パオロ・バリッラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Sasa21 (会話 | 投稿記録) による 2022年11月13日 (日) 18:10個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎レース戦績: jspc)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

パオロ・バリッラ
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
出身地 同・ミラノ
生年月日 (1961-04-20) 1961年4月20日(63歳)
F1での経歴
活動時期 1989 - 1990
所属チーム ミナルディ
出走回数 15 (9スタート)
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1989年日本GP
初勝利
最終勝利
最終戦 1990年スペインGP
テンプレートを表示

パオロ・バリッラPaolo Barilla1961年4月20日 - )は、イタリア生まれの元レーシングドライバー実業家。2008年現在、バリッラ・ホールディングの副社長を始め、イタリアの食品会社バリッラグループ各社の役員を務める[1]

プロフィール

F1以前

1975年にレーシングカートでレースデビューし、1976年にはイタリアの100ccカートチャンピオンになる。1980年に入門フォーミュラのフォーミュラ・フィアット・アバルトにステップアップ。1981年にはイタリアフォーミュラ3選手権にステップアップし年間3位となる。

1982年、後にF1でも所属するミナルディからフォーミュラ2にステップアップし、1983年から1988年までは世界耐久選手権(WEC)にも参戦した。1985年のル・マン24時間レースではヨースト・レーシングポルシェ・956で優勝を果たす。グループCカーでは1987年から1989年にtaka-Qトヨタのドライバーとして全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)に小河等ステファン・ヨハンソンと組んで参戦した。

1989年には中嶋企画と契約し、全日本F3000選手権にフル参戦。西日本サーキットで2位を記録しランキング11位となった。このほかツーリングカーの国際規格レース「富士インターTEC」など日本のレースへの参戦歴が多くある[2]。同年は無限からの依頼でブリヂストンタイヤと無限のF1用エンジンのテストドライバーも担当した[3]

F1

1989年第15戦日本GPにて、ミナルディのピエルルイジ・マルティニ肋骨を傷めて欠場することになり、その代役として全日本F3000に参戦していたバリッラに声がかかりF1へのデビューが決まった。同年この1戦のみの参戦だったが、ルイス・ペレス=サラの後任として翌1990年のレギュラードライバー契約をミナルディと結ぶことになった。

1990年開幕戦アメリカGPでは体調不良を理由にリタイヤを喫する。結局第14戦までエントリーしたが予選通過が8戦のみと予選落ちが多く、1年前にデビューした地である鈴鹿でのグランプリ直前にチームはバリッラを降ろし、フェラーリとテストドライバー契約中の有望株ジャンニ・モルビデリと交代させることを決定。以後バリッラがF1に乗る機会は無かった。

バリッラ社の御曹司でありながら直接的な支援を受けず、スポンサーはあくまでも自前で用意していた[4]。そのため、黒ベースに短い赤ラインが入ったデザインの愛用ヘルメットにはあまり大きなスポンサーステッカーが無く、地味さに拍車がかかっていた。

F1後

現在はバリッラの副社長業の傍らレース活動も散発的に継続し、2004年パリ・ダカールラリーメルセデスのトラックを駆って出場している。

レース戦績

F1

チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC ポイント
1989年 ミナルディ M189 BRA SMR MON MEX USA CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR ESP JPN
Ret
AUS NC 0
1990年 M189B USA
Ret
BRA
Ret
NC 0
M190 SMR
11
MON
Ret
CAN
DNQ
MEX
14
FRA
DNQ
GBR
12
GER
DNQ
HUN
15
BEL
Ret
ITA
DNQ
POR
DNQ
ESP
DNQ
JPN AUS

全日本F3000選手権

チーム 使用車両 エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
1989年 PIAA NAKAJIMA PLANNING ローラ・T89/50 無限・MF308 SUZ
8
FSW
Ret
NIS
2
SUZ
Ret
SUG
Ret
FSW
Ret
SUZ
10
SUZ
Ret
11位 6

全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権

所属チーム コ.ドライバー 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 順位 ポイント
1987年 ワコールトヨタ童夢 日本の旗 舘善泰 トヨタ童夢・87C C1 SUZ FSW FSW SUZ FSW SEN FSW
DNS
NC 0
1988年 Taka-Qトヨタ・トムス イギリスの旗 ティフ・ニーデル(Rd.1,3-5)
スウェーデンの旗 ステファン・ヨハンソン(Rd.2,6)
日本の旗 小河等 (Rd.3-6)
トヨタ・87C改 / 88C-V C1 FSW
7
SUZ
5
FSW
10
FSW
Ret
SUZ
5
FSW
14
18位 20
1989年 DENSO トヨタ・トムス 日本の旗 小河等 (Rd.3,5)
イタリアの旗 ジョニー・ダンフリーズ (Rd.4)
トヨタ・89C-V C1 FSW FSW FSW
3
SUZ
Ret
FSW
1

全日本ツーリングカー選手権

チーム コ.ドライバー 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 順位 ポイント
1990年 Napolex Racing TEAM スウェーデンの旗 ステファン・ヨハンソン
イギリスの旗 ロブ・グラヴェット
フォード・シエラ RS500 JTC-1 NIS SUG SUZ TSU SEN FSW
Ret
NC 0
1991年 スウェーデンの旗 ステファン・ヨハンソン 日産・スカイラインGT-R JTC-1 SUG SUZ TSU SEN AUT FSW
6
11位 12

ル・マン24時間レース

チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1983年 イタリアの旗 マルティニ レーシング イタリアの旗 アレッサンドロ・ナニーニ
フランスの旗 ジャン・クロード・アンドリュー
ランチア・LC2-フェラーリ C 135 DNF DNF
1984年 イタリアの旗 マウロ・バルディ
ドイツの旗 ハンス・ヘイヤー
C1 275 DNF DNF
1985年 西ドイツの旗 ニューマン・ヨースト・レーシング 西ドイツの旗 クラウス・ルートヴィッヒ
西ドイツの旗 ルイス・クラージェス
ポルシェ・956B C1 374 1位 1位
1986年 西ドイツの旗 ヨースト・レーシング 西ドイツの旗 クラウス・ルートヴィッヒ
西ドイツの旗 ルイス・クラージェス
C1 196 DNF DNF
1988年 日本の旗 トヨタ・チーム・トムス イギリスの旗 ティフ・ニーデル
日本の旗 小河等
トヨタ・88C C1 283 24位 15位
1989年 日本の旗 小河等
アメリカ合衆国の旗 ロス・チーバー
トヨタ・89C-V C1 45 DNF DNF

セブリング12時間レース

チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1986年 アメリカ合衆国の旗 ベイサイド・ディスポシャル・レーシング アメリカ合衆国の旗 ブルース・レヴェン
フランスの旗 ボブ・ウォレク
ポルシェ・962 GTP 36 DNF DNF
1988年 ドイツの旗 ヨースト・レーシング ドイツの旗 フランク・イェリンスキー
ドイツの旗 ルイス・クラージェス
GTP 309 2位 2位

脚注

  1. ^ Annual report 2008” (PDF). Barilla Holding S.p.A. (2009年4月10日). 2009年9月11日閲覧。
  2. ^ Sports Graphic Numberの特集記事“F1日本GPプレビュー”のインタビューでは、「鈴鹿にあるホテルのレストランで網焼ステーキを食べるのが楽しみ。すごく美味しいんだから」と語っている。
  3. ^ http://ms.bridgestone.co.jp/history/html_file/history-034.htm
  4. ^ ネームバリュー含め、間接的にあった可能性はある

関連項目

タイトル
先代
アンリ・ペスカロロ
クラウス・ルートヴィッヒ
ル・マン24時間優勝者
1985 with:
クラウス・ルートヴィッヒ
ジョン・ウィンター
次代
デレック・ベル
ハンス=ヨアヒム・スタック
アル・ホルバート