ニコラ・レグロッターリエ
|
||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 愛称 | ドゥーカ(公爵) | |||||
| ラテン文字 | Nicola Legrottaglie | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1976年10月20日(36歳) | |||||
| 出身地 | ジョイア・デル・コッレ | |||||
| 身長 | 185cm | |||||
| 体重 | 82kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | ||||||
| ポジション | DF | |||||
| 背番号 | 6 | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1994-1998 1996-1997 1997-1998 1998-2000 2000.1-2000.6 2000-2001 2001-2003 2003-2011.1 2004-2005 2005-2006 2011.1-2011.6 2011- |
→ → → → → |
0 (0) 31 (3) 26 (0) 23 (0) 4 (1) 32 (1) 43 (6) 109 (6) 9 (0) 28 (0) 1 (0) 31 (5) |
||||
| 代表歴2 | ||||||
| 2002-2010 | 16 (1) | |||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2012年8月11日現在。 2. 2010年9月2日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
||||||
ニコラ・レグロッターリエ(Nicola Legrottaglie, 1976年10月20日 - )は、イタリア・プッリャ州バーリ県ジョイア・デル・コッレ出身のサッカー選手。セリエA・カルチョ・カターニア所属。ポジションはディフェンダー(センターバック)。
略歴 [編集]
2001年から2003年に、デル・ネーリ監督が率いる“ミラクル・キエーヴォ”の一員として活躍。 一時はネスタの次代を担うセンターバックとして注目を浴びた。
2003年 リッピ監督下のユヴェントスに移籍を果たした。 しかし、ここでの戦術に馴染めず調子を落とし、クラブも失点が増したことから批判に晒された。
2004年 続くカペッロ監督の下でも信頼を得ることができず、ボローニャにレンタル移籍となった。しかし9試合出場に留まり、クラブも降格という2重の失望を味わった。
2006年 デシャン監督が就任したユヴェントスに復帰。クラブがカルチョポリの影響でセリエBに降格しカンナヴァーロやテュラムを放出した事による人材難に瀕したことから、再び構想に入る事になった。対戦相手のレベルが下がったという側面もあるが、一応の活躍を見せセリエA復帰に貢献した。
2007年 ラニエリ監督が就任したが残留。アンドラーデやクリシートを獲得し、試合出場機会が減るのではと予想されたが、アンドラーデが怪我で長期離脱し、クリシートも期待外れに終わったため、レギュラーとして定着するきっかけとなった。この頃、レギュラーで試合に出場しプレーに自信を取り戻したため「キエーヴォ時代のパフォーマンスに戻った」と本人もコメントしている[要出典]。事実、一時期ユヴェントス監督就任が噂されたモウリーニョからも「ユーベの中ではレグロッターリエがいいプレーをしている」と真っ先に評価されている[要出典]。
2008年 キエッリーニの負傷やレギュラークラスの不調により、5年ぶりに代表に招集された。2007-08シーズンのユヴェントスは失点が少なくセリエA中2位タイであり、フル稼働したレグロッターリエの功績が認められた形となった。
2009年 FIFAコンフェデレーションズカップ2009のエントリーメンバーに選出された。背番号は6。自身初の国際トーナメント出場となった。しかしイタリア代表は不調であったため、グループステージ敗退となった。一方、ユヴェントスでは監督がフェラーラに交代。カンナヴァーロを再度獲得し、CBとして3番手という立場になってしまった。しかしカンナヴァーロは高齢で他選手よりもターンオーバーが必要であることから、キエッリーニ、カンナヴァーロと上手くポジションを分け合っている。ちなみに、この状況はこの時期のイタリア代表のCB陣と全く同じ構図であった。しかし33歳で迎えた2010年ワールドカップ南アフリカ大会の選手選考では、サルヴァトーレ・ボッケッティとレオナルド・ボヌッチという若手2人に弾き出される形で、23人の登録メンバーからは外れ、初のワールドカップ出場は叶わなかった。
2011年1月31日、出場機会を求めACミランに移籍。しかし、移籍早々に故障してしまい結局1試合の出場に留まった。8月30日にカルチョ・カターニアへ移籍。
エピソード [編集]
- イタリア南部のバーリ県出身だが、子供の頃はミラニスタであったと本人が告白している。
- 憧れの選手は、レアルマドリー時代のレドンドとのこと。昔は守備的MFでの成功を目指していたことが窺える。
- 2006年からプロテスタント系の宗教団体“キリストのアスリート”に入信し、以前よりサッカーに打ち込めるようになったと語っている。
所属クラブ [編集]
バーリ 1994-1998
ACキエーヴォ・ヴェローナ 1998-2000
- →
レッジャーナ 2000.1-2000.6
ACミラン 2011.1-2011.6
カルチョ・カターニア 2011-
|
|
|---|
|
|
|||||||