なかにし礼

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なかにし礼
出生名 中西 禮三
生誕 (1938-09-02) 1938年9月2日(85歳)
出身地 満洲国の旗 満洲国
学歴 立教大学文学部仏文科
職業 小説家
作詞家
公式サイト なかにし礼公式ホームページ

なかにし 礼(なかにし れい、男性、1938年9月2日 - )は、日本小説家作詞家。本名は中西 禮三(なかにし れいぞう)。

来歴

満州国(現在の中国牡丹江市)に生まれる。元は北海道小樽市に在住していた両親は、渡満して酒造業で成功を収めていた。終戦後、満州からの引き揚げでは家族とともに何度も命の危険に遭遇、この体験は以後の活動に大きな影響を与えた。なかにし8歳の時、小樽に戻るが、兄の事業の失敗などで小学校は東京青森で育ち、中学から東京品川区大井町に落ち着く[1]東京都立九段高等学校卒業後、一浪して1958年に立教大学文学部英文科に入学する。中退と再入学と転科を経て、1965年に立教大学文学部仏文科を卒業する(立教仏文の第1期生)。その後、神奈川県逗子市に在住。実兄は立大から海軍に志願し、特攻隊に配属されたが終戦となった。

大学在学中、1963年に最初の妻と結婚する。当時は生活費と学費の一切を妻の稼ぎに依存し、のちに一女を儲けたが、なかにしは浮気を繰り返し、家には金を一銭も入れず、1968年には離婚に至った[2]

シャンソンの訳詞を手がけていた頃、最初の夫人との新婚旅行中に静岡県下田市のホテルのバーで「太平洋ひとりぼっち」を撮影中の石原裕次郎と偶然出会い知遇を得る。石原に「シャンソンの訳なんてやっていないで、日本語の歌詞を書きなさいよ」と勧められ、約1年後に作詞作曲した作品(後の「涙と雨にぬれて」)を自ら石原プロに持ち込んだ。それから数ヶ月後、石原プロがプロデュースした「涙と雨にぬれて」がヒットする。 1969年には、作品の総売上が1,000万枚を超える。コンサートや舞台演出、映画出演、歌、作曲、翻訳、小説・随筆の執筆や文化放送セイ!ヤング』パーソナリティ、NHKN響アワー』レギュラーなども務める。心臓疾患、離婚、特攻隊の生き残りで戦後、鰊漁に投資した実兄の膨大な借金を肩代わりして返済に苦しむなどの困難を抱えたこともある。1998年に『兄弟』で第119回直木賞候補となり、2000年に『長崎ぶらぶら節』で第122回直木賞を受賞した。NHK連続テレビ小説てるてる家族』の原作となった『てるてる坊主の照子さん』や『赤い月』『さくら伝説』などを執筆する。

2006年2月、なかにしの全音楽作品における自身が保有する全ての権利を株式会社日音に譲渡した。

テレビ朝日系列で放送されているワイドショーワイド!スクランブル』のコメンテーターを務めていたが、2012年3月5日の放送で、食道がんであることを報告。治療のため休業することを明らかにした[3][4]

作品

作詞曲

あ行
か行
さ行
た行
は行
ま行
や・ら・わ行

クラシック音楽

著書

詞集

  • エメラルドの伝説(作品集 新書館、1969年)
  • シャンソン詩集141・さらば銀巴里(さがみや書店、1991年)
  • なかにし礼訳詞によるモーツァルト歌曲集(音楽之友社、1991年)
  • 昭和忘れな歌―自撰詞華集(新潮文庫、2004年)

創作

随筆・その他

  • ズッコケ勝負―終わりなき愛の遍歴(双葉社、1969年)
  • 青春の愛について(新書館、1972年)
  • 遊びをせんとや生まれけむ~なかにし礼の作詩作法(毎日新聞社、1980年)
  • 音楽への恋文(共同通信社、1987年) - 「音楽の話をしよう」(改題、新潮文庫)
  • 翔べ!わが想いよ(東京新聞出版局、1989年、のち文春文庫、新潮文庫) - 自伝
  • 時には映画のように(読売新聞社、1997年) - 「口説く」(改題、河出文庫)、「恋愛100の法則」(改題、新潮文庫)
  • 愛人学(河出書房新社、1997年、のち河出文庫)
  • 天上の音楽・大地の歌(音楽之友社、2001年)
  • 道化師の楽屋(新潮社、2002年、のち新潮文庫)
  • さくら伝説―松坂慶子写真集(フォーブリック、2002年) - 原作・監修
  • 人生の黄金律 自由の章―なかにし礼と華やぐ人々(2003年、清流出版)- 対談集
  • 月夜に飛んで人を斬る(作画:ふくしま政美芳文社、1979年)- 劇画原作
  • 三拍子の魔力(毎日新聞社、2008年)

翻訳

脚注

  1. ^ 『「家」の履歴書』 光進社 2001年、147-151頁
  2. ^ 清水秀子(語)、高山文彦(文)「それからのわたし」飛鳥新社、2004年。
  3. ^ “なかにし礼氏が食道がん告白、治療に専念へ「初期より少し進んだ状態」”. スポニチ Sponichi Annex. (2012年3月5日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/03/05/kiji/K20120305002766030.html 2012年3月5日閲覧。 
  4. ^ “なかにし礼さん 番組で「がん」”. nikkansports.com. (2012年3月6日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20120306-913229.html 2012年3月6日閲覧。 

外部リンク