ10勝6敗、防御率4.35と不本意な成績となった。それでも、被打率はリーグ最低の.228だった。

2005年、トレーナーと正式に専属契約を結び、ソフトバンクホークスの開幕投手として勝利。その後12勝(8敗)をあげ、ホークスでは1960年杉浦忠以来となる新人から3年連続の2桁勝利を達成する。同年12月20日には、入団4年目の選手の年俸としては松坂大輔西武)の1億4000万円を抜いて史上最高額となる、1億4500万円(推定)で契約更改した。

12月10日球団よりタレント・女優の仲根かすみと入籍したことを発表、同年12月14日には出雲大社で挙式・出雲市内の某所で披露宴を行った。翌2006年9月13日には仲根が長女を出産した。

2006年2007年も連続して二桁勝利を挙げ、石川雅規ヤクルト)に並び現役選手では2人目となる入団から5年連続の二桁勝利を達成した。ホークスとしては杉浦忠以来45年ぶりの記録となった。

2007年シーズン終了後、米ロサンゼルス市内の病院で内視鏡による左ひじ遊離軟骨の除去手術を受けた。

2008年はオールスター前までに8勝を挙げ、北京オリンピック代表に選出された。6年連続2桁勝利も期待され、チーム復帰後は優勝した埼玉西武相手に2試合を9回無失点に抑え、10回を2失点以内に抑えた試合は3つを数えるなど、復帰後の防御率は2.88と安定した投球を続けた。しかし味方の援護に恵まれず、初めて二桁勝利に届かなかった。後輩の面倒見がよく和田との自主トレを志願した藤岡好明岩崎翔、他チームだが大嶺祐太と一緒に合同自主トレを行った。

2009年4月3日のオリックスとの開幕戦で2度目の開幕投手を務め、見事完封勝利を挙げる。

社会福祉活動

2005年シーズンオフから投球数×10本(勝利投手の場合、1球で20本)のワクチンをNPO法人(特定非営利活動法人)『世界の子どもにワクチンを日本委員会(JCV)』を通じて寄付しており、2006年の7月から公共広告機構のワクチン支援キャンペーンに選ばれCMも放送されている。また、2005年、2006年の2年間で10万本以上のワクチンを寄付している。この活動を評価され、第8回(2006年)ゴールデンスピリット賞を受賞している。JCV代表の細川佳代子は和田の活動に対して「寄付の革命を起こした」と高く評価している。

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2003 ダイエー
ソフトバンク
26 26 8 2 0 14 5 0 -- .737 781 189.0 165 26 61 1 1 195 1 0 77 71 3.38 1.20
2004 19 18 7 0 0 10 6 0 -- .625 534 128.1 110 23 38 0 3 115 2 0 67 62 4.35 1.15
2005 25 25 4 0 1 12 8 0 0 .600 741 181.2 154 17 57 8 2 167 4 0 69 66 3.27 1.16
2006 24 24 6 3 3 14 6 0 0 .700 657 163.1 137 18 42 1 1 136 2 0 57 54 2.98 1.10
2007 26 26 2 0 0 12 10 0 0 .545 757 182.0 168 15 42 3 5 169 6 1 65 57 2.82 1.15
2008 23 23 3 0 2 8 8 0 0 .500 671 162.0 167 12 36 1 3 123 3 0 65 65 3.61 1.25
通算:6年 143 142 30 5 6 70 43 0 0 .619 4141 1006.1 901 111 276 14 15 905 18 1 400 375 3.35 1.17
  • 2008年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

記録

タイトル・表彰

背番号

  • 21(2003年 - )

その他

CM

※同局の七隈線開通の際にはイメージキャラクターとして起用されたが、当時チームのオーナー企業がダイエーからソフトバンクへの移行時期で新しいユニフォームが間に合わず、スーツ姿でポスターに登場したというエピソードが残っている。また同線では彼のヘッドマークをつけた車両が走ることもある。

選手登場曲

川嶋あい「サウスポー」

参考文献

  1. ^ http://www.yomiuri.co.jp/athe2004/special/zukai/2004072501.htm
  2. ^ 参考文献:佐野真著・和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか 講談社。ISBN 978-4061497962

関連項目

先代
正田樹
パ・リーグ新人王
2003
次代
三瀬幸司
先代
斉藤和巳
杉内俊哉
福岡ソフトバンクホークス開幕投手
2005年
2009年
次代
斉藤和巳
-
先代
河原純一
日本シリーズ胴上げ投手
2003年
次代
豊田清
先代
ボビー・バレンタイン
ゴールデンスピリット賞
2006年
次代
三浦大輔