龍口寺

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龍口寺
Ryukoji01.jpg
本堂、後背部は五重塔
所在地 神奈川県藤沢市片瀬三丁目13-37
位置 北緯35度18分42.17秒
東経139度29分21.69秒
座標: 北緯35度18分42.17秒 東経139度29分21.69秒
山号 寂光山
宗派 日蓮宗
寺格 本山(霊跡寺院)
本尊 日蓮聖人像曼荼羅
創建年 延元2年(建武4年、1337年
開基 日法
正式名 寂光山 龍口寺
別称 片瀬のお祖師様(おそっすさま)
札所等 日蓮上人霊跡
公式HP 日蓮宗霊跡本山 寂光山龍口寺 公式ホームページ
地図
龍口寺の位置(神奈川県内)
龍口寺
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龍口刑場跡
仏舎利塔
島村采女墓
大書院(旧松代藩藩邸)
五重塔

龍口寺(りゅうこうじ)は、神奈川県藤沢市片瀬龍口刑場跡に建つ日蓮宗の本山(霊蹟寺院)。山号は寂光山(じゃくこうさん)。略字体を用いて「竜口寺」と称す場合もある。

縁起[編集]

この地はかつて刑場跡で、文永8年(1271年9月12日に日蓮宗の開祖日蓮が処刑されそうになった[1]。この事件を日蓮宗では龍ノ口法難と呼ぶ。

その後延元2年(建武4年、1337年)に日蓮の弟子、日法がこの地を「龍ノ口法難霊蹟」として敷皮堂という堂を建立し、自作の祖師像(日蓮像)と首敷皮を置いたのが龍口寺の始まりと伝わる。

なお、本格的な寺としての格式を整えたのは腰越・国人で日蓮宗の信奉篤い島村采女が慶長6年(1601年)に土地を寄進して以来のこととされている。

1886年明治19年)までは選任住職を置かず、片瀬八ヶ寺が輪番で維持していた。

現住は15世本間日恩貫首(台東区善慶寺より晋山)、池上法縁五本山の一つ。

伽藍・史蹟[編集]

本堂
天保3年(1832年)竣工。法難時に日蓮が足元に敷いていた敷皮が安置されているため[1]、敷皮堂ともよぶ。木造造り。
五重塔
明治43年(1910年)竣工。木造ケヤキ造で五重塔としては神奈川県で唯一。建造には竹中工務店が携わった。彫刻は一元流(藤沢彫川)の一元安信。全国的にも数少ない明治期の五重塔だが、近年老朽化が目立つ。
仏舎利塔
昭和45年(1971年)9月12日竣工。龍口法難700年を記念し日本山妙法寺(藤井日達上人)が建立。塔内には仏舎利が安置されている。龍口寺裏山(龍口山)の高台にあり、かつては江ノ島相模湾を一望のもとにできたが、国道134号国道467号沿いに複数の高層ビルが建って以降、視界がビルにさえぎられるようになった。
御霊窟
龍ノ口法難の際に日蓮が入れられていたとされる土牢。中には祖師像が安置されている。
島村采女墓
龍口寺に寺領を寄進した島村采女はじめ、島村家代々の墓。本堂すぐ脇にある。
大書院
昭和初年長野県信濃国松代藩の藩邸を移築、(通称:養蚕御殿)現在は大書院として使用。
七面堂
光松妙見堂(旧法善坊)
萬人歯骨塚
明治14年(1881年)、水野房吉という入歯師が、歯・入歯の供養と入歯師の技術向上を願って建立したもの。(社)藤沢市歯科医師会では10年前に整備し、以来毎年6月の第一日曜日に供養祭を開催している。

片瀬八ヶ寺[2] [編集]

片瀬八ヶ寺は、龍口寺を交代で管理した、片瀬、腰越の8つの寺院で、いずれも山号を龍口山という。龍口寺輪番八ヶ寺とも呼ばれる。文化財指定なし。

この輪番制度は、1337年(延元2年)の敷皮堂建立から1886年(明治19年)太政官布達により龍口寺に住職が置かれるまでおよそ550年存続した。龍口寺建立以前から、日蓮宗徒から龍口刑場の地は神聖視され、護持のため腰越の六寺が順次建立された。その後、片瀬の寺院が日蓮宗に改宗され、輪番に追加された。

なお、類似の輪番制度は、佛現寺や、身延山久遠寺の日蓮廟でも行われた。

旧末寺[編集]

日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。

  • 妙鏡山川合寺(横浜市西区元久保町)
    • 川合寺末:長国山妙松寺(甲府市朝日)
    • 川合寺末:本光山燈明寺(木津川市加茂町兎並)
  • 妙見山上原寺(埼玉県北葛飾郡杉戸町鷲巣)

行事・イベント[編集]

龍口法難会
日蓮の龍ノ口法難を記念して毎年9月11日~13日に行われる。12日の夜18時、13日の夜0時に大法要が営まれ、参拝者には難除け牡丹餅が振舞われる。万灯練供養は12日夜に行なわれる。
湘南龍の口大骨董市
毎月第三日曜日に境内で開かれる骨董市。近辺の骨董品店を中心に出店している。
片瀬諏訪神社例大祭
毎年8月27日に行われ、パレード前の夕刻に片瀬の山車、屋台、下社神輿が龍口寺門前に集結する。

交通[編集]

鉄道[編集]

バス[編集]

脚注[編集]

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注釈

出典

  1. ^ a b 鎌倉市教育委員会『かまくら子ども風土記』p184
  2. ^ 「鎌倉の刑場龍の口」清田義英著 51ページ

参考文献[編集]

外部リンク[編集]