日本エスペラント学会
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| 日本エスペラント学会 | |
|---|---|
| 創立者 | 小坂狷二 |
| 団体種類 | 特例財団法人 |
| 設立 | 1926年 |
| 所在地 | 東京 |
| 主要人物 | 柴山純一(理事長) |
| 活動地域 | 日本全国 |
| 活動内容 | エスペラントの研究、大会の主催、エスペラント書籍の出版・販売など |
| 収入 | 5480万円(2007年度)[1] |
| 基本財産 | 1億6743万円(2007年度末)[2] |
| 会員数 | 1323人(2007年12月末)[3] |
| ウェブサイト | jei.or.jp |
財団法人日本エスペラント学会(にほんエスペラントがっかい、エスペラント名称:Japana Esperanto-Instituto)は、国際語エスペラントに関する公益法人である。
目次 |
[編集] 概要
東京都新宿区に事務所、図書館をおき、山梨県北杜市に八ヶ岳エスペラント館という研修施設・図書館分館を持つ。
[編集] 沿革
- 1919年 任意団体として発足。この当時の中心者は 小坂狷二(おさか・けんじ)である。
- 1920年 月刊の機関誌La Revuo Orientaを創刊。2004年6月には1000号記念号を出した。
- 1926年 文部省(現:文部科学省)に認可され、財団法人になる。その寄附行為の対象を会の事業として次の4点を掲げている。
- 国際語エスペラントに関する各種の研究調査及其の発表
- 講演会及講習会の開催及其の後援
- 雑誌及図書等の刊行
- 其の他本会の目的を達成する為必要と認むる事業。
- 1956年 世界エスペラント協会(UEA)へ加盟し、UEAにおいて日本を代表する国別団体(Landa Asocio)の役割を果たす。
- 1965年 世界エスペラント協会が主催する第50回世界エスペラント大会を東京に招致し(これはアジア初の大会となった)、46ヶ国から1710名の参加を得た(但し、海外からの参加者は大半がヨーロッパとアメリカ大陸からで、アジア圏からの参加者は結果的に、{日本人を除けば}韓国人二名、それぞれ中国(大陸{共産}中国の方、当時日本とは国交無し)とインド在住のフランス人女性が一人ずつ参加したのみに留まった{中国人は、12人が申し込み、10人が入国を許可されたにも拘らず、全員が参加を撤回した})。
- 2007年 同第92回世界エスペラント大会を日本(横浜)に招致し、一応の成功をおさめた(東京大会の参加者を上回る1901名の参加者があったという意味で。また、42年前の東京大会に比べ、アジア圏からの参加者も比較にならない程増加させる事に成功した)。
[編集] 所在地
[編集] 発行
- 「La Revuo Orienta/エスペラント」(ISSN0035-4406)
[編集] 日本エスペラント協会
過去に2期、この名前の全国的なエスペラント団体が存在した。[4]
- (第1期)日本エスペラント協会(Japana Esperantista Asocio) - 1906年6月12日に黒板勝美らにより発足。1919年の日本エスペラント学会発足により実質的な活動を終えるが、1926年の日本エスペラント学会の法人化までは形式的に存続。
- (第2期)日本エスペラント協会(Japana Esperantista Asocio) - 1946年6月23日に小松文夫を委員長として発足。日本エスペラント学会を学習・研究の機関とし、自らをエスペラント普及運動の機関と位置づけた。その後、分業体制が機能せず、1950年12月4日に解散。
[編集] 脚注
- ^ 2007年度収支計算書、2009年1月31日閲覧。
- ^ 貸借対照表(2008年3月31日現在)、2009年1月31日閲覧。
- ^ 事業報告書、2009年1月31日閲覧。
- ^ 初柴武美『日本エスペラント運動史』、1988(ISBN-4-88887-012-8)