曹幹

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曹 幹(そう かん、216年 - 261年)は、中国三国時代の皇族。字は不明。別名は曹良。父は曹操。母は陳姫。

姓名 曹幹
時代 後漢時代 - 三国時代
生没年 216年建安21年) - 261年景元2年)
字・別号 曹良(別名)
本貫・出身地等 徐州沛国譙県
職官 〔不詳〕 
爵位・号等 高平亭侯〔曹操〕→賴亭侯〔曹操〕

→弘農侯〔曹操〕→燕公〔曹魏
→河間王〔曹魏〕→趙王〔曹魏〕

陣営・所属等 曹操曹丕曹叡

曹芳曹髦曹奐

家族・一族 父:曹操 母:陳姫

異母兄:曹丕 甥:曹叡

初め高平亭侯に封じられたが、国替えが続き、その間に侯から公に爵位が進められた。222年に河間王、232年に趙王に封じられた。234年、曹幹は禁令を犯し賓客と交際した。景初正元景元の各年間に加増が続き、計5千戸を領した。

母は曹操の妾だったが、曹幹が3歳の時、亡くなった。そのため彼は王昭儀の手によって養育された。さらに彼が5歳の時、曹操の病が重くなった。『魏略』によると曹操は涙を流しながら、曹幹の兄の曹丕に「この子は5歳で両親を失おうとしている。よろしく頼む」と言い残した。曹操が死去すると曹丕(文帝)は曹幹を傍に置き、他の弟たちよりも厚遇したという。また曹幹が曹丕の事を父と呼んだため、曹丕は「私はお前の兄だ」と言って不憫に思い涙を流した。因みに曹丕と曹幹の年齢の差は数えで30もあった。

261年、46歳で没した。

小説『三国志演義』には登場しない。