程普

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程 普(てい ふ、生没年不明)は、中国後漢末期の人物。徳謀幽州北平郡の人である。子は程咨孫堅以来、孫策孫権の孫家三代に仕えたの武将である。小説『三国志演義』では、「鉄脊蛇矛」を愛用武器としていた。

[編集] 経歴

州郡の役人のときから非凡さが際立っていた程普が、孫堅の配下になったのは、黄巾の乱のときであったと考えられている。また、孫堅が董卓討伐のために出陣すると、孫堅とともに反董卓連合軍に加わり、『演義』などでは華雄の副将・胡軫を討ち取るなど奮戦している。

孫堅死後、一時的に袁術の配下になるが、孫策の独立に際し、朱治黄蓋韓当といった孫堅配下の主だった武将とともに、再び孫家に仕えることになった。孫策の江東制覇に従い、劉繇を曲阿から追放する。袁術の死後、旧袁術軍を吸収していた劉勲討伐、および孫堅の敵であった黄祖討伐にも従軍している。

孫策が敵の大軍に囲まれた時、程普ともう一人の騎兵とで敵の包囲網に突撃すると、包囲網に穴が開き、孫策は脱出することが出来た。

200年の孫策の死後、後継者である孫権に従う。程普は、張昭ら文官と団結し、武官として若い当主を支えた。また、孫家に従わない地方の平定に赴くなど、政権の安定に尽力した。

208年赤壁の戦いにおいては、正都督周瑜と並び副都督として、烏林において曹操軍を敗退させた。これにより、裨将軍、江夏太守となる。

周瑜が早世した後、南郡太守となるが、のちに江夏に戻る。盪寇将軍に任じられた後に逝去している。

[編集] 人柄

気前の良い人物で、孫家に最も古くから仕えていた古参の武将でもあったことから、他の武将から程公と呼ばれていた。若くして台頭してきた周瑜とは折り合いが悪かったが、後に彼の能力を認め尊重するようになった。

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