ロバート・E・ハワード

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ロバート・E・ハワード
Robert E Howard suit.jpg
1934年のハワード
誕生 Robert Ervin Howard
1906年1月22日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州の旗 テキサス州 ピースター
死没 1936年6月11日(30歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州の旗 テキサス州 クロスプレインズ
職業 短編作家、詩人、小説家
ジャンル 剣と魔法西部劇ボクシング小説、歴史小説ホラー小説
文学活動 ウィアード・テールズ剣と魔法
代表作 英雄コナン』シリーズ、「ソロモン・ケーン」シリーズ、『龍の刻』、"Worms of the Earth"、"Pigeons from Hell"
サイン Robert Howard signature.svg
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ロバート・アーヴィン・ハワードRobert Ervin Howard1906年1月22日 - 1936年6月11日)は、アメリカパルプ・フィクション作家。「英雄コナン」シリーズで最も良く知られ、「剣と魔法」ジャンルの創始者と見なされている。

概要[編集]

怪奇幻想小説とアクションヒーローものを融合したヒロイック・ファンタジーの生みの親で、「英雄コナン」シリーズが有名である。この「コナン」は大恐慌時代のパルプ・マガジンウィアード・テールズ』誌上で活躍したキャラクターであり、その文化的影響力はターザンドラキュラ伯爵シャーロック・ホームズバットマンジェームス・ボンドと肩を並べるものとされている。このシリーズの作品群は多くの模倣を呼び、ファンタジージャンルに多大な影響を及ぼした。

また、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトとは文通相手であり、『黒い碑』(The Black Stone) などのクトゥルフ神話作品も執筆している。オーガスト・ダーレスクラーク・アシュトン・スミスらとの親交も厚かった。

経歴[編集]

テキサス州出身。彼はその生涯のほとんどをダラス郊外のクロスプレインズと、時にその近郊のブラウンウッドで過ごした。本好きで知的な子供であったが、同時にボクシングのファンでもあったため、10代の後半にボディビルディングを始め、逞しい青年になる。

9歳の時より冒険小説作家となることを夢見たが、23歳までは本当の成功には恵まれなかった。以降30歳で自殺によって死去するまでハワードの作品は様々な雑誌、ジャーナル、新聞に載るようになり、いくつかのジャンルで成功を収めた。コナン作品は1934年に単行本化される寸前まで行ったが、彼の作品は本の形で生前に出版されることはなかった。

1924年、怪奇小説専門のパルプ・マガジンウィアード・テールズ』に "Spear and Fang" が売れ、翌1925年にデビューする。以後400編近い作品を次々に執筆し、さまざまなパルプ・マガジンに発表した。1932年、「英雄コナン」シリーズの第1作「不死鳥の剣」("The Phoenix on the Sword")が『ウィアード・テールズ』誌に掲載される。

その作品内容はヒロイック・ファンタジー、幻想怪奇小説から、冒険小説ハードボイルド、歴史冒険小説、西部劇スラップスティック小説まで、非常な広範囲に及ぶ。これには、当時のパルプ誌が雑誌・ジャンルを問わず経営が不安定で原稿料の支払いも不安定だったため、雑誌・ジャンルを選ばずにどこにでも売り込まねばならなかったという事情があった。とはいえ、11年間の作家生活で年間の収入は50ドルから2,000ドル以上まで上昇。当時のクロスプレインズでは随一の高収入である[1]。1936年の時点では彼の作品のほぼ全ては西部劇ものとなっていた。

ロバート・E・ハワードの作家収入
西暦 年齢 収入 インフレ
補正[2]
備考
1926年 20歳 $50.00 $666
1927年 21歳 $37.50 $509
1928年 22歳 $186.00 $2,555 ソロモン・ケーン」シリーズ第1作
1929年 23歳 $772.50 $10,610 キング・カル」シリーズ・「Steve Costigan」シリーズ第1作
1930年 24歳 $1,303.50 $18,402 Oriental Stories 』誌創刊。「ブラン・マク・モーン」シリーズ第1作
1931年 25歳 $1,500.26 $23,266
1932年 26歳 $1,067.50 $18,452 Fight Stories 』誌休刊。Kline氏がエージェントに。「英雄コナン」シリーズ第1作
1933年 27歳 $962.25 $17,531 Oriental Stories 』誌が『Magic Carpet 』誌となる
1934年 28歳 $1,853.05 $32,668 Magic Carpet 』誌廃刊。『Action Stories 』誌再刊行開始。
El Borak」シリーズ・「Kirby O'Donnell」シリーズ・「Breckenridge Elkins」シリーズ第1作
1935年 29歳 $2,000+ $34,403+ 記録は不完全
1936年 30歳 「1936年の春までで彼の売り上げはキャリアの最高を迎えつつあった」[3]

自殺と精神状態[編集]

ハワードの母親は結核に侵されており、彼の生涯全てに渡って闘病生活を送っていた。1936年6月、母親が危篤となり、最早目覚めることはないだろう昏睡状態に陥ったことを知るや、ハワードはガレージに停めた車の中で拳銃で自ら頭部を撃ち抜きその後死亡した。30歳という若さだった。母親も翌日死去している。

彼の自殺とその状況は彼の精神状態について様々な議論を呼ぶものであった。

これらの議論は主に、彼はエディプスコンプレックスやそれに類する精神疾患であったのではないか[4]、もしくは重い状態であったのではないかというものである。またそういうった精神状態が引き金ではなく、母親の死に直面した衝動的なものであろうという説もあるが、実際、この自殺は以前から父親や近しい友人には仄めかしていたものであった。また、サヴァン症候群、もしくはアスペルガー症候群と絡めて語られる事もあるが、これは冒険小説という性質からともすれば短絡的な彼の作品内容について非難した文芸批評家によって用いられたものであり、彼自身にそういった兆候は認められなかった。

また彼は心臓疾患を抱えていた事も明らかになっている。

ノーヴェリン・プライスとの交際[編集]

生前のハワードが交際した唯一の女性がノーヴェリン・プライス・エリス (Novalyne Price Ellis) であった。彼女は当時クロスプレインズの高校で英語を教える教師で、自身も作家志望であった。この交際はハワードの晩年まで続いたが、プライスが教職のキャリアのためルイジアナへと転居し終わりを告げる。プライスは後に他の男性と結婚し、引退まで教職に留まったが、引退後の1986年に"One Who Walked Alone"と題されたハワードについての回想録を発表した。彼女は自身の創作のために人々との会話を記録していたため、生前のハワードとのやりとりも克明に残っており、それらを整理した貴重な資料となっている。

この回想録は1996年に『草の上の月』(原題:The Whole Wide World )として映画化された。プライスは1999年に91歳で死去した[5]

日本語訳一覧[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Charles Gramlich, "The Greenwood Encyclopedia of Science Fiction and Fantasy", volume 2 p.99, 2005 ISBN 0-313-32952-4
  2. ^ 英語版テンプレートによる自動生成
  3. ^ Glenn Lord, "The Last Celt" pp.75–79, 1976 ISBN 978-0-425-03630-3
  4. ^ 主にL・スプレイグ・ディ・キャンプによる初期の伝記、"Dark Valley Destiny"で述べられた説だが、この本は様々な欠陥が指摘されている。
  5. ^ Novalyne Price Ellis”. Find a Grave. 2014年12月21日閲覧。(英語)