ロランド・ビアンキ
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| 名前 | ||||
| カタカナ | ロランド・ビアンキ | |||
| ラテン文字 | Rolando BIANCHI | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| 生年月日 | 1983年2月15日(29歳) | |||
| 出身地 | アルバーノ・サンタレッサンドロ | |||
| 身長 | 188cm | |||
| 体重 | 78kg | |||
| 選手情報 | ||||
| 在籍チーム | ||||
| ポジション | FW | |||
| 背番号 | 9 | |||
| 利き足 | 右足 | |||
| 代表歴 | ||||
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ロランド・ビアンキ(Rolando BIANCHI、1983年2月15日 - )は、イタリア・アルバーノ・サンタレッサンドロ出身のセリエB・トリノFC所属のサッカー選手。ポジションはフォワード。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] クラブ
育成の名門アタランタBCにて育ち、2006年のU-21 EUROに出場するなど早くから注目されていたがなかなか結果を残せていなかった。転機は2006-07シーズンのレッジーナにおける活躍である。ワルテル・マッツァーリ監督の指導の下で、ニコラ・アモルーゾと共に2トップを組み得点を量産、カルチョ・スキャンダルへの関与で勝ち点減点のペナルティを受けていたクラブを見事に残留に導く。そのシーズンは、自己最多の18得点をあげた。
2007-08シーズンはスヴェン・ゴラン・エリクソンより直接電話でオファーを受け、イングランドのマンチェスター・シティFCへ移籍するが結果を残せず、2008年1月にイタリアの名門SSラツィオへレンタル移籍。ゴラン・パンデフ、トンマーゾ・ロッキとコンビを組み、降格の危機にあったラツィオを救った。
2008-09シーズンからはトリノFCに加入。再びアモルーゾとのコンビが実現したものの、機能しなかった。後半戦はビアンキが奮闘したものの、クラブは降格となった。
[編集] 代表
代表ではU-17、U-20、U-21と各年代の代表チームに選出され、2006 U-21欧州選手権にも出場した。しかし、フル代表歴は無い。
[編集] 所属クラブ
アタランタBC 2000-2005
レッジーナ 2005-2007
マンチェスター・シティFC 2007-2008
トリノFC 2008-
[編集] 外部リンク
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1 モレッロ | 3 ダンブロジオ | 4 バシャ | 5 ディ・チェーザレ | 6 オグボンナ | 7 アンテヌッチ | 8 パガーノ | 9 ビアンキ | 10 スグリーニャ | 11 イオリ | 16 ザヴァーニョ | 18 キオーザ | 19 ステヴァノヴィッチ | 20 ヴィヴェス | 21 エバグア | 22 グベルティ | 23 スチウ | 25 グリク | 27 デ・フェウディス | 28 パリージ | 33 スラコ | 34 コッポラ | 36 ダルミアン | 50 プラターリ | 77 パスクアート | 89 ゴミス | 90 オドゥアマディ | 92 ヴェルディ 監督: ヴェントゥーラ |
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