濮陽興

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濮陽 興(ぼくよう こう、? - 272年)は、武将子元濮陽逸の子。

陳留郡の人。孫権に仕え、上虞県の令となる。その後、行政手腕に優れていたことを買われて尚書左曹五官中郎将会稽太守などを歴任した。孫休が即位すると丞相となった。孫休が学問に熱中したため、政治の実権を掌握して、張布とともに思い通りの政治を行ない、多くの人々からの反感を買ったと言われている。264年、孫休が臨終の際に息子に皇位を継がせるように託されたが、まだ孫休の息子は幼少だったために周囲からの反対を受けて実現できず、孫皓が即位することとなったのである。

272年、万彧の讒言を受けて張布とともに広州に流刑とされたが、刑地に赴く途中で処刑されたのであった(演義では、孫皓を諌めたために処刑されている)。

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