張紘

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張 紘(ちょう こう、生没年不詳)は、後漢末期に孫策孫権に仕えた政治家。子綱張靖張玄の父、張尚の祖父。

広陵の人。共に智謀に優れていたため、張昭と共に『江東の二張』と称された。茂才に推挙されたが、出仕しなかった。戦乱を避けて、江東に移住した。孫策が独立すべく挙兵したとき、孫策に仕官して、参謀として活躍している。このとき、孫策に「総大将たる者が最前線に立つべきではない」と諌めている。孫策の命で曹操の内情を探るべく使者に立ったとき、曹操に気に入られて侍御史の位を与えられ、そのまま曹操のもとへ留められた。孫策の死後、その隙を突いて曹操が孫権を攻めようとしたとき、曹操に諫言して出陣を止めさせている。直後、曹操のもとから離れて孫権のもとへと戻った。病気を理由に、曹操のもとから離れたと言われている。

張紘は政治面に優れており、帰参した直後、孫権に会稽東部都尉に任命されている。孫権に厚く信頼され、『東部』と尊称で常に呼ばれた。晩年、孫権に呉から帝王の気のある秣陵(のちの建業)へ遷都するよう進言した。そして212年の遷都後、間もなく病死した。享年60。

張紘は政治家として優れていただけでなく、名文家としても優れていたと言われている。