山越

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山越(さんえつ)は、後漢からの時代にかけて史書に登場した中国南東部の少数民族。実際は単独の民族の名ではなく、多数の少数民族を総称して山越と呼んだ。

山越の一部は春秋戦国時代に会稽のあたりに存在した国の末裔。民族を比定するとすれば、漢民族ヤオ族(ヤオぞく、瑶族)・モン族(モンぞく、苗族)などになる。漢民族の山越は山越族と呼ばれ、他の異民族とは区別された。後に漢民族によってインドシナ半島まで逐われた末に同地に建国したのが越南(エツナン)国であり、現在のヴェトナムも漢字表記は「越南」であり、(かなり薄まってはいるが)国民の一部にその血が流れていると言う。

主な人物[編集]

後漢末期[編集]

  • 潘臨(はんりん):山越族の頭目。会稽郡孫権に反乱を起こしていたが、陸遜により討伐され、降服し配下になった。
  • 費桟(ひせん)、尤突(ゆうとつ):いずれも山越族の頭目。216年曹操から共に印綬を与えられ、丹陽郡で孫権に対し反乱を起こした。しかし陸遜・賀斉により討伐され、費桟と尤突は殺害された。

三国時代[編集]

  • 黄乱(こうらん):山越族の頭目。『三国志呉書鍾離牧伝』に記録があり、それによると、242年に、建安郡・陽郡・新都郡の山越族を率いてに反乱を起こす。しかし鍾離牧に討伐され降伏し、配下の兵士は呉の兵役に組み込まれた。

関連項目[編集]