硫黄島からの手紙
硫黄島からの手紙 | |
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Letters from Iwo Jima | |
監督 | クリント・イーストウッド |
脚本 | アイリス・ヤマシタ |
原案 |
アイリス・ヤマシタ ポール・ハギス |
原作 |
栗林忠道 吉田津由子(編) 『「玉砕総指揮官」の絵手紙』 |
製作 |
クリント・イーストウッド スティーヴン・スピルバーグ ロバート・ロレンツ |
製作総指揮 | ポール・ハギス |
出演者 |
渡辺謙 二宮和也 伊原剛志 加瀬亮 中村獅童 |
音楽 |
カイル・イーストウッド マイケル・スティーヴンス |
撮影 | トム・スターン |
編集 | ジョエル・コックス |
配給 |
ワーナー・ブラザーズ パラマウント映画 |
公開 |
2006年12月9日 2006年12月20日 (限定公開) |
上映時間 | 141分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 日本語 |
製作費 | $19,000,000[1] |
興行収入 |
$68,673,228[1] $13,756,082[1] 51.0億円[2] |
『硫黄島からの手紙』(いおうじまからのてがみ[3]、Letters from Iwo Jima)は、2006年のアメリカ合衆国の戦争映画である。『父親たちの星条旗』(Flags of Our Fathers)に続く、第二次世界大戦における硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた「硫黄島プロジェクト」の日本側視点の作品である。劇中の栗林忠道陸軍大将の手紙は、彼の手紙を後にまとめた『「玉砕総指揮官」の絵手紙』(栗林忠道・著 吉田津由子・編)[4]に基づいている。監督やスタッフは『父親たちの星条旗』と同じくクリント・イーストウッドらがそのまま手掛けた。当初のタイトルは『Red Sun, Black Sand』。ワールドプレミアは2006年11月15日に日本武道館で行われた。また、日本国内でテレビスポットにHDが採用された最初の作品である。
概要
硫黄島で圧倒的な兵力のアメリカ軍と死闘を繰り広げた栗林忠道陸軍大将指揮による日本軍将兵と、祖国に残された家族らの想いが描かれる。ストーリーはタイトルである栗林や西郷が家族へと向けた手紙を基に展開される。
監督は当初、日本人を起用する方向だったが、前作『父親たちの星条旗』を撮影中にイーストウッド本人が自らでメガホンを取る意思を固めたという。資料を集める際に日本軍兵士もアメリカ軍兵士と変わらない事がわかったというのがその理由である。
『父親たちの星条旗』クランクアップまもなくから撮影が進められ、撮影の大部分は、カリフォルニア州バーストゥ近郊の噴石丘と溶岩層で出来た地帯であるピスガ・クレーター周辺で行われた。戦闘シーンやCGの一部は『父親たちの星条旗』からの流用である。また、硫黄島での映画ロケが、1日だけ東京都から許可された。このとき撮影された映像は、栗林が防衛計画を立てるために海岸の調査を行うシーンや、オープニングで摺鉢山頂上に建立されている硫黄島の日本軍側慰霊碑から、島全体を見下ろしていくシーンなどに使用された。
全世界における配給はワーナー・ブラザーズ。日本では、2006年10月28日に公開された『父親たちの星条旗』に続き、同年12月9日より劇場公開がスタートした。アメリカ国内での公開は賞レース等の兼ね合いもあり紆余曲折したが、2006年内に公開される事が決定、12月20日よりニューヨークやロサンゼルスで限定公開され、翌2007年1月からアメリカ全土に拡大公開された。公開時期の変更は、関係者や批評家・記者向けの試写の評判が良かったためだとされる[5]。また、この措置により『父親たちの星条旗』と共に第79回アカデミー賞の対象作となり、作品賞・監督賞・脚本賞・音響編集賞にノミネートされ、音響編集賞を受賞した。
2007年4月20日には、DVDが発売・レンタル開始。8月10日に、HD DVD / Blu-ray Discが発売。
ストーリー
2006年、東京都小笠原諸島硫黄島。地中から発見された数百通もの手紙。それは、61年前、この島で戦った男たちが、家族に宛てて書き残したものだった。届くことのなかった手紙に、彼らは何を託したのか。
太平洋戦争の戦況が悪化の一途をたどる1944年6月、小笠原方面最高指揮官・栗林忠道陸軍中将(渡辺謙)が硫黄島に降り立った。本土防衛の最後の砦とも言うべき硫黄島の命運が栗林率いる帝国陸軍小笠原兵団に託された。着任早々、従来一般的であった水際防衛作戦を一蹴し、内地持久戦による徹底抗戦に変更、また部下に対する理不尽な体罰を戒めた栗林に兵士たちは驚きの目を向ける。今までのどの指揮官とも違う男との出会いは、硫黄島での日々に絶望を感じていた応召兵・西郷陸軍一等兵(二宮和也)に、新たな希望の光を抱かせる。
栗林は水際防衛や飛行場確保に固執する海軍軍人らの反対や突き上げを抑えながらも、硫黄の臭気が立ち込める灼熱の島、食料も水も満足にない過酷な状況で、掘り進められる地下陣地。張り巡らせたこのトンネルこそ、アメリカ軍を迎え撃つ秘策だったのだ。
1945年2月19日、ついにアメリカ軍が上陸を開始する。その圧倒的な兵力を前に5日で終わるだろうと言われた硫黄島の戦いは、36日間にも及ぶ歴史的な激戦となった。まだ見ぬわが子を胸に抱くため、どんなことをしても生きて帰ると誓った西郷、そして彼らを率いた栗林もまた、軍人である前に夫であり父であった。
61年ぶりに届く彼らからの手紙。そのひとりひとりの素顔から、硫黄島の心が明かされていく。
評価
- 日本国内
- テレビ・新聞・雑誌をはじめとして本作に関する反響は大きく、公開後最初の国内映画興行成績でトップを飾った。公開直前から栗林忠道の人となりや硫黄島の戦いを紹介したドキュメンタリーや関連ドラマがテレビ各局で放送され、関連本も数多く出版されるなど「硫黄島ブーム」と云うべき現象が起こった。
- それまでのアメリカ映画では、日本を描いた作品や日本人の設定でありながらも、肝心の俳優には中国系や東南アジア系、日系アメリカ人等が起用されたり、日本語に妙な訛りや文法の間違いが目立ち、逆に英語を流暢に話すといった不自然さが目立つことが多かったが、本作品ではステレオタイプな日本の描写(日本の文化や宗教観等)や違和感のあるシーンが少なく、「昭和史」で知られる半藤一利も、「細部に間違いはあるが、日本についてよく調べている」(朝日新聞2006年12月13日)と高く評価しており、日本に対して多大なる敬意を払って本作を作り上げたことがうかがえる。
- 本映画公開によって、硫黄島の戦いが日本国内で広く認識されるようになり、世代によっては本作品公開で初めてこの戦いのことを知ったという人もいる。映画公開後から、小笠原村役場に「硫黄島に観光に行きたい」という要望が多数寄せられており、村役場の担当者を困惑させている。硫黄島には現在自衛隊(海上自衛隊・航空自衛隊)の硫黄島航空基地があり、島全体が自衛隊基地であるため、東京都と自衛隊の許可がないと上陸することはできない。民間人の上陸許可は、基地の保全改築に伴う建設関係者、火山活動・気象観測のための学術調査員、旧島民や遺族・硫黄島協会などによる慰霊や戦史研究者、「硫黄島の戦い」の戦没者の遺骨収集・本土帰還事業の関係者に限られている(事故や遭難による緊急避難の上陸は除く)。ただ、上陸は出来ないが年に1回、硫黄島を含む火山諸島のネイチャーウォッチングのクルージングがある[6]。
- アメリカ合衆国
- アメリカでの評判も極めて高く、全米映画ランキング(週末、日別、週別興行収入ランキング)では一度もトップ10入りはしていないものの、前述の通り第79回アカデミー賞の作品賞・監督賞・脚本賞・音響編集賞にノミネートされた。全編日本語の映画が外国語映画賞ではなく作品賞にノミネートされるのは初めてのことで、外国語映画としては7本目である。他にもナショナル・ボード・オブ・レビュー賞最優秀作品賞など多くの賞を受賞(#賞歴参照)。その他CNN.comで「今年のアメリカ映画で唯一『名作』と呼ぶことをためらわない映画」と評価され[7]、ニューヨークタイムズではA.O.スコットが「殆んど完璧」と述べる[8]など、話題作となっている。
逸話
イーストウッドは、当初は日本側から描くこの映画は日本人監督に依頼するつもりであった。彼と長年共に仕事をしているチーフカメラマンによれば、彼は、今作品の構想を練る際に「黒澤なら完璧なのに」ともらしたという。その後、上述したとおり、彼自身がメガホンを取った。
撮影に先立ち来日したイーストウッド監督が、硫黄島の所在する自治体東京都知事石原慎太郎を訪問、挨拶と映画の主旨についての説明をおこない、二人の和やかな歓談もみられた。
日本での上映において、タイトルは日本語で表記されているが、エンド・クレジットは全て英語である。
キャストは、イーストウッドが以前会った事があって出演を直訴した渡辺を除き、全員がオーディションで選定された。二宮和也 、加瀬亮 、伊原剛志 、中村獅童 、山口貴史 、尾崎英二郎 が日本本土から起用され、その他台詞のある出演者はすべてアメリカ国内で選抜された日本人俳優である(裕木奈江 も現在アメリカ在住)。西郷役は二宮に感銘した監督が新たにつくった役であり、このため当初の映画のストーリーを変更している。
この作品以前にも、『ラストサムライ』等のように日本人が日本語で演技をするアメリカ映画は存在するが、日本人が主人公で、なおかつ全編日本語(アメリカ人との会話時を除く)のアメリカ映画は、この作品が初めてである。本作では、アメリカ人は栗林大将の回想シーンとその他大勢の敵兵と捕虜1人の脇役しか登場せず、NHKハイビジョンで放送された特番「クリント・イーストウッド 名匠の実像」[9]のインタビューにおいても、イーストウッド自身本作を「日本映画」と呼んだほどである。また、シネマ通信では、最初のお披露目であるワールドプレミア試写会が日本で行われることについてどう思うかという質問に対し、「ふさわしいと思うよ。日本人監督である僕が撮った日本映画だからね」と冗談めかして答えた。
キャスト
- ※は実名で登場する、実在した人物(階級は当時のもの)
- 栗林忠道陸軍中将 ※:渡辺謙
- 西郷昇陸軍一等兵:二宮和也
- 西竹一陸軍中佐 ※:伊原剛志
- 清水洋一陸軍上等兵:加瀬亮
- 伊藤海軍大尉[10]:中村獅童
- 藤田正喜陸軍中尉 ※:渡辺広 - (栗林の副官)
- 谷田陸軍大尉:坂東工 - (西郷ら所属の機関銃中隊長)
- 野崎陸軍一等兵:松崎悠希
- 樫原陸軍一等兵:山口貴史
- 大久保陸軍中尉:尾崎英二郎
- 花子:裕木奈江 - (西郷の妻)
- 大杉海軍少将:阪上伸正
- 小澤陸軍一等兵:安東生馬
- 遠藤陸軍衛生伍長:サニー斉藤
- 大磯陸軍中佐:安部義広
- 岩崎陸軍憲兵大尉:県敏哉 - (清水の憲兵時代の回想に出てくる上官)
- 足立陸軍大佐:戸田年治 - (摺鉢山地区指揮官)
- 林陸軍少将:ケン・ケンセイ
- 市丸利之助海軍少将 ※:長土居政史
- 愛国婦人会の女性:志摩明子
- 海軍兵:諸澤和之
- 日本兵:アキラ・カネダ
- 犬の飼い主の女性:ブラック縁
- サム:ルーカス・エリオット - (捕虜となる海兵隊員)
- アメリカ陸軍将校:マーク・モーゼス - (栗林の回想シーンで登場)
- 上記の将校の妻:ロクサーヌ・ハート
- 火炎放射で焼かれる日本兵:サイモン・リー - (声はミチ・ヤマト)
賞歴
- ナショナル・ボード・オブ・レビュー (NBR)…最優秀作品賞
- 第32回ロサンゼルス映画批評家協会賞…最優秀作品賞
- アメリカ映画協会賞…作品賞トップ10
- サウスイースタン映画批評家協会賞…作品賞第2位
- ダラスフォートワース映画批評家協会賞…最優秀外国語映画賞 、作品賞第6位
- サンディエゴ映画批評家協会賞…最優秀作品賞 、最優秀監督賞
- ラスベガス映画批評家協会賞…作品賞トップ10
- フェニックス映画批評家協会賞…最優秀外国語映画賞 、作品賞トップ10
- シカゴ映画批評家協会賞…最優秀外国語映画賞
- AFI(アメリカン・フィルム・インスティチュート)…特別賞
- ユタ映画批評家協会賞…最優秀外国語映画賞
- カンザスシティ映画批評家協会賞…最優秀外国語映画賞
- 全米映画批評家協会賞…作品賞第3位
- 第12回放送映画批評家協会賞…最優秀外国語映画賞
- ノーステキサス映画批評家協会賞…最優秀外国語映画賞
- キネマ旬報ベスト・テン…外国映画第2位
- 第64回ゴールデングローブ賞…最優秀外国語映画賞
- 第79回アカデミー賞…音響編集賞
- 2006年日本インターネット映画大賞…外国映画作品賞、監督賞
- 第31回日本アカデミー賞…最優秀外国映画賞
注記・参考資料
- ^ a b c “Letters from Iwo Jima (2006)” (英語). Box Office Mojo. Amazon.com. 2010年4月11日閲覧。
- ^ “日本映画産業統計 過去興行収入上位作品 (興収10億円以上番組) 2007年(1月~12月)”. 社団法人日本映画製作者連盟. 2010年4月11日閲覧。
- ^ 本作が製作された2006年当時の「硫黄島」の正式な呼称は「いおうじま」であったが、2007年に「いおうとう」に変更されている。詳細は硫黄島参照。
- ^ 栗林忠道 (2002-03-06). 吉田津由子. ed (日本語). 「玉砕総指揮官」の絵手紙 (文庫 ed.). 東京都: 小学館. pp. 256ページ. ISBN 4-09-402676-2
- ^ “「硫黄島からの手紙」US公開12/20繰り上がり公開のお知らせ”. CINEMA TOPICS ONLINE (2006年11月17日). 2007年2月1日閲覧。
- ^ 映画「硫黄島2部作」で…硫黄島ブーム 小笠原新聞社 2006年12月19日
- ^ Charity, Tom (2006年12月22日). “Review: 'Letters From Iwo Jima' a masterpiece” (英語). CNN.com. 2007年2月1日閲覧。
- ^ Scott, Anthony O. (2006年12月20日). “Blurring the Line in the Bleak Sands of Iwo Jima” (英語). New York Times. 2007年2月1日閲覧。
- ^ 2006年9月1日放送
- ^ 日本公開時に中尉とされていたのはLieutenant(陸軍では中尉、海軍では大尉の意)の誤訳である。