二重橋

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座標: 北緯35度40分48秒 東経139度45分12秒 / 北緯35.68000度 東経139.75333度 / 35.68000; 139.75333

皇居正門鉄橋(二重橋)。右に見えるのは伏見櫓

二重橋(にじゅうばし)は、東京都千代田区千代田皇居内にある通称である。正確には皇居正門から長和殿へ向かう途上、二重橋濠に架かる鉄橋のことで、本来の名称は正門鉄橋(せいもんてつばし)である。ただし正門鉄橋と正門石橋の二つの総称としても用いられている[1][2]

正門には皇宮警察皇宮護衛官儀仗隊がおり、通常一般人は二重橋を渡ることはできない。ただし、事前に手続きをして皇居の参観をする場合は、鉄橋を渡ることができる。また、新年や天皇誕生日の皇居一般参賀時には正門が開放され許可なく渡ることができる。

沿革[ソースを編集]

橋の誤認と「二重橋」の由来[ソースを編集]

正門石橋。二重橋だと誤認されることがあるが、この石橋の奥にある正門鉄橋が「二重橋」である。
明治時代初期の西丸大手橋(フェリーチェ・ベアト撮影)、左端の西丸大手門(櫓門)は現存するが、その手前の高麗門は今はない。西丸大手橋の後方微かに見えるのが、西丸下乗橋(現二重橋の位置)。

皇居の正門(江戸城の西の丸大手門)は普段は閉じられており、天皇の即位大礼、天皇、皇后、皇太后の大葬儀など特別な行事のある時や国賓来訪の際以外は使われない。皇居の入口には皇居前広場側から見て、で造られた手前の「正門石橋」と、で作られた奥の「正門鉄橋」という2つの橋がある。位置関係は、外から皇居前広場→正門石橋→正門→正門鉄橋→中門→宮殿東庭(新宮殿前広場)→宮殿(長和殿[3])というルートをたどることになる。つまり鉄橋の方は門の内側にあり、二重橋事件(事故)はすべて石橋の方で起こったもので、後述するように総称としての二重橋であって、厳密な意味での二重橋で起こったものではない。

二つの橋は、明治17年から22年にかけての皇居御造営(明治宮殿)に際して掛け替えられた。

奥の鉄橋は、かつては江戸城の西丸下乗橋のあった位置にある。下乗橋(別名;月見橋[4])は、青銅製の擬宝珠の欄干の付いた木造橋で、壕が深かったことから途中に橋桁を渡してその上に橋を架けるという、上下二段に架けられた二重構造であったことから、「二重橋」と呼ばれるようになった。現在の鉄橋は昭和39年(1964年)に架け替えられたもので、橋桁は二重ではないが、前の通称がそのまま用いられている。手前の石橋は、江戸城の西丸大手橋があった位置にあり、現在の石橋は明治20年(1887年)の建造である。二重アーチ構造であることから俗称で眼鏡橋とも言い、「この石橋が二重橋である」と誤認されることが多いが、間違いである。大手橋は写真のような木造の橋で、もとはアーチ橋ではなかった。

「二重橋」とは正しくは奥の正門鉄橋の呼称である[5]ため、「手前の石橋と奥の鉄橋が同じ濠に2つ重なって架かる橋だから二重橋」(重架しているように見える)というのは正確な解釈ではないが、戦前の書籍にも二重橋に正門石橋の写真を用いるものが多く、一般には正門外石橋と正門内鉄橋の二つを併せて二重橋とする総称が用いられ、「宮城正門の二橋、一は石を畳み、二は鐵をもって造る…」[6]と親しまれてきた。また同様に、皇居前広場を二重橋前広場とも言った。

そもそも二重橋という名称は正式なものではなく、一般に用いられてきた俗称に過ぎない。昭和15年には官報宮廷録事にも記され、現在では通称とされているが、宮内庁や環境省等においては「二重橋」は正門鉄橋のことをさすとしながらも、2つの橋の総称としても用いられるとの二つの説明をしている。

交通[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

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  1. ^ 下記、環境省HPより。
  2. ^ 井原 1945, p.369
  3. ^ 中央部に一般参賀に皇族が立つベランダがある。
  4. ^ 同様に伏見櫓にも「月見櫓」との別称がある。
  5. ^ 船戸安之『勝海舟』291頁
  6. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 『仁山智水帖』 光村写真部、1902年http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/762062/9 国立国会図書館デジタルコレクション 

参考文献[ソースを編集]

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]