劉理
劉 理(りゅう り、? - 244年)は、蜀漢の皇族。字は奉孝。父は劉備。母は不明。劉禅・劉永の異母弟。悼王。
生涯[編集]
劉備の妾の子として生まれ、馬超の娘を娶った。章武元年(221年)、父が皇帝に即位すると、梁王に封じられた。
しかし建興7年(229年)、蜀と呉は、魏の滅亡後を仮定して、天下の分割を決めたが、梁が呉に含まれるため、翌建興8年(230年)には兄の劉禅により安平王に改封された。しかし、病のため延熙7年(244年)4月に死去。悼王と諡され、子の劉胤が継いだ。
劉胤は延熙19年(256年)に若くして死去し、後を子の劉承が継いだ。しかし劉承も翌延熙20年(257年)に急逝した。3代続けての不幸であった。劉禅はこれを悼み、劉胤の弟である武邑侯劉輯に王位を継がせた。咸熙元年(264年)、劉輯は、劉禅、劉永と共に洛陽に強制的に移住させられた。そこで、劉永と同じく奉車都尉に任じられ、郷侯に封じられた。
小説「三国志演義」[編集]
穆皇后の実子という設定になっており、章武3年(223年)に諸葛亮、劉永と共に白帝城で劉備の遺言を聞いた。
その後は登場しない。