瀬戸大橋
瀬戸大橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 香川県坂出市 - 岡山県倉敷市 |
交差物件 | 瀬戸内海(備讃瀬戸) |
用途 | 鉄道道路併用橋 |
路線名 |
道路: 瀬戸中央自動車道 鉄道: 本四備讃線(瀬戸大橋線) |
着工 | 1978年10月10日 |
開通 | 1988年4月10日 |
座標 | 北緯34度23分54秒 東経133度48分36秒 / 北緯34.39833度 東経133.81000度座標: 北緯34度23分54秒 東経133度48分36秒 / 北緯34.39833度 東経133.81000度 |
構造諸元 | |
全長 | 12,300 m (海峡部 9,367 m) |
幅 | 35 m |
高さ | 194 m (南備讃瀬戸大橋北側主塔) |
最大支間長 | 1,100 m (南備讃瀬戸大橋) |
地図 | |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
瀬戸大橋(せとおおはし)は、本州の岡山県倉敷市と四国の香川県坂出市を結ぶ[1]10の橋の総称である。瀬戸内海をまたぐ本州四国連絡橋の児島・坂出ルートにあたり、橋の大部分は香川県に属する。1988年(昭和63年)に全線開通。それにより初めて四国と本州が陸路で結ばれた。
瀬戸大橋とは複数の橋の総称だが、全体として見たとき、道路と鉄道が通る鉄道道路併用橋としては世界最長で「世界一長い鉄道道路併用橋」としてギネス世界記録(2015年)にも認定されている[2]。2017年(平成29年)に日本の20世紀遺産に選定。完成したのはレインボーブリッジができる前のことで、海に架かる長大橋はそれまでサンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジなど海外のものがよく知られ、海峡部10 km近く、主塔の高さ200 m近いものとしては国内初だった。完成時は同じ1988年に開通した青函トンネル(約1か月早く開業)と合わせて大々的に報道され、当時一大観光スポットになった。
概要
[編集]1978年(昭和53年)の着工から9年6カ月を経て1988年(昭和63年)4月10日供用開始され、総事業費は1兆1,338億円である。
塩飽(しわく)諸島の5つの島の間に架かる6つの橋梁と、それらを結ぶ4つの高架橋により構成されており、橋梁部9,368メートル (m) 、高架部を含めると13.1キロメートル (km) の延長を持つ[2]。日本ではそれぞれ単独の橋とみなされる連続する10の橋を合わせた合計の長さは、鉄道道路併用橋としては世界最長で、瀬戸大橋は「世界一長い鉄道道路併用橋」として、ギネス世界記録に認定されている[2]。橋梁は吊橋・斜張橋・トラス橋の3種類を併設。ルートは道路37.3km、鉄道32.4kmである[3]。
道路建設は国道2号と11号を結ぶ国道30号の改築事業として行われた。鉄道は宇野線茶屋町駅で分岐し、予讃線宇多津駅に接続する本四備讃線の一部である。
工事の際には当時世界最先端の技術が導入された。また、気象条件や荷重による変形が著しいこの規模の吊橋への鉄道の敷設は世界初の事例であり、橋梁の変形から線路を保護するための技術が新規に開発された[注 1][4]。
橋梁部構造は上部に4車線の道路(瀬戸中央自動車道)、下部に複線の鉄道(四国旅客鉄道〈JR四国〉本四備讃線〈愛称:瀬戸大橋線〉)[注 2]が通る2層構造となっており、用途が2通りある「鉄道道路併用橋」である。下部の鉄道については、新幹線・在来線合わせて4線を敷設できるようになっているが、現在は在来線用に中央寄りの2線分のみが暫定的に敷設され、使用されている。計画中の四国横断新幹線が建設される際には2線増設され、東側2線を在来線に、西側2線を同新幹線として使用する予定である[注 3]。
設計最高速度は上部の道路が100 km/h(第1種第2級)、下部の鉄道が130 km/h(在来線部分)または160 km/h(新幹線部分)。新幹線用のスペースには何も設置されていないが、一部スペースに建設当初想定されていた新幹線用設備分の死重が設置されている。
1994年(平成6年)に、瀬戸大橋を経由して本州と四国を結ぶ特別高圧電線(50万ボルト (=500 kV))「本四連系線」が電源開発株式会社(現・電源開発送変電ネットワーク)によって敷設された(鉄道部と同レベル)。
供用開始後、倉敷市下津井田之浦の一部住民や橋下の各島民から、瀬戸大橋線の騒音やライトアップによる光害の訴えが相次いだ[5][6]。元々は橋梁の保守・点検用の橋梁のライトアップが、事前に決められた日にしか行われないのは、光により「明るすぎて眠れない」「漁業に影響が出る」といった光害に対し、沿線住民に配慮したものである。
かつては、西瀬戸自動車道(瀬戸内しまなみ海道)のことである「瀬戸内海大橋」と混同を避けるため、瀬戸大橋を「備讃瀬戸大橋」と呼ぶこともあった。
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香川県側の鉄道合流部
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鉄道部
工法・技術
[編集]下津井瀬戸大橋〜南備讃瀬戸大橋 (7Aアンカレイジ) までの約9.3 kmに使われたコンクリートは200万 m3、鋼材47.3万 t(鉄筋9.3万 t、構造鋼材30.5万 t、PC鋼材1.0万 t、ケーブル6.5万 t)。工期9.5年、延労働時間は7004万時間[7]である[8]。
海中基礎
[編集]瀬戸大橋の海中基礎17基の内、既存技術で対応できたのは6基、残りの11基のために大規模な基礎向けの設置ケーソン工法が開発された。対象は、櫃石島橋2基 (2P・3P)、岩黒島橋3基 (2P・3P・4P) と南北備讃瀬戸大橋6基 (2P・3P・4A・5P・6P・7A)[9]。計11基に使われた海中コンクリートは54万m3[10]で、そのなかでも南北備讃瀬戸大橋の7Aアンカレイジ (海中・気中コンクリート量それぞれ23万 m3、18万6000 m3) と4Aアンカレイジ (同、3万7200 m3、25万3500 m3) は大きく、全体工程のクリティカルパスになった[11]。 水中発破とグラブ船による岩盤掘削を行い、鋼製ケーソンを沈設、粗骨材充填後、モルタルを注入する。骨材を先に充填するためプレパックドコンクリートと呼ばれる工法である。原理的には単純な工法[12]で国内外に先例はあったが、この規模の水中発破や海中コンクリートは、世界でもほとんど例のないものだった[9]。そのため、超音波信号や電磁誘導をトリガーとする水中発破、岩盤掘削面の平坦化、大型ケーソン位置決め、大型モルタルプラント船、大型移動式海上足場、大型クレーン船などに関わる新しい技術が開発された[13]。
水中発破の実施にあたっては、魚への影響を調べる調査研究が行われ、距離500 mでピーク圧力2 kg/cm2[14]以下という条件で漁業関係者との合意を得た[12]。圧力波に最も弱いのはメバルで、アイナメが最も強かった[15]。建設中に行われた156回の水中発破の圧力は測定により1 kg/cm2以下であることが確認されている。また、7Aアンカレイジから430 mの距離にある石油精製プラントへの振動による影響を防ぐため、1秒間隔で12段に発破を分ける秒差段発起爆工法も開発された[9][12]。
ケーブル架設
[編集]下津井瀬戸大橋のケーブルは5.37 mm径ワイヤ (素線) 552本のストランド44本で構成される[16]。スピニングとサグ調整を同時に行うAS(エアスピニング)工法を強風下でも行うため、低張力AS工法[17]を採用した。 他の橋にはPWS(プレハブ平行線ストランド)工法が適用された[16]。工場での素線長さの管理精度を高めるため、磁気マーキング測長方式が開発された[13]。南備讃瀬戸大橋のケーブルは5.12mm径ワイヤ127本のストランド271本で構成される[16]。
桁の架設
[編集]桁の架設中には完成時と異なる応力が発生する。架設中はヒンジにより力を逃して全ての桁を架設した後に固定する工法はあったが、本州四国連絡橋では強風時の安定性に懸念があったため、無ヒンジ工法[13]が開発された。これは、架設中に油圧機構を用いてハンガーロープと桁に発生する応力の分布を調整する技術であり、大鳴門橋で最初に適用され、瀬戸大橋にも用いられた。また、荷重振幅400tの大型疲労試験機を製作し、試験結果にもとづいて溶接部の品質管理[18]が行われた。
塗装
[編集]塗装技術は、本州四国連絡橋公団の委託により土木学会により開発され、1977年(昭和52年)に「鋼橋塗装基準・同解説」として定められた[19]。工場塗装を基本とし、現地塗装を行う接合部などについては付着塩分の管理(塩化ナトリウム (NaCl) 換算100 mg/m2未満)を行った。
下地処理はブラスト処理後、アルキルシリケートを主成分とする樹脂に犠牲防食作用を持つ亜鉛末を混ぜた厚膜型無機ジンクリッチペイントを施した。下塗り、中塗りはエポキシ樹脂塗料、上塗りには長期暴露耐久性に優れるポリウレタン樹脂塗料が使用された。その後の技術進展に伴い、平成2年(1990年)の塗装基準改定で、上塗りは更に耐候性に優れるフッ素樹脂塗料に変更された。
沿革
[編集]着工まで
[編集]- 1889年(明治22年)5月23日 - 香川県議会議員の大久保諶之丞が讃岐鉄道開通式での祝辞で瀬戸大橋の架橋を提唱[20]。
- 1955年(昭和30年)5月11日 - 国鉄連絡船紫雲丸による紫雲丸事故。(修学旅行の小学生など死者168名)
- 紫雲丸事故後、香川県議会が「宇高連絡鉄道建設促進に関する意見書」を国に提出。
- 1956年(昭和31年)- 連絡船初就航
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)
- 1960年(昭和35年)6月8日 - 第六管区海上保安本部が瀬戸大橋ルートの底質調査と潮流観測を開始。
- 1961年(昭和36年)
- 1962年(昭和37年)
- 3月29日 - 鉄道建設審議会が瀬戸大橋(宇野付近・高松)の調査線格上げを承認。
- 6月10日 - 国際連合アーネルト・ワイズマン調査団一行が瀬戸大橋架橋ルートを視察し、本四連絡橋3ルートのうち瀬戸大橋ルートに優先性を与えるべきだと声明。
- 7月10日 - 建設省土木研究所が沙弥島南方で瀬戸大橋架橋工事のためのボーリング調査を開始。
- 1963年(昭和38年)
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)10月4日 - 香川県議会が「瀬戸大橋並びに中国四国横断自動車道の早期着工に関する決議案」を可決。
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)8月9日 - 瀬戸大橋架橋推進に関する説明会が坂出市の各地区で始まる。
- 1972年(昭和47年)
- 1973年(昭和48年)
- 1974年(昭和49年)
- 1975年(昭和50年)
- 1976年(昭和51年)
- 1977年(昭和52年)
- 4月26日 - 政府が本州四国連絡橋の当面早期完成を図るルートとして道路・鉄道併用橋の瀬戸大橋(児島・坂出ルート)を内定し、早急に環境影響評価などを推進する旨を決定。
- 11月1日 - 瀬戸大橋架橋工事に伴う埋蔵文化財発掘調査開始。
- 11月4日 - 第3次全国総合開発計画が閣議決定されたことで、瀬戸大橋(児島・坂出ルート)が当面早期完成を図る1ルートとして正式決定。
- 11月19日 - 本四公団が香川知事に瀬戸大橋(児島・坂出ルート)環境影響評価書案を提出、同月22日香川県内5か所で縦覧を開始。
- 12月13日 - 香川県・坂出市・宇多津町が瀬戸大橋環境問題連絡協議会を設置。
- 12月29日 - 瀬戸大橋環境問題連絡協議会が開催され、櫃石島・岩黒島・与島・宇多津・坂出西部・川津の各地区の代表からの意見を聴聞。
- 1978年(昭和53年)
架橋工事
[編集]- 1978年(昭和53年)10月10日 - 坂出市番の州緑町にて起工式。
- 1979年(昭和54年)11月30日 - 本四備讃線高架橋着工。
- 1980年(昭和55年)6月26日 - 坂出市の陸上部測量の為、聖通寺山で最初の幅杭打ち開始。
- 1981年(昭和56年)
- 1988年(昭和63年)
- 1月から2月 - 鉄道総合技術研究所による走行試験の実施[4]。
- 3月1日 - 山陽自動車道の早島IC(倉敷JCT経由) - 福山東IC間(延長39.3 km)が開通し、本土の西への道路網整備が整う。
- 3月20日 - JR西日本本四備讃線の茶屋町 - 児島間が部分開業。
- 3月20日 - 同年8月31日まで瀬戸大橋架橋記念博覧会を開催。
- 4月10日 - 瀬戸中央自動車道と、JR四国本四備讃線(瀬戸大橋線)の児島 - 宇多津・坂出間が開業(与島にて瀬戸大橋開通式を開催)。当日は全国放送の多数のテレビ番組特番が組まれた。
- 瀬戸大橋の建設費用は1兆1,300億円で、高速道路部の建設費用は6,400億円、鉄道部の建設費用は4,900億円である。建設費用を30年かけて2018年(平成30年)4月9日までに債務償還する予定であったが、高速道路部については当初、本州四国連絡橋公団(現・本州四国連絡高速道路株式会社)が単独で債務償還をする必要があったために、早島 - 坂出間で利用台数を1日24,900台と見込んでも普通自動車で片道6,300円という高額な通行料金が設定されるに至った。一方で鉄道部の運賃は早島駅 - 坂出駅間で大人片道620円と高速道路と比較して非常に安かったため、当然ながら鉄道利用が圧倒的に多くなり、結果的に鉄道は年間1,000万人が利用する黒字路線となり順調に債務を償還していった一方、高速道路は債務の利子すらも賄えず、毎年欠損金を出し債務が膨らんでいった。
完成後
[編集]- 1989年(平成元年) - 高速道路部の平均利用台数は、上記の高額な通行料金の影響に加えて四国側の高速道路が未整備であったなどの要因から、1日当たり1万3,000台に留まった。
- 1992年(平成4年)4月19日 - 高松自動車道の高松西IC - 善通寺IC、坂出IC - 坂出JCTが開通し、四国の高速道路と接続。
- 1994年(平成6年) - 電源開発により、本州と四国を結ぶ高圧電線 (50万V)「本四連系線」が完成。
- 1996年(平成8年)1月10日 - 瀬戸大橋線の児島 - 宇多津駅間に「公平性の担保」として100円の加算運賃を設定。
- 鉄道部の債務償還は後述の通り2001年に完了したが、巨額な維持管理費用を利用客にも負担してもらうことを理由に、その後も加算運賃が設定されており[22]、2019年10月の消費税増税で110円に値上げされている。
- 1997年(平成9年) - 債務償還計画を変更。
- 1998年 (平成10年) - 寝台特急電車サンライズ瀬戸が運行開始、瀬戸大橋を通過する。
- 2001年(平成11年) - 鉄道部の債務償還4,900億円の返済が完了。
- 2003年(平成15年)
- 4月 - 債務償還計画を再度変更。
- 7月 - 道路部の通行料金を10%値下げ。
- 2005年(平成17年)10月1日 - 日本道路公団等民営化関係法により、日本高速道路保有・債務返済機構ならびにJB本四高速に承継し、本州四国連絡橋公団は解散。高速道路部の債務6,400億円が、利子により膨れ上がった総額1兆3,000億円は、日本国政府に債務が移行された[23]。
- 2008年(平成20年)
- 3月31日 - 2007年度末までの車両の累計通行台数は9,860万台、JR瀬戸大橋線の利用者は約1億8,800万人におよぶ。
- 4月1日 - 北備讃瀬戸大橋にて、開通後初めて作業員の海面への転落事故が発生。翌日、事故現場から16km離れた地点でこの作業員の遺体が発見された。
- 4月10日 - 開通20周年を迎え、12日に香川県坂出市与島で記念式典を開催。13日には橋上で健康マラソン・ジョギング・ウォーク大会を開催。大会当日は8時 - 13時まで、事故や悪天候以外で初めて橋上部を全面通行止にして実施された。
- 5月24日 - 与島において、デンマークとスウェーデンを結ぶオーレスン・リンクを構成するオーレスン橋との姉妹橋調印式を開催。瀬戸大橋側からは本四高速の伊藤周雄社長、四国旅客鉄道(JR四国)の松田清宏社長、西日本旅客鉄道(JR西日本)の丸山俊岡山支社長が、オーレスン・リンク側からはオーレスン橋公社(Øresundsbro Konsortiet)のヤーコブ・ヴェルテルゴード営業本部長が出席し、調印書への署名と銘板の除幕を行った[24][25]。
- 2009年(平成21年)
- 2013年(平成25年)
- 4月10日 - 瀬戸大橋開業25周年。
- 4月11日から12日 - トワイライトエクスプレス車両 瀬戸大橋開業25周年記念号運行[26][27]。
- 2018年(平成30年)
- 4月10日 - 瀬戸大橋開業30周年[28]。当初の計画では債務償還が終了予定であったが、高速道路部の利用伸び悩みで、債務償還計画が破綻した。道路の交通量増加による営業補償金の高騰により、マラソン大会は実施されない。
各橋と沿線の島々
[編集]各橋と各島の詳細は、それぞれの項目を参照。
島 | 橋名・トンネル名 | 全長 | 形式 | 所在地 |
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本州 | 鷲羽山トンネル | 205 m(道路部) | トンネル | 岡山県 倉敷市 |
230 m(鉄道部) | ||||
海 | 下津井瀬戸大橋 | 1,447 m | 吊橋 | |
香川県 坂出市 | ||||
櫃石島 | 櫃石島高架橋 | 1,316 m | PC橋 | |
海 | 櫃石島橋 | 792 m | 斜張橋 | |
岩黒島 | 岩黒島高架橋 | 93 m | PC橋 | |
海 | 岩黒島橋 | 792 m | 斜張橋 | |
羽佐島 | 与島橋 | 877 m | トラス橋 | |
海 | ||||
与島 | 与島高架橋 | 717 m | PC橋 | |
海 | 北備讃瀬戸大橋 | 1,611 m | 吊橋 | |
三つ子島 | ||||
南備讃瀬戸大橋 | 1,723 m | 吊橋 | ||
海 | ||||
四国 | 番の州高架橋 | 2,939 m | 鋼箱桁橋(道路部)、PC橋(鉄道部) |
姉妹橋提携
[編集]- ゴールデンゲートブリッジ(米国 カリフォルニア州)
- 1988年(昭和63年)4月5日姉妹提携
- ファーティフ・スルタン・メフメト橋(トルコ イスタンブール)
- 1988年(昭和63年)7月3日姉妹提携
- オーレスン橋(スウェーデン マルメ・デンマーク コペンハーゲン )
記念発行物
[編集]瀬戸大橋を記念する施設
[編集]- 瀬戸大橋記念公園・瀬戸大橋記念館
- 香川県坂出市番の州緑町(番の州高架橋の西側)にある公園。1988年にこの場所で開催された瀬戸大橋架橋記念博覧会(瀬戸大橋博'88/四国)の跡地を公園としたもので、記念館はその当時のパビリオンのひとつが残されたものである。
- 公園は道の駅にもなっている。
- 記念館には瀬戸大橋関連の展示室のほか、200人収容のブリッジシアターがあり、瀬戸大橋関連の全天周映像作品を上演している。
- 公園の西側には瀬戸大橋タワーがある。瀬戸大橋タワーは回転式展望室をもち、108 mまでのぼる。
- タワーの南側に香川県立東山魁夷せとうち美術館がある。
- 倉敷市瀬戸大橋架橋記念館
- 岡山県倉敷市児島にある。
航行安全
[編集]船舶信号
[編集]最も北側に位置する下津井瀬戸大橋の西側には、船舶に対して潮流への注意を促すため、潮流信号所の電光掲示板が設置されている。「見張励行・VHF聴守」の文字が1字ずつ表示され、これは道路・鉄道どちらからも見ることができる。
レーダー障害対策
[編集]南北備讃瀬戸大橋のアンカレイジ表面には「跳上げ方式」と呼ばれるレーダー障害対策が施されている。鎧戸状の多段反射構造で電波を斜め上に反射させ、二次反射によるレーダー偽像を防ぐ[29][30]。そのため、反射面の角度は、電波が周辺の山や高い構造物を越えるように定められる[31] 。また、2P・6P主塔の一部には電波吸収材が貼りつけられている[29]。
瀬戸大橋が登場する作品
[編集]映画
[編集]テレビドラマ
[編集]- 第33話「瀬戸大橋の大決戦」に登場。劇中では「瀬戸大橋京阪フィッシャーマンズ・ワーフ」などの当時の関連施設も登場する。
漫画・アニメ
[編集]- 南備讃瀬戸大橋が登場。アニメ第1期ではOPと第八話、第九話に登場する。既に何らかの事情で破壊されており、寸断された橋が大きく反り返った状態になっている。アニメ第2期では「鷲尾須美の章」に当たる前半六話に登場。第六話でのバーテックスとの決戦で破壊され、本州との接続が寸断された。
- アニメ版のOPに登場。
- 『ゴルゴ13』
- 荷重によるたわみを利用しトラス下部にテロリストが設置した爆発物のコードを狙撃にて切断するため「1,000 t列車」を再現した。
- 『天地無用!魎皇鬼』
- 第二話「阿重霞が出た!」に登場。魎呼と阿重霞が繰り広げた宇宙空間でのケンカの末、墜落した魎皇鬼及び龍皇の巻き添えとなる形で全壊。
- 『ケムリクサ』
- OP・EDのオブジェクト・ 第四話に登場。
小説・ライトノベル
[編集]- 『日本国召喚』
- 書籍版第4巻に登場。日本を訪れた異世界国家「神聖ミリシアル帝国」の視察団が、日本の建築技術を見るために瀬戸大橋を視察する。
その他
[編集]- 第39回「不屈のドラマ 瀬戸大橋 〜世紀の難工事に挑む〜」で登場。
- 『水曜どうでしょう』
- 「絵はがきの旅」「対決列島」「サイコロの旅」など複数の企画に登場。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 基準点成果等閲覧サービス(地図情報)ー国土地理院
- ^ a b c 浅井建爾 2015, p. 194.
- ^ “瀬戸大橋:まるごと体感「瀬戸大橋」見て・きいて 新鮮な感動を-JB本四高速-”. 本州四国連絡高速道路株式会社. 2024年6月19日閲覧。
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- ^ 瀬戸大橋開通30年③橋脚の島 30年経って変化は… 瀬戸内放送、2022年9月23日閲覧
- ^ 『朝日新聞』2019年11月27日朝刊岡山全県・1地方面33頁「瀬戸大橋点灯、延長か維持か 検討委が年内提言へ 観光客増期待・天体観測などに懸念/岡山県」
- ^ 1年=8,760 hなので、延労働時間は約8,000年分に及ぶ。
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- ^ “「巨大橋に挑む〜瀬戸大橋とび職の技」”. NHK (2021年11月2日). 2021年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 浅井建爾『日本の道路がわかる辞典』(初版)日本実業出版社、2015年10月10日。ISBN 978-4-534-05318-3。
- 河口栄二『瀬戸大橋をかけた男』三省堂、1988年。ISBN 4-385-35326-3。
- 藤川寛之『本州四国連絡橋のはなし-長大橋を架ける-』財団法人交通研究協会発行、成山堂書店、2002年。ISBN 4-425-76111-1。
関連項目
[編集]- 本州四国連絡橋
- 日本の離島架橋
- 一本列島
- 四国新幹線 - 「四国横断新幹線」計画ルートに含まれる
- 瀬戸大橋線 (バス路線) - 塩飽諸島にアクセスする唯一の公共交通機関
- 九頭竜ダム - テストモデル橋の存在
- 児坂フェリー - 瀬戸大橋と完全に並行するため、瀬戸大橋開通と同時に廃止された航路
- 橋の一覧 (長さ順)
外部リンク
[編集]- JB本四高速(本州四国連絡高速道路株式会社)
- JR四国(四国旅客鉄道株式会社)
- 瀬戸大橋記念公園
- 鷲羽山(岡山県側)から見た定点カメラ(静止画) - 環境省自然環境局 生物多様性センター
- 青函トンネル・瀬戸大橋開業(1988年) - NHK放送史
- 本州四国連絡橋 - NHK for School
- 本四連系線増架工事の終了及び運転開始について(電源開発株式会社プレスリリース)
- 本州四国連絡道路に係る債務の返済等の状況及び本州四国連絡高速道路株式会社の経営状況について
- 瀬戸大橋開通30年① 建設の"記録"と"記憶" - YouTube・瀬戸内海放送
- 瀬戸大橋開通30年④ 巨額建設費の債務償還は - YouTube・瀬戸内海放送
- 倉敷観光web 瀬戸大橋