曹均

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曹 均(そう きん、? - 219年)は、中国後漢末期の人物。父は曹操。母は周姫。妻は張繡の娘。子は曹抗・曹敏・曹琬。孫は曹諶・曹廉・曹焜・曹賛。叔父は曹彬

生涯[編集]

叔父の薊恭公曹彬の爵位を継ぎ、薊公となった。

建安22年(217年)、樊侯に封じられた。ちなみに同年、子の曹敏も臨晋侯に封じられている。建安24年(219年)に死去。爵位は子の曹抗が継いだ。

黄初2年(221年)、曹均の爵位が公に昇進され、樊安公の諡号が追贈された。

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曹抗
黄初3年(222年)、薊公に封じられた。翌黄初4年(223年)、屯留公に転封となった。景初元年(237年)に死去。諡は定公。その子の曹諶が跡を継いだ。景初・正元景元の各年間に1900戸まで加増された。
曹敏
曹均の異母兄弟である曹矩の跡を継いだ。琅邪王。
曹琬
曹均の異母兄である曹昂の跡を継いだ。豊王。上記の通り曹均の妻の父は張繡であり、張繡が殺した相手に養子を送る行為を、『三国志集解』で盧弼は「顛倒錯乱、匪夷所思」と批難している。