柳田國男

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柳田 國男
(やなぎた くにお)
昭和初期
誕生 (1875-07-31) 1875年7月31日
日本の旗 日本兵庫県神崎郡福崎町
死没 (1962-08-08) 1962年8月8日(87歳没)
日本の旗 日本東京都
職業 民俗学者 作家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
教育 法学士
最終学歴 東京帝国大学法科大学政治科
ジャンル 民俗学
主題 民俗学日本思想歴史口承文学
代表作 『遠野物語』(1910年)
『蝸牛考』
『桃太郎の誕生』
『海上の道』
主な受賞歴 文化勲章受勲(1951年)
正三位勲一等旭日大綬章受勲
親族 本項の「家族・親族」及び「系譜」の節を参照
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柳田 國男(やなぎた くにお、1875年明治8年)7月31日 - 1962年昭和37年)8月8日)は、日本民俗学者官僚。現在の兵庫県神崎郡福崎町生まれで、最晩年に名誉町民第1号となった。没後に正三位勲一等。当時の池田首相が「民間人とはいえ、これだけの人物に瑞宝章では軽い」と発言し旭日大綬章が供えられた。元官僚貴族院書記官長、終戦後から廃官に至るまで最後の枢密顧問官をつとめる[1]

「日本人とは何か」その答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行し、初期は山の生活に着目し、『遠野物語』で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と述べた。日本民俗学の開拓者で、多数の著作は今日まで重版され続けている。

生涯

柳田國男の生家(兵庫県福崎町)
布川での居宅(茨城県利根町)
柳田國男(1951年)

生い立ち

1875年(明治8年)7月31日、飾磨県兵庫県神東郡田原村辻川(現:兵庫県神崎郡福崎町辻川)に儒者で医者の松岡操、たけの六男(男ばかりの八人兄弟)として出生。辻川は兵庫県のほぼ中央をからへ流れる市川が山間部から播州平野へ抜けて間もなく因幡街道と交わるあたりに位置し古くから農村として開けていた。の辻川はから鳥取に至る街道姫路から北上し生野へ至る街道とが十字形に交差している地点にあたるためといわれ、そこに生家があった。生家は街道に面し、さまざまな花を植えており、白桃、八重桜などが植えられ道行く人々の口上に上るほど美しかった。生家は狭く國男は「私の家は日本一小さい家」だったといっている。家が小さかったことに起因する悲劇が幼き日の國男に強い影響を与え、将来的にも大きな影響を与えた[1]

父操は旧幕時代、姫路藩儒者角田心蔵の娘婿田島家の弟として一時籍に入り“田島賢次”という名で仁寿山黌(じんじゅさんこう)や、好古堂という学校で修学し、医者となり、姫路の熊川舎(ゆうせんしゃ)という町学校の舎主として1863年(文久3年)に赴任した。明治初年まで相応な暮らしをしたが、維新の大変革の時には、じつに予期せざる家の変動でもあり、父操の悩みも激しかったらしく、一時はひどい神経衰弱に陥ったという。[2]

幼少期より非凡な記憶力を持ち、11歳のときに地元辻川の旧家三木家に預けられ、その膨大な蔵書を読破し、12歳時に医者を開業していた長男の鼎に引き取られ茨城県千葉県の境である下総利根川べりの布川(現・利根町)に在住。生地とは異なった利根川の風物や貧困にあえぐ人たちに強い印象を受ける[3]。また徳満寺という寺で、間引き絵馬(母親が、生んだばかりの我が子の命を奪っている姿を描いている。)を見て、終生忘れることの出来ない衝撃を受ける。また、隣家の小川家の蔵書を乱読した。16歳のときに東京に住んでいた三兄井上通泰(帝国大学医科大学に在学中)と同居、図書館に通い読書を続ける。三兄の紹介で森鴎外の門をたたく。17歳の時尋常中学共立学校(のちの開成高等学校)に編入学する。この年、田山花袋を知る。翌年、郁文館中学校に転校し進級する。[4]。 19歳にして第一高等中学校に進学、青年期を迎える。東京帝国大学法科大学政治科(現・東京大学法学部政治学科)卒業後、明治33年(1900年)農商務省に入り主に東北地方の農村の実態を調査・研究するようになる。

詩人 松岡國男

井上通泰の紹介により森鴎外と親交を持ち、『しがらみ草紙』に作品を投稿、また通泰の世話で桂園派の歌人・松浦辰男に入門。第一高等中学校在学中には『文学界』『国民之友』『帝国文学』などに投稿。1897年(明治30年)には田山花袋国木田独歩らと『抒情詩』を出版。ロマン的で純情な作風であった。しかしこの当時、悲恋に悩んでおり花袋にだけこれを打ち明け、花袋はそれを小説にしていた[5]飯田藩出身の柳田家に養子に入り、恋と文学を諦め、官界に進んだ後も、田山花袋・国木田独歩・島崎藤村蒲原有明など文学者との交流は続いたが、大正時代に入った辺りから当時の文学(特に自然主義私小説)の有り様を、次第に嫌悪するようになっていった。

民俗学の夜明け

東京帝国大学では農政学を学び、農商務省の高等官僚となった後、講演旅行などで東北を中心に地方の実情に触れるうちに次第に民俗的なものへの関心を深めてゆく。また、当時欧米で流行していたスピリチュアリズムの影響を受け、日本でも起っていた「怪談ブーム」のさなか[6]で当時新進作家だった佐々木喜善と知り合い、岩手県遠野の佐々木を訪問して『遠野物語』を執筆[7]。他に宮崎県椎葉などへの旅の後、郷土会をはじめ、雑誌「郷土研究」を創刊。民俗学が独自の領域と主張を持つための下準備を着々と進めていった。

日本民俗学の確立

蝸牛考』での「方言周圏論」、『郷土生活研究法』における「重出立証法」などで日本民俗学の理論や方法論が提示されるなど、昭和初期は日本民俗学の確立の時代であった。一方で山村調査、海村調査をはじめとする全国各地の調査が進み民俗採集の重要性と方法が示された。以降、日本人は何であるかを見極め将来へ伝えるという大きな問題意識を根底に「内省の学」として位置づけられてきた。

略年譜

栄典

記念館

柳田國男・松岡家顕彰会記念館(兵庫県福崎町)
柳田國男館(長野県飯田市)

柳田民俗学の特徴

現地調査主義

『郷土生活の研究法』(1935年)において「在来の史学の方針に則り、今ある文書の限りによって郷土の過去を知ろうとすれば、最も平和幸福の保持のために努力した町村のみは無歴史となり、我邦の農民史は一揆と災害との連鎖であった如き、印象を与へずんば止まぬこととなるであろう」と述べている。

ここでは、文献史学においては典拠とする史料そのものに偏りが生まれるのは避けられないとしており、それゆえ公文書などに示された一揆災害とかかわる民衆の姿をそこで確認できたとしても、その生活文化総体は決して見えてこないという認識が示されている。「常民」の生活文化史の解明を目的とする民俗学にとっては文献資料にのみ依拠することには限界と危険が伴うのであり、それゆえフィールドワークによる民俗資料の収集が重要だと論じている。

また、柳田は『日本民俗学』(1942年)において「民俗学は微細な事実の考証から出発する」とし、随筆や紀行文等との差異からも確なる学的立脚を求め、計画調査を重要視した。

柳田國男と歴史学

和歌森太郎『柳田国男と歴史学』(NHKブックス)によれば、國男の問題意識と関心は、常に歴史学歴史教育にあったことが記され、國男が長野県東筑摩郡教育会で「青年と学問」と題して講演した際に、「自分たちの一団が今熱中している学問は、目的においては、多くの歴史家と同じ。ただ方法だけが少し新しいのである」と述べたことが紹介されている。そして「日本はこういうフォークロアに相当する新しい方法としての歴史研究をなすには、たいへんに恵まれたところである」としている。

たとえば、ヨーロッパでは1000年以上のキリスト教文明民族大移動、そしてまた近代以降の産業革命の進展のためフォークロア(民間伝承、民俗資料)の多くが消滅ないし散逸してしまっているのに対し、日本ではそのようなことがなく現実のいたるところに往古の痕跡が残っているというのである。

言い換えれば日本にはフォークロアを歴史資料として豊かに活用できる土壌があるということであり、柳田民俗学とはこのような民間伝承の歴史研究上の有効性を所与の条件として構築されたものということができるのである。また東北地方や沖縄を様々な観点から詳細に調査したことから、東北と沖縄こそが柳田民俗学の出発点であり、古き日本の神話や伝説が今も生きてそこに存在する、そういう地域共同体として発見した。

柳田批判

柳田の日本民俗学の祖としての功績は非常に高く評価できる。しかし、その反面、自身の性格と手法によって切り捨てられた民俗・風習があることも指摘されている。たとえば、柳田は、漂泊民、非稲作民、被差別民同性愛を含む性愛、超国家的民俗などに言及することを意図的に避けている。そして、それらの解明は、柳田と同時期の歴史学者である宮本常一によって、多くの先駆的研究がなされた。さらに、宮本の研究は、網野善彦によって、歴史学の分野でも注目を集めた。

一方、柳田を学者としてとらえるならば、その学説は適宜取捨選択されるべきものである。しかし、「民俗学」ではなく「柳田学」「折口学」「南方学」のような「学者学」に陥り、個人崇拝となる傾向が顕著である。したがって、あたかも民俗学者を文学者のごとくに捉える現在の学界のあり方も批判されている。[要出典]

代表作(一部)

  • 遠野物語
    東北地方の伝承を記録した、柳田民俗学の出発点。新版が角川ソフィア文庫・岩波文庫で刊行。(話者:佐々木喜善、『聴耳草紙』、新版ちくま学芸文庫)、なお「佐々木喜善全集 (全4巻)」は遠野市立博物館で編・刊行。
  • 蝸牛考
    各地のカタツムリの呼び名の方言分布を比較検討することにより、言葉が近畿から地方へ伝播していったことを明らかにしたもの。この中で提唱された理論が方言周圏論である。言葉は文化的中心地を中心として、まるで何重もの円を描くように周辺へと伝播し、中心地から遠く離れた地方ほど古い言葉が残っていることを示したものである。柳田自身は晩年になって、「あれはどうも成り立つかどうかわかりません」と発言し、方言周圏論に懐疑的になっていたといわれる。しかし、彼の死後6年経って刊行されはじめた国立国語研究所の『日本言語地図』では「牝馬」「もみがら」など、調査した言葉のおよそ27%に周圏分布が見られ、方言周圏論が有効な理論であることが確認された。
  • 桃太郎の誕生』
    昔話の解析を通して、日本社会の断面図を描こうとしたものだが、この手法は民俗・民族学、文化人類学に応用され、多くの後継者を生み出した。(例:中野美代子『孫悟空の誕生』 岩波現代文庫

全集・文庫

  • 筑摩書房版「全集」の刊行一覧
    • 『定本 柳田國男集 (全31巻別巻5)』は、没する寸前に刊行開始され短期間で完結(※別巻1・2巻は「朝日新聞論説集」、3巻は「故郷七十年[17]、同増補」、4巻は「炭焼日記・書簡」、5巻は「総索引、書誌、年譜」)、1970年代前半から半ばには新装版(函を軽くした)が刊行。
    • 1978-81年に、資料編全5巻(内容は基本文献の項目を参照)を加えた愛蔵版(装丁は新装版と同一)が刊行。1978-79年に、代表作を現行仮名遣いで読み易くした『新編 柳田国男集 (全12巻)』も刊行した。
    • 1989-91年に、ちくま文庫版『柳田国男全集 (全32巻、新字+現行仮名遣い)』が刊行、大いに反響を呼んだ。
    • 1997年秋より、新たな『柳田國男全集』を刊行開始(新字+歴史的仮名遣い、全36巻+別巻2予定)。著作編は十数年を経てほぼ完結(2006年6月以降未刊だったが、2010年9月に第22巻、2014年3月に第34巻、2015年6月に第35巻が刊行)。第36巻(書簡集)、別巻(資料補遺・年譜・書誌+総索引)が編集中。
  • 文庫判は、現行は岩波文庫(一部改版)、ちくま文庫講談社学術文庫[18]に多数あり重版されている。2013年より角川ソフィア文庫で改訂版が多数刊行された(没後半世紀を経て著作権が消滅したため、かつては角川文庫[19]で約20冊が刊行)。

書誌

著作の書誌解説。

  • 後藤総一郎編 『柳田国男をよむ 日本人のこころを知る』 アテネ書房、1995年 - 入門書
  • 田中正明編・解説 『柳田國男書目書影集覧』 岩田書院、1994年
    • 田中正明 『柳田國男の書物 書誌的事項を中心として』 岩田書院 2003年 - 各大著

家族・親族

松岡家兄弟ら(前列右より、松岡鼎、松岡冬樹〔鼎の長男〕、鈴木博、後列右より、柳田國男、松岡輝夫〔映丘〕)
弟・松岡静雄

系譜

  • 松岡家
松岡左仲━━小鶴         ┏松岡鼎
       ┃  (操と改名) ┃
       ┣━━━松岡賢次  ┣松岡俊次
       ┃     ┃   ┃
      中川至    ┣━━━╋松岡泰蔵(井上通泰)
             ┃   ┃
            たけ   ┣松岡芳江
           (尾芝)  ┃
                 ┣松岡友治
                 ┃
                 ┣松岡國男(柳田國男)
                 ┃
                 ┣松岡静雄
                 ┃
                 ┗松岡輝夫(松岡映丘)

参考文献

※あくまでごく一部で品切・絶版を多く含む。評伝研究は数百冊を数える。

基本文献

  • 『定本 柳田國男集 資料集 4 年中行事図説』、『5 柳田國男写真集』筑摩書房。同時期に別版が岩崎美術社で刊
 前者は柳田國男監修、民俗学研究所編(1980-81年)、なお『資料集 1』は初版の月報合本。
  • 『柳田國男対談集』 宮田登編・解説、ちくま学芸文庫、1992年、復刊2010年
    • 初刊は 『柳田国男対談集』、『民俗学について』 筑摩叢書(1965-66年、復刊1985年)。別版に『資料集 2・3 柳田國男対談集』
  • 柳田為正 『父柳田國男を想う』 筑摩書房、1996年
  • 堀三千 『父との散歩 - 娘の眼に映じた柳田国男』 人文書院、1980年。著者の夫は堀一郎
  • 谷川健一編 『父を語る 柳田国男と南方熊楠』 冨山房インターナショナル、2010年
  • 臼井吉見編 『柳田国男回想』 筑摩書房、1972年
  • 神島二郎編 『柳田国男研究』 筑摩書房、1973年
  • 後藤総一郎編 『人と思想 柳田国男』 三一書房、1972年
  • 大藤時彦 『柳田国男入門』 筑摩書房、1973年
  • 牧田茂編 『評伝柳田国男』 日本書籍、1979年 - 大藤・牧田は直弟子
  • 川田稔 『柳田国男 - その生涯と思想』 〈歴史文化ライブラリー19〉吉川弘文館、1997年
  • 赤坂憲雄 『柳田国男の読み方 - もうひとつの民俗学は可能か』 ちくま新書、1994年/増補版 ちくま学芸文庫、2013年
  • 牧田茂 『柳田国男』 中公新書、1972年 - ※以下は入門書
  • 宮田登編・評伝 『新潮日本文学アルバム5 柳田国男』 新潮社、1984年
  • 谷川健一 『柳田国男の民俗学』 岩波新書、 2001年
  • 鶴見太郎 『柳田国男入門』 角川学芸出版〈角川選書〉、2008年
  • 鶴見太郎 『民俗学の熱き日々 - 柳田国男とその後継者たち』 中公新書、2004年
  • 石井正己 『いま、柳田国男を読む』 河出書房新社〈河出ブックス〉、2012年
  • 河出書房新社編 『文芸読本 柳田国男』 同 1975年、新装版1984年 - 代表作の抜粋を収む
  • 河出書房新社編 『新文芸読本 柳田國男』 同 1992年 - それぞれ異なる論考を収む
  • 河出書房新社編 『柳田国男 民俗学の創始者』 同〈文芸の本棚〉、2014年[20]

研究文献

  • 『葬送習俗事典 葬儀の民俗学手帳』(新版) 河出書房新社、2014年  ISBN 978-4-309-24665-9
    • 初刊「葬送習俗語彙」 民間伝承の会編(柳田が代表)、岩波書店、1937年。多数の類書を刊行
  • 『柳田國男 私の歩んできた道』 田中正明編、岩田書院、2000年
    • 『柳田國男の絵葉書 家族にあてた二七〇通』 同編・解説、晶文社、2005年
  • 『柳田国男談話稿』 柳田為正、千葉徳爾ほか編・解説、法政大学出版局、1987年
  • 高藤武馬 『ことばの聖 柳田国男先生のこと』 筑摩書房、1983年 - 全集(初刊)の編集担当者
  • 大藤時彦 『日本民俗学史話』 三一書房、1990年 - 遺著
  • 『谷川健一全集 18 柳田国男』 冨山房インターナショナル、2008年
  • 『現代思想 総特集柳田國男-『遠野物語』以前/以後』 青土社、2012年
  • 赤坂憲雄 『山の精神史 - 柳田国男の発生』、『漂泊の精神史』、『海の精神史』 小学館、1991-2000年
  • 大室幹雄 『ふくろうと蝸牛 柳田国男の響きあう風景』 筑摩書房、2004年
  • 船木裕 『柳田国男外伝 白足袋の思想』 日本エディタースクール出版部、1991年
  • 井口時男 『柳田国男と近代文学』 講談社、1996年
  • 岡谷公二 『柳田國男の恋』 平凡社、2012年
    • 旧版 『殺された詩人 柳田国男の恋と学問』 新潮社、1996年
    • 岡谷公二 『柳田国男の青春』 筑摩書房、1977年/筑摩叢書、1991年
    • 岡谷公二 『貴族院書記官長 柳田国男』 筑摩書房、1985年
  • 鶴見和子 『漂泊と定住と 柳田国男の社会変動論』 筑摩書房 1977年
    • 増補改訂版 『鶴見和子曼荼羅コレクション4 土の巻 柳田国男論』 藤原書店、1998年
  • 橋川文三 『柳田国男論集成』 作品社、2002年。講談社学術文庫で旧刊
  • 吉本隆明 『柳田国男論・丸山真男論』 ちくま学芸文庫、2001年
    • 吉本隆明 『柳田国男論集成』 JICC出版局 、1990年/増補版『定本柳田国男論』 洋泉社 、1995年。文庫判は第一部を収録
  • 山折哲雄 『これを語りて日本人を戦慄せしめよ 柳田国男が言いたかったこと』 新潮選書、2014年
  • 佐谷眞木人 『民俗学・台湾・国際連盟 柳田國男と新渡戸稲造』 講談社選書メチエ、2015年
  • 和歌森太郎 『柳田国男と歴史学』 日本放送出版協会NHKブックス〉、1975年
  • 中村哲 『柳田国男の思想』 法政大学出版局、新版 1985年・2010年/講談社学術文庫(上下) 1977年
  • 桜井徳太郎 『私説柳田國男』 吉川弘文館、2003年 - 晩年の弟子の一人
  • 伊藤幹治 『日本人の人類学的自画像 柳田国男と日本文化論再考』 筑摩書房、2006年
    • 伊藤幹治 『柳田国男と文化ナショナリズム』 岩波書店、2002年 - 晩年の弟子の一人
  • 福田アジオ 『柳田国男の民俗学』 吉川弘文館〈歴史文化セレクション〉、2007年。初刊は1992年
  • 石井正己 『柳田国男を語る』 岩田書院、2012年‐他数冊が刊
  • 川田稔 『柳田国男のえがいた日本 民俗学と社会構想』 未來社、1998年 - 柳田論は同社で他3冊刊。
  • 松本三喜夫 『柳田国男と民俗の旅』 吉川弘文館、1992年 - 他数冊が刊
  • 庄司和晃著作集2 柳田国男と科学教育』明治図書、1988年‐他数冊が刊
  • 千葉徳爾 『柳田国男を読む』 東京堂出版、1991年
  • 佐伯有清 『柳田国男と古代史』 吉川弘文館、1988年
  • 『柳田国男 日本文学研究資料叢書』 同刊行会編、有精堂出版、1976年
  • 『柳田国男事典』 野村純一三浦佑之ほか編 勉誠出版 1998年
  • 柳田国男研究会編 『柳田国男伝三一書房 1988年 - 柳田研究の大著
    • 『柳田国男 ジュネーヴ以後』 三一書房 1996年 - 他に「柳田国男研究」で、別の版元(岩田書院・梟社)で刊(2014年に7冊目)。
  • 後藤総一郎 『柳田国男論』 恒文社 1987年 - 著者は柳田国男研究会代表を務めた。

映像資料

  • 後藤総一郎監修 『ビデオ・学問と情熱.9 柳田國男』 紀伊國屋書店、1998年
    DVD版は『学問と情熱 柳田國男 - 民俗の心を探る旅』で、2008年8月に再版。
  • 「柳田国男・詩人の魂」 語り手・吉増剛造NHK教育テレビ、2006年3月
    知るを楽しむ私のこだわり人物伝』テキスト、他にも評伝番組はいくつかある。
  • NHK特集、遠野物語をゆく 柳田國男の風景 第1・2部』、1977年10月放映
  • 『ここに鐘は鳴る』 今和次郎らと対面、1962年3月22日放映で、没する数ヶ月前の映像である。
    昭和32年(1957年)3月に放送文化賞を受賞したさいのテレビインタビューも現存している。

柳田國男が登場する作品

小説
漫画

脚注

注釈

  1. ^ 養父・柳田直平が永井岩之丞平岡夏子の父親)と同僚だったことや、国男が夏子の夫・平岡定太郎と同じ兵庫県出身という縁で、三島由紀夫の祖母・夏子の家庭と早くから交流があったという[8]

出典

  1. ^ a b c 牧田茂著『柳田國男』(中公新書
  2. ^ 「故郷七十年」より、『柳田國男 ちくま日本文学全集』 431-432頁、新版 ちくま文庫(抄版)
  3. ^ 後年に、赤松宗旦利根川図志』(岩波文庫、初版1938年、復刊1994年ほか)を校訂解説した。本書は安政5年(1858年)に書かれた博物地誌
  4. ^ 岡田俊裕『日本地理学人物事典 (近代編Ⅰ)』原書房 2011年、p261
  5. ^ 岡谷公二 『殺された詩人 柳田国男の恋と学問』(新潮社、1996年)に詳しい。
  6. ^ 岩波文庫旧版で、根岸鎮衛耳嚢(耳袋)』全1巻を校訂している。解題新版は『柳田国男集 幽冥談』(東雅夫編、ちくま文庫)に収録。
  7. ^ 水野葉舟 『遠野物語の周辺』(国書刊行会、2001年)の解題、横山茂雄 「怪談への位相」より。
  8. ^ 柳田国男『故郷七十年』(のじぎく文庫(神戸新聞総合出版センター)、1959年11月。1989年4月)。橋川文三三島由紀夫論集成』(深夜叢書社、1998年12月)pp.37-38
  9. ^ 佐谷眞木人『民俗学・台湾・国際連盟』P.66
  10. ^ 『柳田国男・南方熊楠往復書簡集』(平凡社「南方熊楠選集 別巻」、のち平凡社ライブラリー 上下)参照。
  11. ^ 上司の議長徳川家達(徳川宗家)との不和衝突が原因で、官界を辞め立身出世から外れ、以後学者として高名を挙げていった。辞任の経緯は、岡谷公二『貴族院書記官長 柳田国男』(筑摩書房、1985年)と、山本一生『恋と伯爵と大正デモクラシー 有馬頼寧日記 1919』(日本経済新聞出版社、2007年)に詳しい。
  12. ^ 佐谷眞木人『民俗学・台湾・国際連盟』P.66
  13. ^ 佐谷眞木人『民俗学・台湾・国際連盟』P.116
  14. ^ 宮本常一『民俗学への道』(著作集1.未來社、1968年)
  15. ^ 國學院大學教授 新谷尚紀・メッセージ
  16. ^ 『官報』第1038号、「叙任及辞令」1916年01月20日。
  17. ^ 『故郷七十年』は、晩年の口述回想で嘉治隆一(朝日新聞記者)と宮崎修二朗(神戸新聞記者)が筆記しまとめた。『故郷七十年』は、(朝日選書、オンデマンド版2002年)と(のじぎく文庫・神戸新聞総合出版センター、新装版2010年)がある。なお宮崎も、著書に『柳田国男 その原郷』(朝日選書、1978年)がある。他に石井正己が再編した『柳田国男の故郷七十年』(PHP、2014年)がある。
  18. ^ 他に、新学社『近代浪漫派文庫16 柳田國男』(歴史的仮名遣い)と、講談社文芸文庫『柳田國男文芸論集』(巻末に書誌・年譜)がある。
  19. ^ 創元社(創元選書・創元文庫ほか)での出版を引き継ぐ形で、角川文庫で多数出版。
  20. ^ 河出では2014年から、著作の改訂新版を相次いで刊行している

関連項目

外部リンク