朱桓
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朱 桓(しゅ かん、178年 - 239年)は、中国、後漢末から三国時代にかけての呉の武将。字は休穆。子に朱異がいる。
呉郡呉県の人。山越や魏との戦いで功績を挙げた。
黄武二年(223年)3月、濡須に進攻した曹仁を撃退し、常雕を斬り、王双を捕虜にした(三国志演義ではこの時27歳としているが、生年からそれはありえない。なおこの頃、孫桓が丁度その位の年齢であった)
黄武七年(228年)8月、陸遜・全琮と共に石亭において曹休を破った。
黄龍元年(229年)、前将軍・青州牧に任じられ、仮節を授けられた。
朱桓はプライドが高く、己の過ちを認めようとせず、主君の孫権以外からは命令を受けることを恥としていた。そのため、ある時は自分の上に配属された指揮官(胡綜)を斬り殺そうとし、胡綜を助けた側近を斬り殺し、それを諫めた副官を刺殺した。孫権は朱桓のこれまでの功績と能力を惜しんで、その罪を問わなかった。
239年、62歳で病死した。
朱桓は配下に対しては優しく接し、恩賞が足りないときは自身の財産を分与するなど、部下想いの人物であったという。また、血縁の者達を厚く援助した。朱桓には一万人の私兵がいたが、彼らと彼らの家族の顔と名前を覚えていた。朱桓が死去したとき、配下の兵士の多くが嘆き悲しんだと言われている。
[編集] 朱桓と飛頭蛮
『捜神記』には、朱桓の下女(原文は婢女)は飛頭蛮と言う妖怪で、夜になるとよく飛んだということが書かれている。
それによると、朱桓はその下女を愛嬌が良いので雇い、ある夜に彼女の所へ夜這いに行った。すると、首の無い彼女の胴体が寝ていたではないか。驚いて腰を抜かしそうになった朱桓は、あらぬ疑いがかかるのを恐れてそのままにして自分の寝所に戻った。さて次の日、その下女はたらいに湯を汲んで朱桓の部屋に運んで来た。朱桓はぎょっとしたのだが、あれは夢だったのではと合点して下女はそのままにした。
さてそれから遠くない日、朱桓の屋敷でぼや騒ぎがあった。屋敷中が蜂の巣を突っついたような混乱ぶりのなか、例の下女だけ現れない。老婆が起こしに行こうと行った所、顔を青くして戻ってきた。朱桓が一家を連れて見に来たら、頭の無い胴体の上を、耳を羽にした下女の頭が飛んでいたのである。皆が見守る中、下女の頭はゆっくりと降下して胴体とくっつき、何事も無かったかのように目覚めたのであった。朱桓は家族の者にはこの事を言外させないようにした。一方で家族の者も屋敷に置けない空気を生み出していたので、朱桓は下女に暇を出させた、ということで終わっている。

