カルロス・アウベルト
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名前 | ||||||
本名 |
カルロス・アウベルト・トーレス Carlos Alberto Torres | |||||
ラテン文字 | CARLOS ALBERTO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1944年7月17日(79歳) | |||||
出身地 | リオデジャネイロ州スドナハラ | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (RSB, CB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
代表歴 | ||||||
1964-1977 | ブラジル | 53 | (8) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
カルロス・アウベルト・トーレス(Carlos Alberto Torres, 1944年7月17日 - )は、ブラジル・スドナバラ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。息子のカルロス・アレクシャンドレ・トーレス(Carlos Alexandre Torres)もサッカー選手であり、Jリーグの名古屋グランパスエイトなどで活躍した。
人物
攻撃的サイドバックの創始者とも言える選手で、クラブチーム・代表チームの両方で「王様」ペレのチームメイトとして活躍した。サントス時代には5度のリーグ優勝に貢献。
カラーテレビ放映が開始された1970年のW杯メキシコ大会にはブラジル代表キャプテンとして出場。 特に決勝戦での得点は彼のハイライトとも言うべきもので、完全に相手ディフェンダーの裏を取ってオーバーラップし、そこからダイレクトでファーサイドのゴールを射抜いてみせた。ブラジルに最後のジュール・リメ杯をもたらしたこのスーパーゴールは、ブラジル国民の魂を熱く喚起させる素晴らしいものだった。
現役引退後はフラメンゴや各国代表チームの監督を歴任。2004年、ペレが選ぶ世界の名プレーヤー「FIFA 100」のひとりに選ばれた。
所属クラブ
- 1963-1966 フルミネンセFC
- 1966-1971 サントスFC
- 1971 ボタフォゴFR
- 1971-1974 サントスFC
- 1974-1977 フルミネンセFC
- 1977 CRフラメンゴ
- 1977-1980 ニューヨーク・コスモス
- 1981 カリフォルニア・サーフ
- 1982 ニューヨーク・コスモス
指導歴
- 1983 CRフラメンゴ
- 1984-1985 フルミネンセFC
- 1985 SCコリンチャンス・パウリスタ
- 1987 クルーベ・ナウチコ・カピバリベ
- 1988 SCコリンチャンス・パウリスタ
- 1988 マイアミ・フリーダム
- 1991-1992 CFモンテレイ
- 1992 クラブ・ティフアナ
- 1993 ボタフォゴFR
- 1994 フルミネンセFC
- 1997 ボタフォゴFR
- 1998 アトレチコ・ミネイロ
- 1999 ケレタロFC
- 2000-2001 オマーン代表
- 2001-2002 CRフラメンゴ
- 2002 ボタフォゴFR
- 2004 パイサンドゥSC
- 2004-2005 アゼルバイジャン代表
- 2005 パイサンドゥSC
外部リンク
- カルロス・アウベルト – FIFA主催大会成績
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