橋杭岩

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橋杭岩(2005年)
橋杭岩(2008年8月)

橋杭岩(はしぐいいわ)は、和歌山県東牟婁郡串本町にある奇岩群。同町の大字鬮野川(くじのかわ)小字橋杭の海岸から紀伊大島方面へ大小約40の岩が南西一列におよそ850メートルもの長きにわたって連続してそそり立っている。直線上に岩が立ち並ぶ姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれている。また干潮時には岩の列中ほどに附属する弁天島まで歩いて渡ることができる。

吉野熊野国立公園に属しており、国の名勝や国の天然記念物の指定も受け観光名所となっている。また橋杭岩を通して見る朝日はとても美しいと評判で日本の朝日百選の認定も受けている。

地質[編集]

橋杭岩 合成パノラマ写真(2001年)
橋杭岩の空中写真。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成(1975年撮影)

橋杭岩は、1500万年前の火成活動により、泥岩層の間に流紋岩が貫入したものである。貫入後に差別侵食により、柔らかい泥岩部が速く侵食され、硬い石英斑岩が杭状に残されたものである。

伝説[編集]

弘法大師天の邪鬼と串本から沖合いの島まで橋をかけることが出来るか否かの賭けを行った。弘法大師が橋の杭をほとんど作り終えたところで天の邪鬼はこのままでは賭けに負けてしまうと思い、ニワトリの鳴きまねをして弘法大師にもう朝が来たと勘違いさせた。弘法大師は諦めて作りかけでその場を去った。そのため橋の杭のみが残ったという。

宝永地震との関係[編集]

橋杭岩に転がっている岩の中には、岩のそそり立つところからかなり遠くにまで転がっているものもある。これらの岩は宝永地震で起こった大きな津波によってそこまで転がったのではないかという調査結果が出ている。その証左として、元々湿ったところを好む植物・生物が死滅し、化石になったものが表面上に残っており、それらを調査したところ、宝永地震の起こった1700年代であることが明らかになっている。また、橋杭岩に散らばっている岩が動くのには秒速4メートル以上の速い流れ(流速)が必要とされ、これもこの地域で頻繁に襲来する台風から起こる波や同じく震源域に近い東南海が震源の単独地震を想定して計算された流速ではなく、東海・東南海・南海地震の連動型であった宝永地震を想定して計算された流速と一致している[1][2]

付近の施設[編集]

くしもと橋杭岩
道の駅くしもと橋杭岩
登録路線 国道42号
登録 第39回 (30025)
2013年3月27日
開駅年月日 2013年4月27日
所在地
649-3511
和歌山県東牟婁郡串本町
鬮野川1549
座標
外部リンク 国土交通省案内ページ

橋杭岩は国道42号沿いに位置する観光スポットで附近には土産物屋なども数軒見られる。干物などを売る店もある。その中でも儀平菓舗のうすかわ饅頭は土産として有名である。

2010年、串本町が和歌山東漁協の土地を買い取ったあと、熊交商事が指定管理者となり、2013年、道の駅くしもと橋杭岩を開駅した。

  • 駐車場57台
  • トイレ施設
  • 物産販売施設
    • 2階展望所
  • 橋杭観光センター

橋杭岩から新宮方面へ歩くとすぐにJR紀勢本線紀伊姫駅が、串本方面へ歩くと橋杭海水浴場がある。橋杭海水浴場の先をもっと進むとやがて串本の市街に入り串本駅に至ることもできる。なお橋杭岩の根元には大師温泉という温泉が湧出しており共同の浴場も整備されている。

  • 串本橋杭海水浴場 - 環境省による快水浴場百選に選定されている。橋杭岩は串本橋杭海水浴場から海水浴場を楽しみながら眺めることも出来る。
  • 串本町立橋杭小学校

アクセス[編集]

西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線(きのくに線)串本駅から国道42号沿いに北東約1キロメートル(徒歩20分ほど)である。潮岬から出ている熊野交通紀伊勝浦駅経由新宮行きのバスに串本駅前から乗ると橋杭岩バス停まで4分ほどでつく[3]。同線紀伊姫駅が駅としては最寄。

脚注[編集]

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  1. ^ 紀伊半島、400〜600年ごとに大津波が襲来 YOMIURI ONLINE(読売新聞) 2011年5月27日
  2. ^ 2011年6月20日放送 『news every. ローカルパート(第2部)』(中京テレビ) 「震災を考える 巨大地震の痕跡から・・・」より。
  3. ^ 熊野交通 運賃表・時刻表

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯33度29分4.0秒 東経135度47分47.7秒 / 北緯33.484444度 東経135.796583度 / 33.484444; 135.796583