張休

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張 休(ちょう きゅう、204年? - 245年)は、中国三国時代の重臣。叔嗣張昭の末子、張承の末弟。

若い頃から諸葛恪顧譚陳表と共に、呉の孫権皇太子で名君の素質があった孫登宣太子)の側近として仕え、孫登には大いに信頼される。彼は漢書を受講し、そのために孫登に絶賛されて太子府の右弼都尉に昇進した。敬愛した孫登の死後は太子府を去り、揚武将軍に昇進。だが呉の後継者争い(二宮事件)に巻き込まれ、魯王である孫覇一派の讒言を受けた孫権によって交州(現/ヴェトナム)左遷され、さらに止どめを刺すように対立した政敵の中書令孫弘の讒訴によって、死を賜った張休は現地で非業の最期を遂げた。一説では41歳だったという。

[編集] 家系図

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張昭    ●
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