ジョルジョ・キエッリーニ
| ||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||||||||||||||||
愛称 | キエッロ | |||||||||||||||||||
ラテン文字 | Giorgio CHIELLINI | |||||||||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||||||||
国籍 | イタリア | |||||||||||||||||||
生年月日 | 1984年8月14日(39歳) | |||||||||||||||||||
出身地 | トスカーナ州ピサ県ピサ | |||||||||||||||||||
身長 | 187cm | |||||||||||||||||||
体重 | 78kg | |||||||||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||||||||
在籍チーム | ユヴェントスFC | |||||||||||||||||||
ポジション | DF (CB, LSB) | |||||||||||||||||||
背番号 | 3 | |||||||||||||||||||
利き足 | 左足 | |||||||||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||||||||
2000-2005 | リヴォルノ | 55 | (4) | |||||||||||||||||
2004-2005 | → フィオレンティーナ | 37 | (3) | |||||||||||||||||
2005- | ユヴェントス | 259 | (22) | |||||||||||||||||
代表歴2 | ||||||||||||||||||||
2000-2001 | イタリア U-16-15 | 22 | (2) | |||||||||||||||||
2001 | イタリア U-17 | 1 | (0) | |||||||||||||||||
2002 | イタリア U-18 | 6 | (1) | |||||||||||||||||
2001-2003 | イタリア U-19 | 18 | (1) | |||||||||||||||||
2003-2007 | イタリア U-21 | 26 | (6) | |||||||||||||||||
2004- | イタリア | 71 | (6) | |||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||
1. 国内リーグ戦に限る。2014年5月31日現在。 2. 2014年10月10日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジョルジョ・キエッリーニ(Giorgio Chiellini, 1984年8月14日 - )は、イタリア・ピサ出身の同国代表、セリエA・ユヴェントスFC所属のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。
来歴
クラブ
12歳の時に、地元のクラブチームのASリヴォルノ・カルチョの下部組織に入団すると、サイドバックとしてめきめき頭角を現す。チームのセリエA昇格に貢献した後、ユヴェントスFCに引き抜かれる。しかし、ファビオ・カペッロ監督の判断により、ACFフィオレンティーナへレンタル移籍。左サイドバックのレギュラーとして起用され、37試合に出場する。
2005-2006シーズンからユヴェントスに復帰し、当初はジャンルカ・ザンブロッタの控えと目されていたが、シーズン開幕直後に右サイドバックのレギュラーだったジョナサン・ゼビナが首脳陣と問題を起こしたため、ザンブロッタが右サイドに回る形で、キエッリーニが左サイドのレギュラーに定着する。ザンブロッタがFCバルセロナに移籍した2006-2007シーズンには本来の左サイドバックだけでなく、怪我人が多発したセンターバックのポジションでも起用され、及第点のプレーを見せる。2007-2008シーズン開幕前には新しく指揮官に就任したクラウディオ・ラニエリ監督との不仲が噂され、夏の移籍市場で放出されるとの憶測が飛び交ったが結局残留。このシーズンにセンターバックとしての能力が開花し、以降ポジションを不動のものとしている。
代表
2004年11月17日にメッシーナで行われたフィンランド戦で代表デビュー。2007年11月21日のEURO2008予選・フェロー諸島戦で代表初ゴールを記録。
EURO2008初戦のオランダ戦で0-3の惨敗したのを受けて、第2戦のルーマニア戦以降センターバックとして先発フル出場、3試合を1失点に抑え、負傷したファビオ・カンナヴァーロ(ちなみに皮肉にもカンナヴァーロは大会前の練習中のキエッリーニとの接触プレーで負傷した)の穴を補う活躍を見せた。特に準々決勝のスペイン戦では、好調だったダビド・ビジャとフェルナンド・トーレスの2トップを完全にシャットアウトし、チームはPK戦の末敗退したものの、彼自身は評価を高めた。
2010 FIFAワールドカップではグループリーグ最終戦のスロバキア戦では自身のマークミスでローベルト・ヴィッテクに2点目を許す失態を犯し、チームもグループリーグ敗退という結果に終わった。
2014 FIFAワールドカップのグループD第三戦イタリア・ウルグアイ戦においてウルグアイのルイス・スアレスから噛みつかれたと審判に訴えたが、審判がスアレスに退場処分を下さなかったことを批判した[1]。 処分決定後、自身の公式サイトで「ピッチ上で起きた事件に関して、満足感や、スアレスに対する復讐心や怒りは全くない。もう終わったことだ」とコメントした。
人物
- 以前は左サイドバックとして将来を嘱望されていたが、2007-2008シーズンにセンターバックにコンバートされ、以降センターバックとして定着している。また、イタリア代表でもこのポジションで起用されている。
- イタリアの名門大学であるトリノ大学を2010年に卒業している[2]。
- ゴールパフォーマンスとして、ゴリラのドラミングの真似を披露することで知られ、自身をイメージしたゴリラのキャラクターが存在する。
- 子供の頃はバスケットボール選手になることが夢だったが、身長が低くて諦めた。憧れのバスケット選手にコービー・ブライアントの名前を挙げている[3]。
所属クラブ
- ASリヴォルノ・カルチョ 2000-2005
- → ACFフィオレンティーナ 2004-2005(loan)
- ユヴェントスFC 2005-
タイトル
クラブ
- セリエ C1 2001-02
- セリエ A 2011-12, 2012-13, 2013-14, 2014-15
- セリエ B 2006-07
- コッパ・イタリア 2014-15
- スーペルコッパ・イタリアーナ 2012, 2013,2015
代表
個人
- UEFA U-21欧州選手権 ドリームチーム UEFA: 1回
- 2007
- オスカル・デル・カルチョ(Oscar del Calcio) : 3回
- UEFAチャンピオンズリーグベストチーム:1回 (2014-15[4])
勲章
- カヴァリエーレ(cavaliere): 27.09.2004
脚注
- ^ ウルグアイ代表のスアレスにかみつき疑惑=FIFAが調査、出場停止も(時事ドットコム)
- ^ [1]
- ^ “憧れはコービー…キエッリーニ「子供の頃はバスケをやりたかった」”. サッカーキング (2014年11月16日). 2015年5月5日閲覧。
- ^ “UEFA Champions League squad of the season”. UEFA.com. Union of European Football Associations (2015年6月9日). 2015年6月9日閲覧。
関連項目
外部リンク
- Giorgio Chiellini - Sito Ufficiale - Introduzione - 公式サイト
- Giorgio Chiellini (@chiellini) - X(旧Twitter)
- Giorgio Chiellini (GiorgioChielliniOfficial) - Facebook
- Giorgio Chiellini - YouTubeチャンネル
- ジョルジョ・キエッリーニ – FIFA主催大会成績