張翼
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張 翼(ちょう よく、? - 264年)は、中国の後漢末期から三国時代、蜀(蜀漢)の武将。字は伯恭。
[編集] 来歴
前漢三傑の一人張良の子孫で、高祖父張浩は後漢の司徒を、曽祖父張綱は広陵太守を務めた名門の出身である。張微の父、張存の祖父。
劉備が益州を平定した時、その家臣となり、江陽県長、涪陵県令、梓潼太守、広漢太守、蜀郡太守と地方官を歴任。諸葛亮が北伐を開始すると、これに従って活躍、前軍都督となり、扶風太守を兼務した。諸葛亮の死後、前領軍となり、関内侯に封じられる。238年には尚書、さらに、征西大将軍、都亭侯と昇進を続けた。
後に姜維が北伐を計画すると、これに強く反対したが容れられず、張翼も鎮南大将軍として姜維の北伐に従軍する。259年、左車騎将軍、冀州刺史に昇進。263年、魏が蜀に攻め入ってくると、これに強く抵抗したが、かなわずに降伏する。翌年、姜維と鍾会が鄧艾を罪に落としてクーデターを起こそうとした時、混乱に巻き込まれて殺害された。
[編集] 物語中の張翼
『三国志演義』では劉璋配下の武将として登場し、劉璋に劉備が危険人物であるとして忠告するも聞き入れられなかった。劉備が蜀侵攻を開始すると、卓膺と共に劉璝らが守備する雒城の救援部隊として派遣されるが、張任が捕らえられ卓膺が降伏すると、なおも抵抗しようとする劉璝を殺害し雒城を開城して降伏する。
その後は蜀の武将として南征や北伐に参加し、正史同様の最後を遂げた。

