上津屋橋

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上津屋橋
上津屋橋 遠景
基本情報
日本
所在地 京都府久世郡久御山町 - 八幡市
交差物件 木津川淀川水系)
用途 道路橋
路線名

京都府道281号八幡城陽線

1959年(昭和34年)12月18日認定
設計者
施工者
徳田敏夫
建設 1953年昭和28年)3月
座標 北緯34度52分5.38秒 東経135度44分52.45秒 / 北緯34.8681611度 東経135.7479028度 / 34.8681611; 135.7479028
構造諸元
形式 流れ橋
材料 木材、一部はコンクリート
全長 356.5m
3.3 m(有効幅員3.0m)
最大支間長 10.1m (2016年3月現在)
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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上津屋橋(こうづやばし)は、日本京都府久世郡久御山町八幡市を結ぶ、木津川に架けられた木橋である。が増水すると橋桁が流される構造を持つ流れ橋であることから、流れ橋(ながればし)[1]、あるいは木津川流れ橋(きづがわ ながればし)八幡流れ橋(やわた ながればし)などと呼ばれることもある。

概要[編集]

上津屋橋は、京都府道281号八幡城陽線の一部に指定されている、橋長(全長)356.5 m、幅3.3 mの橋である[1]歩行者自転車の専用橋となっており、周辺住民の生活道路の一部として利用されている[1]。 手すり及び落下防止となる欄干は無く バイク・自転車は降りて通行するよう注意書きの看板があがっている。 街路灯が設置されていないため夜間は暗い。

木津川の水が増水した場合、固定されていない橋板が橋脚の上から流される構造(流れ橋)になっており、1枚あたり40 - 50 mある板が8枚[注釈 1]、ワイヤーロープで繋がれて載っているだけで、水が引いたあとは、ワイヤーロープを手繰り寄せて橋板を元に戻す仕組みになっている[1]。 橋桁が流失した場合、利用者は約500 m下流側にある新木津川大橋などへ迂回することになる[2]。新木津川大橋が開通するまでは、数 km離れた別の橋[注釈 2]迂回する必要があった。

上津屋橋の周囲は堤防の外側(注:河川の堤防は、市街地側が内側[堤内])であるため、主に畑として利用されており、民家や電柱などがない。 近代的な橋とは異なる外観を利用して時代劇ロケーション撮影地としても利用される[2]

歴史[編集]

2009年(平成21年)10月には台風18号の被害を受け、橋脚を残すのみとなった。
2015(H27)年度の大幅改修後の上津屋橋

江戸時代から明治時代の中頃まで、川の両岸地域が上津屋村という一つの農村であったことから、住民は渡し船で木津川を頻繁に往来していた。ただし、渡し船での渡河は利便性が悪かったことから、1953年(昭和28年)に少ない予算で架橋できる流れ橋を架けたのが上津屋橋の始まりである[3]

  • 1953年昭和28年)1月21日 着工。設計者の徳田敏夫[4]は京都府職員の技術者である。 
  • 1953年(昭和28年)3月 渡し船の置き換えとして完成。この当時から流れ橋であった。
  • 1953年(昭和28年)7月20- 21日 豪雨による増水で初めて橋桁が流される。以後、集中豪雨台風梅雨などで橋桁は幾度も流されている。
  • 1953年(昭和28年)8月15日 南山城水害による橋桁流出。
  • 1953年(昭和28年)9月24日 台風13号による橋桁流出(公式には同年に発生した一連の水害を一件と数え、1953年の水害によるものを最初の橋桁流出として、以降の流出被害数を累算している)。
  • 1959年(昭和34年)9月25日 伊勢湾台風による橋桁流出。
  • 1961年(昭和36年)6月24日 梅雨前線豪雨による橋桁流出。
  • 1972年(昭和47年)7月10- 17日 昭和47年7月豪雨による橋桁流出
  • 1974年(昭和49年)7月10日 豪雨による橋桁流出(建造以来、5回目)。
  • 1976年(昭和51年)9月8- 13日 台風17号による橋桁流出。
  • 1982年(昭和57年)8月1- 3日 台風10号による橋桁流出。1983年(昭和58年)4月に復旧。損失がひどかったため、橋板が取り換えられた[5]
  • 1985年(昭和60年)6月21日- 7月1日 梅雨前線豪雨と台風6号による橋桁流出。
  • 1986年(昭和61年)7月20- 22日 梅雨前線豪雨による橋桁流出。
  • 1990年平成2年)9月19- 20日 台風19号による橋桁流出(建造以来、10回目)。1991年(平成3年)2月22日に復旧。
  • 1992年(平成4年)8月19日 台風11号による橋桁流出。1993年(平成5年)3月2日に復旧。
  • 1993年(平成5年)7月5日 梅雨前線豪雨による橋桁流出。1994年(平成6年)2月28日に復旧。
  • 1994年(平成6年)9月30日 台風26号による橋桁流出。1995年(平成7年)3月16日に復旧。
  • 1995年(平成7年)5月12日 低気圧通過による豪雨、橋桁流出。1996年(平成8年)2月29日に復旧。
  • 1997年(平成9年)7月26日 台風9号による橋桁流出(建造以来、15回目)。1998年(平成10年)5月22日に復旧[6]。この復旧時に半分の区間で橋桁が流出しても損傷しにくい新工法で修復。
  • 2009年(平成21年)10月8日 台風18号の影響による増水で全ての橋桁が流出し、大きな被害を受けた[6]。全区間を新工法で修復し[7]2010年(平成22年)6月16日に復旧。
  • 2011年(平成23年)9月3日 台風12号による橋桁流出[8]。計74基のユニットのうち64基が流出(21基が損傷)し、橋脚5基が流失[9]2012年(平成24年)4月27日に復旧(復旧費用は約5千万円)。
  • 2012年(平成24年)10月1日 台風17号による橋板流出[10]。上流の三重県の大雨と高山ダムの放流の影響と見られる。2013年(平成25年)4月26日に復旧。
  • 2013年(平成25年)9月16日 台風18号による橋板流出。今回で20回目の流出。
  • 2014年(平成26年)8月9日 台風11号に伴う大雨による橋板流出。今回で21回目の流出。2011年から4年連続の流出。2016年(平成28年)3月27日に復旧。

批判と検討[編集]

橋が流れること自体が観光の大きな要素となっている。 2015年6月現在 橋桁撤去後の流れ橋

2010年代に入り、大雨による橋桁の流出が頻繁に発生しており(2011年から4年連続)、橋桁が流出すると復旧までの数ヶ月間橋が通行不能になり生活に支障が出ること、また復旧のために数千万円単位の修繕費が発生することから、地元の一部からは「府民の税金を木津川に流しているようなものだ」といった批判が出るようになっている[11]。京都府知事の山田啓二も、2014年8月の台風11号の被害を受けて「橋としての機能を果たしていない」として、橋の構造を見直し永久橋にすることも含めて検討を行う方針を明らかにした[12]

一方、永久橋の建設に必要な費用負担の問題に加え、2013年の流出では流出後に橋の近くにある流れ橋交流プラザ「四季彩館」の来場者が大幅に増加するなど、橋が流れること自体が観光の大きな要素となっていること[11]、前述のとおり2010年に近隣に第二京阪道路の新木津川大橋が開通したため橋が流れても生活への影響が少なくなっていること、さらに2014年秋を目処に川の堤防から新木津川大橋の歩道に上がれる階段の整備が予定[注釈 3]されており、完成後はさらに生活への影響が少なくなると予想されること[13]などから、永久橋への架け替えに反対する意見もある。

それらの意見を踏まえて検討した結果、2014年11月に従来の「流れ橋」構造のまま75cmかさ上げして復旧することが決定した[2][14]

構造[編集]

橋の上から撮影。木製の橋桁と橋脚、ワイヤーロープ。
橋桁は、直径30 - 40cmの北山杉156本が利用されている。

通常の桁橋では橋脚橋桁は固定してあるが、上津屋橋では橋桁は橋脚に載せてあるだけで、水位が上昇するとそのまま水に浮かんで流されるようになっている。これは、橋の強度を高めて水の圧力に耐えようとするのではなく、構造物の一部が流されてしまうことによって破壊に到る圧力を受け流すという考え方に基づく設計である(柔構造)。加えて、上流から流されてきた物が橋脚と橋桁の間に引っかかってダム様の塊を作ってしまい、それが増水によって決壊する事態も、この構造であれば未然に防ぐことができる。堤防の間を結ぶ永久橋の建設は費用がかかるため、このような構造が採用された[5]

また、流された橋桁が下流へ流失してしまう問題に対しては、橋桁を8つに分割した上で個々にロープで橋脚とつなぐ方法が採られた。これにより、橋桁は増水のたびに流されながらも流失することはほとんどなく、復旧作業の効率と経済性を高めている。しかし、流出した橋桁がうまく流れに乗って浮かび上がることができず、損傷する部分も少なくはなかった。1982年の台風10号による流出では損失がひどかったため、復旧の際に橋板が取り換えられている[5]。1997年の台風9号による流出後の復旧にあたっては、流出時の橋桁の損傷を減らすために全体の半分の区間で20枚程度の橋板を鉄製の棒で固定する「ユニット化」が実施された。2009年の流出時にユニット化の効果が確認できたため、全区間でユニット化を実施して復旧した[15]

橋脚は全73基中、久御山町側の17基がコンクリート製となっていた。

床版の木の板の枚数が1,784であるらしいことが、2007年(平成19年)6月8日放送のテレビ番組『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)で明らかになったが、同年8月28日未明に花火のものと思われる小火によって一部が損傷し、修復されたため、以後枚数は不明となった。花火による失火はその後も続き、2009年(平成21年)8月25日の未明にも橋板が17枚焼ける火災が発生している。

2015年(平成27年)11月からの復旧工事は、大規模な全面補強再建のため、総工費は約3億5千万円。橋桁と橋板は39枚[注釈 4]で構成され、3枚ずつワイヤーロープで橋脚に固定されている。水位が橋桁に達すると、乗っているだけの橋桁と橋板は浮かび上がり、13ブロックに分かれる。床板は従前の床板を再利用。橋桁は、直径30 - 40cmの北山杉156本[16]。設計上の流出頻度は、5年間に1度の流出を想定し橋面を75cm嵩上げされた。橋脚は、コンクリート製を主体とし、両端の控木は、流用可能な松杭は流用された。流木などの影響低減のため、橋脚の間隔は平均4.9(3.0 - 6.2)mから平均9.1(8.7 - 10.1)mにおよそ倍に広げ、橋脚数が40基となった[17]

画像[編集]

所在地[編集]

上津屋橋の位置(京都府内)
上津屋橋
上津屋橋
京都駅
京都駅
京都府内における 橋の位置

交通アクセス[編集]

周辺施設[編集]

橋の八幡市側には、食事・休憩・入浴・宿泊などができる総合施設、やわた流れ橋交流プラザ「四季彩館」がある(所在地:八幡市上津屋里垣内56-1)。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 2016年3月現在 工法の変更(ユニット化)により 橋板の長さは、短く成っている。
  2. ^ 上流側は3 km離れた新木津川橋、下流側は1.5 km離れた木津川大橋(国道1号)がある。
  3. ^ 2015年(平成27年)2月23日より供用開始
  4. ^ 1枚あたりの長さは、平均9m程度となっている

出典[編集]

  1. ^ a b c d ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 70.
  2. ^ a b c 「流れ橋」復旧へ 「茶の風景」と合わせ発信を”. 京都新聞 (2015年7月8日). 2015年7月26日閲覧。
  3. ^ ロム・インターナショナル(編) 2005, pp. 71-72.
  4. ^ 後年、京都府宮津市長を務めた[1][2]
  5. ^ a b c 「広報やわた」第254号(1985年5月号)3面
  6. ^ a b 流れ橋流出 建造以来16回目 台風18号、木津川増水 2009年10月10日
  7. ^ 流れ橋の復旧、新工法で橋板を鉄棒で連結、流出時の損傷減へ 京都新聞 2010年02月16日記事
  8. ^ 朝日新聞2011年9月4日付 朝刊35面(大阪本社版)
  9. ^ 何度も流れる「流れ橋」復旧工事完了、通行可能に 産経新聞 2012年5月2日
  10. ^ 木津川の流れ橋、台風で1年ぶり流される 京都新聞
  11. ^ a b 「流れ橋」流れすぎ? 多額の修復費に疑問も - 京都新聞・2013年10月27日
  12. ^ 流れ橋、京都府知事「構造見直しを」台風で4年連続流失 - 京都新聞・2014年8月12日
  13. ^ 京都)木津川で流出した流れ橋、姿現す - 朝日新聞デジタル・2014年8月12日
  14. ^ 「流れ橋」流れにくく 京都府、75センチかさ上げと強化”. 京都新聞 (2015年2月16日). 2015年7月26日閲覧。
  15. ^ 浅野 祐一、奥野 慶四郎 (2013年5月8日). “【スゴイ現場】流れる木橋、19回目の流出復元 京都・上津屋橋の修繕工事”. 日経BP. 2013年5月10日閲覧。
  16. ^ 直径30~40㎝の北山杉156本/観光情報ハウス 2017年3月13日 閲覧
  17. ^ 上津屋橋(流れ橋)あり方検討委員会/京都府 建設交通部道路建設課

参考文献[編集]

関連項目[編集]