曹彪
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曹 彪(そう ひょう、195年 - 251年)は、後漢末期から三国時代魏にかけての人物。魏の皇族の一人。字は朱虎。曹操の第七子、生母は孫姫。同母弟に曹子上(臨邑殤公)、曹子勤(剛殤公)がいたが、ともに夭折した。子に曹嘉がいる。
[編集] 経歴
[編集] 生涯
建安21年(216年)、寿春侯に冊封された。異母兄の曹丕が後漢から禅譲を受け魏の皇帝になると汝陽公となり、次いで弋陽王、呉王(222年)、寿春王、白馬王(226年)、楚王(232年)と領地換えされる。232年に法律違反があって領地を削られたが、234年に大赦を得て元の領地を回復し、239年には再び加増された。
文学を愛好したことで知られ、同じく文学を愛好していた異母兄の曹植と親しく、白馬国の任地に赴く際に詩を送られている(白馬王彪に贈る)。白馬王時代に学者賈洪(元白馬国の相)に師事した。
249年、太尉の王凌(王允の甥)は、外甥の令狐愚にそそのかされ、司馬懿の傀儡となった皇帝(曹芳)に代えて曹彪を擁立するクーデターを企てた。曹彪もこの話に乗った。しかし、251年、この計画を察知した司馬懿によってクーデターは失敗し、王凌らは逮捕されて自殺した。曹彪は妻子と共に平民に落とされ、配下の官僚は監国謁者(王の監視人)を含め、事情を知りながら報告しなかったとの理由で全て処刑された。のちに曹彪も自害を命じられて死んだ。人相見として著名であった朱建平は曹彪の相を見て、57歳のときに兵難に遭うことを予言していた。
息子の曹嘉は254年、常山郡真定県の王に封じられ、晋に仕え太守となっている。曹志(曹植の子)や石崇(石苞の子)と親しかったという。
[編集] 白馬王彪に贈る
- 異母兄の曹植が曹彪に贈った詩。
- (序文)
- …黄初四年夏五月、白馬王(曹彪)・任城王(曹彰)
- 余と具(とも)に京師(鄴)に朝し、節気に会す。
- 洛陽に到りて、任城王薨ず。秋七月に至り
- 白馬王と与(とも)に国に還らんとす。後に有司(やくにん)
- 二王の藩に帰るに、道路宜しく宿止を異にすべきことを以てす。
- 意(こころ)は毒(はなはだ)しく之(これ)を恨めり
- 蓋(けだし)大別(永遠の別れ)は数日に在るを以てなり。
- 是を用(もっ)て自ら剖(さ=裂)き、王と辞し
- 憤りて篇(へん)を成せり…
- (詞文)
- 苦心して何かを慮思する
- 天命、信(まこと)に疑う可し
- 虚無、列仙を求む
- 松子(しょうし=仙人)久しく吾を欺きぬ
- 変故(受難)斯須(ししゅ=瞬間)に在り
- 離別すれば永く会う無し
- 手を執るは、将(は)た何れの時ぞ
- 王、其れ玉体を愛せよ
- 具(とも)に黄髪(長寿)の期を享けん
- 涙を収めて長路に即き
- 筆を授(と)りて、此れ従(よ)り辞す

