天白区

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てんぱくく ウィキデータを編集
天白区
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
名古屋市
市町村コード 23116-9
面積 21.58km2
総人口 162,623[編集]
推計人口、2024年3月1日)
人口密度 7,536人/km2
隣接自治体
隣接行政区
名古屋市千種区南区昭和区名東区瑞穂区緑区
日進市
区の木 キンモクセイ
区の花 マーガレット
天白区役所
所在地 468-8510
愛知県名古屋市天白区島田二丁目201番地
北緯35度7分21.9秒 東経136度58分30.4秒 / 北緯35.122750度 東経136.975111度 / 35.122750; 136.975111座標: 北緯35度7分21.9秒 東経136度58分30.4秒 / 北緯35.122750度 東経136.975111度 / 35.122750; 136.975111
天白区役所
外部リンク 名古屋市天白区
天白区の県内位置天白区位置図
ウィキプロジェクト

天白区(てんぱくく)は、名古屋市を構成する16行政区のひとつ。名古屋市の東部に位置し、住宅地の性格が強い。

概要[編集]

1975年(昭和50年)2月に昭和区から分区独立して誕生した名古屋市の中で一番新しい区 。

地名の由来[編集]

天白の名は、1906年(明治39年)に愛知郡天白村が成立したときに区域を流れる川(天白川)から名前を採ったことに始まる。

天白川の名前は、河口付近(緑区鳴海町天白橋)に天白神が祀られていたことに由来し、そこからやや上流の天白区野並から下流は、江戸時代に埋め立てが進むまでは、年魚市潟[注 1]と呼ばれた干潟であった。 天白橋付近に渡し場があり、船で笠寺・熱田方面に向かい、陸路の場合は、野並より上流で渡っていた。

そこで祭られていた天白神は緑区鳴海町の成海神社から、現在の緑区白土の熊野日白社として祀られている。 天白神とは、洪水から田畑を守る神といわれたり、養蚕との関連、瀬織津姫との関連性を指摘する学説もある。

地理[編集]

地形[編集]

天白川および植田川周辺の平坦な地形と区北部の植田山、西部の音聞山、南部の相生山に見られるような丘陵地を合わせ持つ。また、平針の森にはトウカイモウセンゴケが生えている。森は子ども達の遊び場や、豪雨時に水を蓄える役割などを持つが、その一部の「平針の里山」はCOP10開催中の2010年から開発が始まり、河村たかし市長が買い取りを計画したり「平針の里山保全協議会」が保全に向けての取り組みをしたものの、2012年には住宅地として分譲を始めた。また、かつては天白渓などの景勝地も存在した。

山岳[編集]

主な山
  • 相生山 - 四等三角点「相生山」
  • 秋葉山
  • 植田山
  • 音聞山
  • 八事山
  • 御幸山
  • 表山
  • 裏山 - 四等三角点「裏山」
  • 一ツ山
  • 権現山 - 植田本町二丁目付近。
  • 焼山 - 植田北小学校付近。

河川[編集]

主な川

湖沼[編集]

主な池
  • 荒池
  • 大堤池
  • 細口池
  • 本地池
  • 大根池
  • 天白渓下池
  • 新池
  • 双子池
  • 戸笠池

地域[編集]

区内の町名[編集]

人口[編集]

天白区の人口の推移
2000年(平成12年) 153,272人
2005年(平成17年) 157,993人
2010年(平成22年) 158,788人
2015年(平成27年) 162,850人
2020年(令和2年) 164,915人
総務省統計局 国勢調査より[1]

隣接自治体・行政区[編集]

名古屋市の行政区
他の市町村

歴史[編集]

尾張名所図会野並の梅」

中世[編集]

室町時代[編集]

天白川流域に鳴海荘の一部として水田が広がる。

戦国時代[編集]

鳴海荘の横地氏植田城を天白川沿いに造り、今川氏の側について川ぞいの領主となる。一方丘陵地帯ぞいでは織田信長の妹の婿である牧長義が、島田城を修理し出城に構え、牧虎蔵を城主とし、織田方につき、ため池による新田開発を始めていた。 牧氏は、桶狭間の戦い丹下砦に配備され功績をあげている。織田信長は桶狭間の合戦以前から、今川方と、現在の名東区・天白区から西三河に至るまでの丘陵地帯の領地紛争にからんだ戦闘をしており、平針の秋葉山慈眼寺で、戦勝祈願をしていた。

近世[編集]

江戸時代[編集]

植田村は伝馬除地(免租地)、野並村熱田神宮領、平針村は桶狭間の戦いの元今川方浪人の村瀬氏が飯田街道と岡崎姫街道が交差する平針の宿を開き、島田村とともに、尾張藩の領地となった。

近代[編集]

明治時代[編集]

現代[編集]

昭和時代[編集]

  • 1955年昭和30年)天白村が名古屋市に編入合併されて、昭和区天白町になる。
  • 1975年(昭和50年)昭和区天白町が分区し、天白区になる。一部(梅森坂学区)は名東区になる。

平成時代[編集]

出先機関・施設[編集]

国家機関[編集]

厚生労働省[編集]

施設[編集]

天白警察署
名古屋記念病院
名古屋市天白図書館
天白郵便局
天白スポーツセンター

警察[編集]

本部
交番
  • 植田交番(植田本町二丁目)
  • 植田南交番(植田三丁目)
  • 原交番(原四丁目)
  • 平針交番(平針三丁目)
  • 平針南交番(平針南一丁目)
  • 島田交番(高宮町)
  • 野並交番(野並二丁目)
  • 音聞山交番(音聞山)

消防[編集]

本部
消防署
出張所
  • 植田出張所(天白区焼山1-807)
  • 島田出張所(天白区島田3-301)

医療・福祉[編集]

主な病院

郵便局[編集]

主な郵便局

図書館[編集]

主な図書館

文化施設[編集]

運動施設[編集]

対外関係[編集]

姉妹都市・提携都市[編集]

政令指定都市行政区では珍しく、長野県中川村と「ふれあい協定」を結んでおり、友好都市を持っている。

国内[編集]

友好都市

経済[編集]

八事ロマンロード専門店街
ヴィレッジヴァンガード本店

第三次産業[編集]

天白区内の野並瑞穂区昭和区・天白区に跨る八事と言った商業地がある。

商業[編集]

主な繁華街
主な商業施設

区内に本社・本店を置く企業[編集]

交通[編集]

原駅ターミナルビル

鉄道[編集]

区役所最寄駅は塩釜口駅だが、どの駅からも距離がある。植田駅・鳴子北駅などのバスターミナルから市バスに乗り換え、「島田」バス停下車が便利。この他に区域から徒歩圏内にある駅として、八事駅(昭和区)、赤池駅(日進市)、相生山駅(緑区)がある。

区役所の最寄駅:塩釜口駅

鉄道路線[編集]

名古屋市交通局 名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)

その他、 名城線八事駅(昭和区)の西側(総合リハビリセンター駅方)で僅かながら当区を通過している。

バス[編集]

路線バス[編集]

バスターミナル[編集]

道路[編集]

植田IC
国道302号(中平四丁目交差点付近)

高速道路[編集]

自動車専用道路

国道[編集]

一般国道

県道[編集]

主要地方道
一般県道

市道[編集]

主要地方道

幹線道路の道路通称名[編集]

<南北の道路>
<東西の道路>

教育[編集]

平針運転免許試験場

大学[編集]

私立

専修学校[編集]

高等学校[編集]

県立
市立
私立

中学校[編集]

市立

小学校[編集]

市立

特別支援学校[編集]

市立

その他[編集]

自動車学校

観光[編集]

島田城
慈眼寺
針名神社
名古屋市農業センター
島田緑地自然生態園
天白公園

名所・旧跡[編集]

主な城郭
主な神社
主な寺院
  • 秀伝寺 
  • 慈眼寺 
  • 泰増寺 
  • 栄久寺
  • 泉称寺
  • 全久寺
  • 一乗院
  • 法林寺
  • 教心寺
  • 政秀寺
  • 東連寺
  • 淨久寺
  • 常楽寺
  • 聖徳寺
  • 一心寺
  • 高照寺 
  • 善光寺 
  • 日光院 
  • 仏地院 
  • 大学院 
  • 地蔵寺 
  • 政林禅寺 
  • 徳林寺[注 2]
  • 観音寺

観光スポット[編集]

文化施設
主な緑地
主な公園
その他

文化・名物[編集]

祭事・催事[編集]

主な催事

名産・特産[編集]

出身・関連著名人[編集]

スポーツ選手[編集]

ミュージシャン[編集]

アナウンサー[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 年魚市潟あゆちがたとは、氷河期の終わりに縄文海進と呼ばれる海面上昇により出現した旧愛知郡一帯にかけて広がっていた干潟のこと。
  2. ^ NHK、2020年5月10日放送の『こころの時代〜宗教・人生〜』で徳林寺が取り上げられた[3]

出典[編集]

  1. ^ 「毎月1日現在の世帯数と人口(全市・区別)」
  2. ^ 名古屋情報分析データシステム”. 2022年1月2日閲覧。
  3. ^ ともに生きること”. NHK (2021年5月23日). 2021年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月23日閲覧。
  4. ^ a b 中日新聞』1981年8月14日朝刊県内版・名古屋市民版15頁「名電 1万応援団燃える 息子よくやった 工藤の父」(中日新聞社
  5. ^ 「1983年開幕ワイド特集 開幕直前 この男たちの夢と現実と不安 工藤公康(西武) 不安見せない強心臓男の現代的開幕の迎え方」『週刊ベースボール』第38巻第17号、ベースボール・マガジン社、1983年4月18日、33-34頁。 (※1983年4月18日号・通巻第1398号)
  6. ^ 「工藤公康 不敵なマウンド度胸で日本シリーズMVP」『ベースボールアルバム』第9巻第1号、ベースボール・マガジン社、1987年12月15日、38頁。  - 通算第84号。1987年(昭和62年)1月1日発行。
  7. ^ 「'82プロ野球 12球団全選手百科名鑑」『ホームラン』1982年3月増刊号、日本スポーツ出版社、1982年3月31日、19頁。 
  8. ^ 『完全保存版 プロ野球 セ・パ両リーグ 12球団全選手カラー百科名鑑2020』433号、廣済堂出版〈廣済堂ベストムック〉、2020年2月21日、40頁。ISBN 978-4331802939  - 『ホームラン』特別編集
  9. ^ 『中日ドラゴンズ 2001ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)・中日新聞本社(発売)〈中日ドラゴンズファンブック〉、2001年3月9日、24頁。ISBN 978-4806204251 
  10. ^ 選手名鑑 田島 慎二(投手)”. 中日ドラゴンズ 公式サイト. 中日ドラゴンズ. 2020年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月16日閲覧。
  11. ^ 「育成2位石田健人マルク」『月刊ドラゴンズ』2017年12月号、中日新聞社、p.17
  12. ^ 選手名鑑 石田 健人マルク(投手)”. 中日ドラゴンズ 公式サイト. 中日ドラゴンズ. 2020年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月16日閲覧。
  13. ^ 佐藤啓の「ご歓談ください」:中京テレビ アナウンスルーム » 「スポーツスタジアム」で偉大なる後輩にインタビュー!!”. 中京テレビ放送 (2011年8月9日). 2019年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月4日閲覧。

外部リンク[編集]