第2師団 (陸上自衛隊)
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第2師団 | |
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創設 | 1962年(昭和37年)1月18日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 機動師団 |
人員 | 定員 約7,500人[1] |
所在地 | 北海道旭川市 旭川駐屯地 |
編成地 | 旭川 |
愛称 | 北鎮師団 |
上級単位 | 北部方面隊 |
担当地域 | 道北 |
第2師団(だいにしだん、英語: JGSDF 2nd Division)は、陸上自衛隊の師団のひとつ。北部方面隊直轄にあり、師団司令部を旭川市の旭川駐屯地に置く。北海道の海岸を守備する沿岸配備師団とされてきたが、防衛計画大綱では機動師団に分類される[2]。「
概要
[編集]1個即応機動連隊、2個普通科連隊、1個戦車連隊を基幹としており、第7師団以外では唯一戦車部隊が連隊編成となっている。隷下の16個部隊が旭川駐屯地(11個部隊、連隊の分遣1個中隊を含む。)、名寄駐屯地(2個部隊)、遠軽駐屯地(1個部隊)、留萌駐屯地(1個部隊)、上富良野駐屯地(2個部隊)の5個駐屯地に分散して駐屯している。
北海道道北の防衛警備、災害派遣を任務とするほか、民生協力及び国際貢献活動を行っている。
旭川市で毎年2月に開催される旭川冬まつりにおいては、主に第2特科連隊が中心の「旭川冬まつり協力隊」が編成され、大雪像の製作を担当することが恒例となっている[3]。
沿革
[編集]第2管区隊
[編集]警察予備隊
- 1952年(昭和27年)
保安隊
- ※編成(第4連隊、第5連隊、第6連隊、第62連隊、第2施設大隊、第2衛生大隊、第2補給中隊、第2武器中隊、第2通信中隊、第2偵察中隊等)
陸上自衛隊
- 1954年(昭和29年)
- 1960年頃の主要編成
- 第3・第9・第10普通科連隊、第2特科連隊、第2特車大隊
第2師団
[編集]- 1962年(昭和37年)1月18日:第2師団編成完結。
- 第2管区総監部は第2師団司令部に、第2特車隊は第2戦車大隊に、第2偵察中隊は第2偵察隊に、第2通信隊は第2通信大隊に、第2衛生大隊は第2衛生隊にそれぞれ称号変更。
- 第25普通科連隊及び第26普通科連隊、第2対戦車隊、第2輸送隊を新編。
- 第10普通科連隊が第11師団隷下に隷属替え。
- 第2航空隊が北部方面飛行隊隷下に隷属替え(北部方面航空隊から北部方面飛行隊に改編)。
- ※編成(師団司令部、師団司令部付隊、第3・第9・第25・第26普通科連隊、第2特科連隊、第2戦車大隊、第2通信大隊、第2偵察隊、第2対戦車隊等)
- 1970年頃の主要編成
- 第3・第9・第25・第26普通科連隊、第2特科連隊、第2戦車大隊
- 第3普通科連隊を装甲車約60両により装甲車化連隊に改編。
- 第9・第25・第26普通科連隊を自動車化連隊に改編。
- 第2武器隊、第2補給隊、第2輸送隊、第2衛生隊を統合し、第2後方支援連隊を新編。
- 第2戦車大隊に戦車10両を増備し、各戦車中隊を3個小隊から4個小隊に増強。
- 第2特科連隊第6大隊を分離独立、師団直轄の第2高射特科大隊を新編。
- 第2師団司令部付隊に化学防護小隊を新編。
- 第2偵察隊に電子偵察小隊を新編。
- 1990年頃の主要編成
- 第3・第9・第25・第26普通科連隊、第2特科連隊、第2高射特科大隊、第2戦車大隊
- 1993年(平成 5年)
- 1994年(平成 6年)
- 3月28日:北部方面飛行隊から第2飛行隊を隷下に編合(北部方面飛行隊から北部方面航空隊に改編)。
- 9月~12月:ルワンダにルワンダ難民救援隊が派遣される。
- 1995年(平成 7年)3月28日:師団改編[8]。
- 第2戦車連隊が上富良野駐屯地に新編。
- 第3・第25・第26各普通科連隊に対戦車中隊を新編。
- 第2師団司令部付隊の化学防護小隊が化学防護隊に改編。
- 第9普通科連隊(旭川駐屯地)を廃止。
- 第2戦車大隊(上富良野駐屯地)を廃止。
- 第2対戦車隊(上富良野駐屯地)を廃止。
- 2001年(平成13年)2月~8月:第11次ゴラン高原派遣輸送隊として海外派遣される。
- 2002年(平成14年)
- 2004年(平成16年)2月~5月:イラク復興支援群第1次派遣部隊としてイラクに派遣される。
- 2007年(平成19年)7月:上富良野演習場において、基幹連隊指揮統制システム(ReCS)の第1回師団実験演習を実施。
- 2011年(平成23年)4月22日:総合近代化師団に改編[10]。
- 定員約8,100人[10]、普通科連隊3(3普連・名寄、25普連・遠軽、26普連・留萌)、戦車連隊1(2戦連・上富良野)を基幹[10]。
- 第2対舟艇対戦車中隊を上富良野駐屯地で新編。96式多目的誘導弾システムを導入。
- 第2特科連隊に99式自走155mmりゅう弾砲を導入[10]。
- 第3・第25・第26各普通科連隊の対戦車中隊を廃止。
- 2019年(平成31年)3月26日:第2化学防護隊を第2特殊武器防護隊に改編。
- 2020年頃の主要編成
- 第3・第25・第26普通科連隊、第2戦車連隊、第2特科連隊、第2高射特科大隊
編成・駐屯地
[編集]- 編成
司令部
[編集]主要幹部
[編集]官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第2師団長 | 陸将 | 井土川一友 | 2023年 | 3月30日第15旅団長 (陸将補) |
副師団長 兼 旭川駐屯地司令 |
陸将補 | 井上亙 | 2024年 | 3月28日防衛大学校防衛学教育学群 統率・戦史教育室長 兼 防衛大学校教授 |
幕僚長 | 1等陸佐 | 大野木秀樹 | 2022年12月23日 | 陸上自衛隊教育訓練研究本部総合企画官 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | |
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第2管区総監 | ||||||
1 | 中野敏夫 (警察監) |
1950年12月29日 - 1952年10月14日 | 東京帝国大学 | 元札幌警察管区本部長 →1950年12月1日 警察監任命[14] |
北部方面総監 | |
2 | 岸本重一 | 1952年10月15日 - 1954年 ※1953年 2月 1日 保安監昇任 |
6月30日陸士34期・ 陸大46期 |
第2管区総監部所属 (保安監補) |
北部方面総監 | |
3 | 池野清躬 | 1954年 | 7月 1日 - 1957年 8月 1日東京帝国大学 | 第1管区副総監 | 西部方面総監 | |
4 | 加納富夫 | 1957年 ※1957年 8月16日 陸将昇任 |
8月 2日 - 1960年 7月31日東京帝国大学 | 北部方面副総監 (陸将補) |
陸上幕僚監部第5部長 | |
5 | 和田盛哉 | 1960年 ※1961年 1月 1日 陸将昇任 |
8月 1日 - 1962年 1月17日陸士41期・ 陸大50期 |
陸上幕僚監部第3部長 (陸将補) |
第2師団長 | |
第2師団長 | ||||||
1 | 和田盛哉 | 1962年 | 1月18日 - 1962年 7月31日陸士41期・ 陸大50期 |
第2管区総監 | 西部方面総監 | |
2 | 天野良英 | 1962年 | 8月 1日 - 1964年 3月15日陸士43期・ 陸大52期 |
陸上幕僚監部第3部長 | 陸上幕僚副長 | |
3 | 橋本正勝 | 1964年 ※1965年 1月 1日 陸将昇任 |
3月16日 - 1965年 7月15日陸士45期・ 陸大53期 |
北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐とん地司令 (陸将補) |
第1師団長 | |
4 | 益田兼利 | 1965年 ※1966年 1月 1日 陸将昇任 |
7月16日 - 1966年 6月30日陸士46期・ 陸大54期 |
北部方面総監部幕僚長 (陸将補) |
陸上幕僚監部第5部長 | |
5 | 渡邊博 | 1966年 | 7月 1日 - 1968年 3月15日陸士46期・ 陸大56期 |
陸上幕僚監部第3部長 | 第1師団長 | |
6 | 上妻正康 | 1968年 | 3月16日 - 1970年 3月15日陸士47期・ 陸大55期 |
陸上自衛隊幹部候補生学校長 兼 前川原駐とん地司令 |
西部方面総監 | |
7 | 村田稔 | 1970年 | 3月16日 - 1971年 6月30日陸士48期・ 陸大58期 |
第5師団長 | 退職 | |
8 | 栂博 | 1971年 | 7月 1日 - 1973年 3月15日陸士50期・ 陸大57期 |
陸上自衛隊航空学校長 兼 明野駐とん地司令 |
陸上自衛隊幹部学校長 | |
9 | 松金久知 | 1973年 | 3月16日 - 1975年 3月16日陸士53期・ 陸大60期 |
統合幕僚会議事務局第5幕僚室長 | 東北方面総監 | |
10 | 越智誠一 | 1975年 | 3月17日 - 1977年 6月30日陸士54期 | 陸上自衛隊北海道地区補給処長 兼 島松駐とん地司令 |
退職 | |
11 | 太田穰 | 1977年 | 7月 1日 - 1980年 3月16日陸士58期 | 陸上幕僚監部監理部長 | 北部方面総監 | |
12 | 岩出俊男 | 1980年 | 3月17日 - 1981年 6月30日陸士58期 | 陸上自衛隊施設学校長 兼 勝田駐とん地司令 |
退職 | |
13 | 馬郡道生 | 1981年 | 7月 1日 - 1983年 3月15日陸士60期 | 陸上幕僚監部人事部長 | 陸上幕僚副長 | |
14 | 水澤博 | 1983年 | 3月16日 - 1984年 6月30日長岡工専 昭和25年卒 |
東北方面総監部幕僚長 兼 仙台駐屯地司令 |
防衛大学校幹事 | |
15 | 太田隆 | 1984年 | 7月 1日 - 1986年 3月16日中央大学 昭和30年卒 |
陸上幕僚監部監理部長 | 陸上自衛隊富士学校長 兼 富士駐屯地司令 | |
16 | 田村祐茂 | 1986年 | 3月17日 - 1987年 7月 6日法政大学 昭和28年卒 |
陸上自衛隊航空学校長 兼 明野駐屯地司令 |
退職 | |
17 | 志方俊之 | 1987年 | 7月 7日 - 1988年 7月 6日防大2期 | 陸上幕僚監部人事部長 | 防衛大学校幹事 | |
18 | 吉崎格 | 1988年 | 7月 7日 - 1990年 3月15日防大2期 | 北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令 |
陸上自衛隊富士学校長 兼 富士駐屯地司令 | |
19 | 宇野章二 | 1990年 | 3月16日 - 1991年 3月15日防大4期 | 陸上幕僚監部人事部長 | 防衛大学校幹事 | |
20 | 中里義弘 | 1991年 | 3月16日 - 1992年 6月15日防大3期 | 陸上幕僚監部装備部長 | 技術研究本部技術開発官 (陸上担当) | |
21 | 渡邊信利 | 1992年 | 6月16日 - 1993年 6月30日防大6期 | 陸上幕僚監部人事部長 | 陸上幕僚副長 | |
22 | 大越兼行 | 1993年 | 7月 1日 - 1995年 6月29日防大7期 | 統合幕僚会議事務局第5幕僚室長 | 北部方面総監 | |
23 | 益田兼弘 | 1995年 | 6月30日 - 1997年 6月30日防大9期 | 陸上幕僚監部装備部長 | 東部方面総監 | |
24 | 久保善昭 | 1997年 | 7月 1日 - 1999年 3月28日防大9期 | 陸上自衛隊航空学校長 兼 明野駐屯地司令 |
退職 | |
25 | 土橋健二 | 1999年 | 3月29日 - 2000年 6月29日防大10期 | 第13師団長 | 退職 | |
26 | 持田修 | 2000年 | 6月30日 - 2002年12月 1日防大13期 | 防衛研究所副所長 | 北部方面総監 | |
27 | 河野芳久 | 2002年12月 | 2日 - 2005年 3月27日防大14期 | 中部方面総監部幕僚長 兼 伊丹駐屯地司令 |
退職 | |
28 | 輪倉昇 | 2005年 | 3月28日 - 2006年 8月 3日防大17期 | 中部方面総監部幕僚長 兼 伊丹駐屯地司令 |
陸上自衛隊補給統制本部長 兼 十条駐屯地司令 | |
29 | 師岡英行 | 2006年 | 8月 4日 - 2008年 7月31日防大19期 | 中部方面総監部幕僚長 兼 伊丹駐屯地司令 |
技術研究本部技術開発官 (陸上担当) | |
30 | 佐藤修一 | 2008年 | 8月 1日 - 2009年 7月20日防大19期 | 第13旅団長 | 退職 | |
31 | 渡部悦和 | 2009年 | 7月21日 - 2010年 7月25日東京大学 昭和53年卒 |
陸上幕僚監部装備部長 | 陸上幕僚副長 | |
32 | 田中敏明 | 2010年 | 7月26日 - 2011年 8月 4日防大23期 | 陸上幕僚監部教育訓練部長 | 防衛大学校幹事 | |
33 | 平野治征 | 2011年 | 8月 5日 - 2012年 7月25日防大21期 | 陸上自衛隊関東補給処長 兼 霞ヶ浦駐屯地司令 |
退職 | |
34 | 友部薫 | 2012年 | 7月26日 - 2014年 3月27日防大23期 | 第15旅団長 | 退職 | |
35 | 市野保己 | 2014年 | 3月28日 - 2015年 8月 3日防大24期 | 富士教導団長 | 退職 | |
36 | 住田和明 | 2015年 | 8月 4日 - 2016年 6月30日防大28期 | 陸上幕僚監部防衛部長 | 統合幕僚副長 | |
37 | 高田克樹 | 2016年 | 7月 1日 - 2017年 8月 7日防大29期 | 陸上幕僚監部防衛部長 | 陸上幕僚副長 | |
38 | 野澤真 | 2017年 | 8月 8日 - 2019年 8月22日防大30期 | 陸上幕僚監部装備計画部長 | 中部方面総監 | |
39 | 森下泰臣 | 2019年 | 8月23日 - 2020年 8月24日防大32期 | 陸上幕僚監部防衛部長 | 陸上幕僚副長 | |
40 | 冨樫勇一 | 2020年 | 8月25日 - 2023年 3月29日防大33期 | 陸上幕僚監部人事教育部長 | 東部方面総監 | |
41 | 井土川一友 | 2023年 | 3月30日 -防大35期 | 第15旅団長 |
過去の隷下部隊
[編集]- 第4普通科連隊:1954年(昭和29年)9月10日 第5管区隊に隷属替え。
- 第6普通科連隊:1954年(昭和29年)9月10日 第5管区隊に隷属替え。
- 第10普通科連隊:1962年(昭和37年)1月18日 第11師団隷下に隷属替え。
- 第2武器隊:1988年(昭和63年)3月25日 第2後方支援連隊武器大隊に改編。
- 第2補給隊:1988年(昭和63年)3月25日 第2後方支援連隊補給隊に改編。
- 第2輸送隊:1988年(昭和63年)3月25日 第2後方支援連隊輸送隊に改編。
- 第2衛生隊:1988年(昭和63年)3月25日 第2後方支援連隊衛生隊に改編。
- 第9普通科連隊:1995年(平成 7年)3月28日 廃止。
- 第2戦車大隊:1995年(平成 7年)3月28日 廃止。第2戦車連隊に改編。
- 第2対戦車隊:1995年(平成 7年)3月28日 廃止。
- 第3普通科連隊:2022年(令和4年)3月16日 第3即応機動連隊に改編。
脚注
[編集]- ^ 軍事研究2018年9月号p63
- ^ 平成 31 年度以降に係る防衛計画の大綱について
- ^ 旭川冬まつり - 陸上自衛隊第2師団
- ^ 千歳市. “新千歳市史通史編下巻 第14章 米軍・自衛隊”. p. 1026. 2019年8月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 陸上自衛隊北部方面総監部/監修『北部方面隊50年のあゆみ : 歩みつづけるつわものたちのきらめく記憶』山藤印刷株式会社、2003年。
- ^ a b 『第一管区隊史 保安隊編』保安隊第一管区総監部、1958年。
- ^ 管区隊の増置に伴う方面隊及び管区隊の警備区域の特例に関する政令(昭和29年政令第255号)『官報』本紙第8300号(昭和29年9月1日)
- ^ 『北部方面隊50年のあゆみ : 歩みつづけるつわものたちのきらめく記憶』(山藤印刷株式会社/編集,陸上自衛隊北部方面総監部/監修 2003)
- ^ “第2師団司令部付隊の沿革”. 2023年4月11日閲覧。
- ^ a b c d 「陸自改編 1、2師団など近代化 北、東方に方面混成団」朝雲新聞(2011年4月22日付)
- ^ 陸上自衛隊 第2師団 [@JGSDF_NA_2D] (2022年3月27日). "第2師団は令和4年3月をもって機動師団に改編されました。". X(旧Twitter)より2022年3月27日閲覧。
- ^ a b c “第2師団が機動師団に改編 国内各地へ即応展開も”. 朝日新聞. (2022年3月27日) 2022年4月29日閲覧。
- ^ a b 陸上自衛隊 第2師団 [@JGSDF_NA_2D] (2022年3月24日). "令和4年3月17日(木)、第3普通科連隊 が「第3即応機動連隊」へ改編されるとともに、「第2情報隊」が新編されました。". X(旧Twitter)より2022年3月27日閲覧。
- ^ 『官報』本紙 第7369号(昭和26年8月2日)
出典
[編集]- 『北部方面隊50年のあゆみ : 歩みつづけるつわものたちのきらめく記憶』(山藤印刷株式会社/編集,陸上自衛隊北部方面総監部/監修 2003)