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== 概観 == |
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[[今村昌平]] |
[[映画監督]]・[[今村昌平]]が設立した'''日本映画学校'''を発展改組する形で2011年に開学した。日本では初となる[[映画学|映画学部]]のみの単科大学である。 |
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[[太平洋戦争]]中に存在した[[日本映画学校 (戦前)|日本映画学校]]とは全く関係がない。 |
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理念には、今村昌平が遺した言葉が使用されている<ref>[http://www.eiga.ac.jp/about/mission.html 日本映画大学・建学の理念と精神] </ref>。 |
理念には、今村昌平が遺した言葉が使用されている<ref>[http://www.eiga.ac.jp/about/mission.html 日本映画大学・建学の理念と精神] </ref>。 |
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前身の日本映画学校時代から[[映画監督]]、[[脚本家]]、[[俳優]]を始めとした[[映画スタッフ]]を数多く輩出している。映画学校時代の特徴的なカリキュラムとして、3年制である映像科では理念を反映させた「人間研究」という科目を1年次に配し、2年制である俳優科は[[カリキュラム]]に「[[漫才]]」が取り入れられていたことが挙げられる。漫才の講師は[[内海桂子]]・[[内海好江|好江]]が担当していたことから、[[お笑いタレント]]も数多く輩出している(内海桂子・好江が所属している[[マセキ芸能社]]に所属する人が多い)。 |
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[[太平洋戦争]]中に存在した[[日本映画学校 (戦前)|日本映画学校]]とは全く関係がない。 |
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== 沿革 == |
== 沿革 == |
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* 1975年(昭和50年)4月 - 今村昌平が[[横浜駅]]東口の[[横浜スカイビル|スカイビル]](初代)内に、横浜放送映画専門学院(2年制・各種学校)を開校<ref>{{Cite web|url=https://npn.co.jp/article/detail/22346698|title=ウンナン、出川、ニッチェ…日本映画学校からお笑い芸人が多数出た理由とは?|publisher=リアルライブ|date=2019-11-16|accessdate=2021-05-26}}</ref> |
* 1975年(昭和50年)4月 - 今村昌平が[[横浜駅]]東口の[[横浜スカイビル|スカイビル]](初代)内に、'''横浜放送映画専門学院'''(2年制・各種学校)を開校<ref>{{Cite web|url=https://npn.co.jp/article/detail/22346698|title=ウンナン、出川、ニッチェ…日本映画学校からお笑い芸人が多数出た理由とは?|publisher=リアルライブ|date=2019-11-16|accessdate=2021-05-26}}</ref>。 |
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* 1984年(昭和59年)4月 - 留学生の募集を開始 |
* 1984年(昭和59年)4月 - 留学生の募集を開始。 |
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* 1985年(昭和60年)11月 - 学校法人神奈川映像学園設立。横浜放送映画専門学院を日本映画学校(3年制・専門学校)に改称・改組(神奈川県知事より認可) |
* 1985年(昭和60年)11月 - 学校法人神奈川映像学園設立。横浜放送映画専門学院を'''日本映画学校'''(3年制・専門学校)に改称・改組(神奈川県知事より認可)。 |
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* 1986年(昭和61年)4月 - 川崎市麻生区へ移転。今村昌平が学校法人神奈川映像学園理事長・日本映画学校校長となる。映像科・俳優科を設置 |
* 1986年(昭和61年)4月 - [[川崎市]]、[[小田急電鉄]]、映画各社等の協力により、川崎市麻生区[[新百合ヶ丘駅]]北口へ移転。今村昌平が学校法人神奈川映像学園理事長・日本映画学校校長となる。映像科・俳優科を設置。 |
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* 1992年(平成4年)4月 - 日本映画学校校長に石堂淑朗が就任 |
* 1992年(平成4年)4月 - 日本映画学校校長に[[石堂淑朗]]が就任。 |
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* 1996年(平成8年)4月 - 日本映画学校校長に佐藤忠男が就任 |
* 1996年(平成8年)4月 - 日本映画学校校長に[[佐藤忠男]]が就任。 |
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* 2004年(平成16年)11月 - 学校法人神奈川映像学園理事長に佐藤忠男が就任(日本映画学校校長と兼任となる) |
* 2004年(平成16年)11月 - 学校法人神奈川映像学園理事長に佐藤忠男が就任(日本映画学校校長と兼任となる)。 |
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* 2007年(平成19年)10月 - 学校法人神奈川映像学園理事長に佐々木史朗が就任 |
* 2007年(平成19年)10月 - 学校法人神奈川映像学園理事長に[[佐々木史朗 (映画プロデューサー)|佐々木史朗]]が就任。 |
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* 2010年(平成22年)10月 - [[文部科学省]]より日本映画大学設置認可 |
* 2010年(平成22年)10月 - [[文部科学省]]より日本映画大学設置認可。 |
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* 2011年(平成23年)4月 - 日本映画大学 |
* 2011年(平成23年)4月 - '''日本映画大学'''が発足。日本映画学校は新入生の受け入れを停止(映画学部映画学科)。 |
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* 2012年(平成24年)3月 - 日本映画学校 |
* 2012年(平成24年)3月 - 日本映画学校 俳優科を廃止。 |
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* 2013年(平成25年)3月 - 日本映画学校 |
* 2013年(平成25年)3月 - 日本映画学校 映像科を廃止し、日本映画学校は閉校。 |
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== 基礎データ == |
== 基礎データ == |
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**** 文芸コース |
**** 文芸コース |
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かつての組織 |
;かつての組織 |
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* 映画学部 |
* 映画学部 |
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** 映画学科(特記のない限り、開学時からのカリキュラムに基づいた「系」と「コース」) |
** 映画学科(特記のない限り、開学時からのカリキュラムに基づいた「系」と「コース」) |
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なお、日本映画大学では、2年次前半までは全員同一のカリキュラムとなり、以降は6コースに分かれて履修する。 |
なお、日本映画大学では、2年次前半までは全員同一のカリキュラムとなり、以降は6コースに分かれて履修する。 |
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==== 日本映画学校時代 ==== |
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*映像科(3年制) |
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*:2年次より下記のコースに分かれていた。また、他コースとの合同授業やゼミナール形式で開講される科目もあった。 |
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**映画演出コース |
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**脚本演出コース |
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**映像ジャーナルコース |
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**撮影・照明コース |
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**映像編集コース |
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**音響クリエイターコース |
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*俳優科(2年制) |
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== 関係者一覧 == |
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{{注意|[[プロジェクト:大学/人物一覧記事について]]の編集方針(ガイドライン)「記載する人物」により、'''単独記事のない人物(赤リンクまたはリンクなし)は掲載禁止'''となっています。'''記事のある人物のみ'''追加してください。|date=2013年8月}} |
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=== 教職員 === |
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==== 学長 ==== |
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*[[佐藤忠男]](初代学長を経て名誉学長) |
*[[佐藤忠男]](初代学長を経て名誉学長) |
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*[[天願大介]](初代学科長、2代学部長を経て2代学長) |
*[[天願大介]](初代学科長、2代学部長を経て2代学長) |
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=== 学科長 === |
==== 学科長 ==== |
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*[[緒方明]](3代学科長) |
*[[緒方明]](3代学科長) |
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=== 教授 === |
==== 教授 ==== |
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*[[阿部亙英]] |
*[[阿部亙英]] |
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*[[荒井晴彦]](元教授) |
*[[荒井晴彦]](元教授) |
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※50音順 |
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=== 准教授 === |
==== 准教授 ==== |
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*[[大澤信亮]] |
*[[大澤信亮]] |
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*[[斎藤久志]] |
*[[斎藤久志]] |
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=== 特任・客員教授 === |
==== 特任・客員教授 ==== |
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*[[荒井晴彦]] |
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*[[尾上克郎]] |
*[[尾上克郎]] |
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*[[千葉茂樹]] |
*[[千葉茂樹]] |
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=== 卒業生 === |
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{{main2|過去の出身者等|日本映画学校}} |
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*池田直人([[レインボー (お笑いコンビ)]]) |
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=== 日本映画学校時代 === |
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== 関係機関等 == |
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==== 教職員 ==== |
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=== 麻生区6大学公学協働ネットワーク === |
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* 麻生区 |
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* [[昭和音楽大学]] |
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* [[玉川大学]] |
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* [[田園調布学園大学]] |
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* [[明治大学]] |
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* [[和光大学]] |
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=== 学術交流協定締結校 === |
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* [[韓国国立芸術総合大学]] |
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* [[国立台北芸術大学]] |
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* [[北京電影学院]] |
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* [[インドネシア国立ジャカルタ芸術大学]] |
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* [[全ロシア国立映画大学]] |
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* [[台北メディアスクール]] |
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=== 包括的連携協定 === |
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* 昭和音楽大学 |
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=== 地方自治体等 === |
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* 一般社団法人白山まちづくり協議会 |
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== 日本映画学校 == |
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[[Image:Japan Academy of Moving Images.jpg|thumb|right|220px|日本映画学校]] |
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=== 概要 === |
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理念に、「日本映画学校は、人間の尊厳、公平、自由と個性を尊重する。個々の人間に相対し、人間とはかくも汚濁にまみれているものか、人間とはかくもピュアなるものか、何とうさんくさいものか、何と助平なものか、何と優しいものか、何と弱々しいものか、人間とは何と滑稽なものなのかを、真剣に問い、総じて人間とは何と面白いものかを知って欲しい。 |
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そしてこれを問う己は一体何なのかと反問して欲しい。個々の人間観察をなし遂げる為にこの学校はある。」とあるように、一貫して人間探求のカリキュラムを組み、[[映画監督]]、[[脚本家]]、[[俳優]]を始めとして[[映画スタッフ]]が数多く輩出していた。特徴的なカリキュラムとして、3年制である映像科は理念を反映させた「人間研究」という科目を1年次に配し、2年制である俳優科は[[カリキュラム]]に「[[漫才]]」が取り入れられていたことが挙げられる。漫才の講師は[[内海桂子]]・[[内海好江|好江]]が担当していたことから、[[お笑いタレント]]も数多く輩出している(内海桂子・好江が所属している[[マセキ芸能社]]に所属する人が多い)。 |
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{{Anchors|日本映画学校の沿革}} |
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=== 沿革 === |
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*[[1975年]]4月:[[今村昌平]]が学院長として[[横浜スカイビル]]に「横浜放送映画専門学院」を開校。この頃は「今平学校」と呼ばれる。 |
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*[[1984年]]:留学生の募集を開始する。 |
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*[[1985年]]:学校法人神奈川映像学園が設立され、3年制の専門学校として神奈川県より設置認可を受ける。名称を「日本映画学校」と改称。 |
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*[[1986年]]:[[川崎市]]、[[小田急電鉄]]、映画各社等の協力により、[[新百合ヶ丘駅]]北口に新校舎を設置し、移転。今村昌平が理事長・学校長に就任。 |
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*[[1992年]]:今村昌平は理事長に専念することとなり、学校長が[[石堂淑朗]]となる。 |
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*[[1995年]]:卒業制作映画を外部劇場で上映するようになる。 |
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*[[1996年]]:[[映画評論家]]の[[佐藤忠男]]が学校長に就任。 |
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*[[2004年]]:理事長・学校長が佐藤忠男となる。 |
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*[[2007年]]:理事長が[[佐々木史朗 (映画プロデューサー)|佐々木史朗]]となる。 |
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*[[2011年]]:'''日本映画大学'''が発足。新入生の受け入れ停止。 |
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*[[2013年]]:日本映画大学への全面移行により閉校。[http://www.eiga.ac.jp/gakkou/news/index.php?id=20120531] |
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=== 学科 === |
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*映像科(3年制) |
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*:2年次より下記のコースに分かれていた。また、他コースとの合同授業やゼミナール形式で開講される科目もあった。 |
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**映画演出コース |
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**脚本演出コース |
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**映像ジャーナルコース |
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**撮影・照明コース |
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**映像編集コース |
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**音響クリエイターコース |
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*俳優科(2年制) |
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=== 所在地 === |
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新百合ヶ丘校舎(日本映画大学新百合ヶ丘キャンパス) |
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*[[神奈川県]][[川崎市]][[麻生区]]万福寺一丁目16-30 |
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=== 講師陣 === |
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;映像科1年 |
;映像科1年 |
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=== 卒業 |
==== 卒業生 ==== |
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横浜スカイビルに所在していた時(横浜放送映画専門学院)の卒業生は横浜○期、日本映画学校の卒業生は映画学校○期と呼称している。 |
横浜スカイビルに所在していた時(横浜放送映画専門学院)の卒業生は横浜○期、日本映画学校の卒業生は映画学校○期と呼称している。 |
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==== 監督・演出 ==== |
===== 監督・演出 ===== |
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*[[月野木隆]](横浜1期) |
*[[月野木隆]](横浜1期) |
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*[[加瀬聡]] |
*[[加瀬聡]] |
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*[[タートル今田]] |
*[[タートル今田]] |
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*[[本広克之]] |
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==== 脚本家・作家 ==== |
===== 脚本家・作家 ===== |
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*[[河本瑞貴]](横浜2期) |
*[[河本瑞貴]](横浜2期) |
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==== プロデューサー ==== |
===== プロデューサー ===== |
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*[[市川幸嗣]](横浜3期) |
*[[市川幸嗣]](横浜3期) |
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==== 撮影・照明 ==== |
===== 撮影・照明 ===== |
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*[[田中一成 (映画カメラマン)|田中一成]](横浜1期) |
*[[田中一成 (映画カメラマン)|田中一成]](横浜1期) |
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==== 録音・音響 ==== |
===== 録音・音響 ===== |
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*[[土屋和之]](横浜1期) |
*[[土屋和之]](横浜1期) |
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==== 編集 ==== |
===== 編集 ===== |
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*[[掛須秀一]](横浜1期) |
*[[掛須秀一]](横浜1期) |
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==== スクリプター ==== |
===== スクリプター ===== |
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*[[生田透子]] |
*[[生田透子]] |
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*[[森直子]] |
*[[森直子]] |
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*[[柳沼由加里]] |
*[[柳沼由加里]] |
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==== 美術・大道具・塗装 ==== |
===== 美術・大道具・塗装 ===== |
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*[[福澤勝広]](横浜5期) |
*[[福澤勝広]](横浜5期) |
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*[[原田哲男]](横浜10期) |
*[[原田哲男]](横浜10期) |
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*[[松塚隆史]] |
*[[松塚隆史]] |
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==== VFX ==== |
===== VFX ===== |
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*[[松本肇]](ビジュアルエフェクト スーパーバイザー) |
*[[松本肇]](ビジュアルエフェクト スーパーバイザー) |
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==== 俳優 ==== |
===== 俳優 ===== |
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*[[隆大介]](横浜1期) |
*[[隆大介]](横浜1期) |
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==== お笑いタレント ==== |
===== お笑いタレント ===== |
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*[[ピックルス]](横浜6期) |
*[[ピックルス]](横浜6期) |
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*[[象さんのポット]](横浜7期) |
*[[象さんのポット]](横浜7期) |
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*[[古坂大魔王]](映画学校7期※中退) |
*[[古坂大魔王]](映画学校7期※中退) |
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*[[狩野英孝]] |
*[[狩野英孝]] |
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*平子祐希([[アルコ&ピース]]) |
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*[[こばやしけん太]] |
*[[こばやしけん太]] |
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*[[桐野安生]] |
*[[桐野安生]] |
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==== その他 ==== |
===== その他 ===== |
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*[[馮智英]]([[歌手]])(横浜1期) |
*[[馮智英]]([[歌手]])(横浜1期) |
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*[[小島康史]]([[大学教員|大学教授]])(日本映画学校1期) |
*[[小島康史]]([[大学教員|大学教授]])(日本映画学校1期) |
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*[[COCHAE|軸原ヨウスケ]](グラフィックデザイナー) |
*[[COCHAE|軸原ヨウスケ]](グラフィックデザイナー) |
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== 劇場公開された卒業制作作品 == |
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=== 日本映画学校時代 === |
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*バナナシュート裁判(1989年 [[佐藤闘介]]監督) |
*バナナシュート裁判(1989年 [[佐藤闘介]]監督) |
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*[[らせんの素描]](1991年 [[小島康史]]監督) |
*[[らせんの素描]](1991年 [[小島康史]]監督) |
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*私をみつめて(2004年 [[木村茂之]]監督) |
*私をみつめて(2004年 [[木村茂之]]監督) |
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*アヒルの子(2005年 [[小野さやか]]監督) |
*アヒルの子(2005年 [[小野さやか]]監督) |
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== 関係機関等 == |
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=== 麻生区6大学公学協働ネットワーク === |
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* 麻生区 |
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* [[昭和音楽大学]] |
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* [[玉川大学]] |
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* [[田園調布学園大学]] |
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* [[明治大学]] |
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* [[和光大学]] |
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=== 学術交流協定締結校 === |
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* [[韓国国立芸術総合大学]] |
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* [[国立台北芸術大学]] |
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* [[北京電影学院]] |
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* [[インドネシア国立ジャカルタ芸術大学]] |
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* [[全ロシア国立映画大学]] |
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* [[台北メディアスクール]] |
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=== 包括的連携協定 === |
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* 昭和音楽大学 |
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=== 地方自治体等 === |
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* 一般社団法人白山まちづくり協議会 |
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=== 関連項目 === |
=== 関連項目 === |
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{{Anchors|神奈川映像学園}} |
{{Anchors|神奈川映像学園}} |
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{{Anchors|学校法人神奈川映像学園}}学校法人神奈川映像学園 |
{{Anchors|学校法人神奈川映像学園}}学校法人神奈川映像学園 |
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== 学校法人神奈川映像学園 == |
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'''学校法人神奈川映像学園'''は神奈川県川崎市[[麻生区]]に事務所を置く学校法人である<ref>{{Cite web |date= 2010-02-18|url= http://www.dsecchi.mext.go.jp/d_1010n/pdf/nihoneiga_1010nsecchi_syushi13.pdf|title= 学校法人神奈川映像学園(仮称)日本映画大学のインターンシップ制度の支援について|format=PDF |publisher= |accessdate=2018-08-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160130131915/http://www.dsecchi.mext.go.jp/d_1010n/pdf/nihoneiga_1010nsecchi_syushi13.pdf|archivedate=2016-01-30}}</ref>。 |
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=== 沿革 === |
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{{see|#日本映画学校の沿革}} |
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=== 設置する学校 === |
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*[[#日本映画学校|日本映画学校]] 2013年3月まで |
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*日本映画大学 2011年4月から |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2021年8月13日 (金) 12:33時点における版
日本映画大学 | |
---|---|
大学設置 | 2011年 |
創立 | 1975年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人神奈川映像学園 |
本部所在地 | 神奈川県川崎市麻生区万福寺一丁目16-30 |
キャンパス |
新百合ヶ丘(川崎市麻生区) 白山(川崎市麻生区) |
学部 | 映画学部 |
ウェブサイト | https://www.eiga.ac.jp/index.html |
日本映画大学(にほんえいがだいがく、英語: Japan Institute of the Moving Image)は、神奈川県川崎市麻生区万福寺一丁目16-30に本部を置く日本の私立大学。1975年創立、2011年大学設置。
概観
映画監督・今村昌平が設立した日本映画学校を発展改組する形で2011年に開学した。日本では初となる映画学部のみの単科大学である。
理念には、今村昌平が遺した言葉が使用されている[1]。
前身の日本映画学校時代から映画監督、脚本家、俳優を始めとした映画スタッフを数多く輩出している。映画学校時代の特徴的なカリキュラムとして、3年制である映像科では理念を反映させた「人間研究」という科目を1年次に配し、2年制である俳優科はカリキュラムに「漫才」が取り入れられていたことが挙げられる。漫才の講師は内海桂子・好江が担当していたことから、お笑いタレントも数多く輩出している(内海桂子・好江が所属しているマセキ芸能社に所属する人が多い)。
沿革
- 1975年(昭和50年)4月 - 今村昌平が横浜駅東口のスカイビル(初代)内に、横浜放送映画専門学院(2年制・各種学校)を開校[2]。
- 1984年(昭和59年)4月 - 留学生の募集を開始。
- 1985年(昭和60年)11月 - 学校法人神奈川映像学園設立。横浜放送映画専門学院を日本映画学校(3年制・専門学校)に改称・改組(神奈川県知事より認可)。
- 1986年(昭和61年)4月 - 川崎市、小田急電鉄、映画各社等の協力により、川崎市麻生区新百合ヶ丘駅北口へ移転。今村昌平が学校法人神奈川映像学園理事長・日本映画学校校長となる。映像科・俳優科を設置。
- 1992年(平成4年)4月 - 日本映画学校校長に石堂淑朗が就任。
- 1996年(平成8年)4月 - 日本映画学校校長に佐藤忠男が就任。
- 2004年(平成16年)11月 - 学校法人神奈川映像学園理事長に佐藤忠男が就任(日本映画学校校長と兼任となる)。
- 2007年(平成19年)10月 - 学校法人神奈川映像学園理事長に佐々木史朗が就任。
- 2010年(平成22年)10月 - 文部科学省より日本映画大学設置認可。
- 2011年(平成23年)4月 - 日本映画大学が発足。日本映画学校は新入生の受け入れを停止(映画学部映画学科)。
- 2012年(平成24年)3月 - 日本映画学校 俳優科を廃止。
- 2013年(平成25年)3月 - 日本映画学校 映像科を廃止し、日本映画学校は閉校。
基礎データ
所在地
- 新百合ヶ丘キャンパス(神奈川県川崎市麻生区万福寺1-16-30 元日本映画学校校舎、北緯35度36分18.0秒 東経139度30分27.1秒)
- 白山キャンパス(神奈川県川崎市麻生区白山2-1-1 映画撮影スタジオ・元川崎市立白山小学校校舎、北緯35度35分29.4秒 東経139度30分44.1秒)
教育および研究
学部
- 映画学部
- 映画学科(以下2018年度からの新カリキュラムに基づく「系」と「コース」)
- 演出系
- 演出コース
- 身体表現・俳優コース
- ドキュメンタリーコース
- 技術系
- 撮影照明コース
- 録音コース
- 編集コース
- 文章系
- 脚本コース
- 文芸コース
- 演出系
- 映画学科(以下2018年度からの新カリキュラムに基づく「系」と「コース」)
- かつての組織
- 映画学部
- 映画学科(特記のない限り、開学時からのカリキュラムに基づいた「系」と「コース」)
- 創作系
- 脚本演出コース
- 撮影照明コース
- 録音コース
- 編集コース
- ドキュメンタリーコース
- 理論系
- 理論系Aコース(2011年度入学者)
- 理論系Bコース(2011年度入学者)
- 理論コース(2012年度入学者。上記の2コースを統合した)
- 映画・映像文化コース(2013年度入学者より受け入れ)
- 身体表現・俳優コース(2016年度入学生より受け入れ/開設前は「身体表現(俳優)コース」と告知された)
- 創作系
- 映画学科(特記のない限り、開学時からのカリキュラムに基づいた「系」と「コース」)
なお、日本映画大学では、2年次前半までは全員同一のカリキュラムとなり、以降は6コースに分かれて履修する。
日本映画学校時代
- 映像科(3年制)
- 2年次より下記のコースに分かれていた。また、他コースとの合同授業やゼミナール形式で開講される科目もあった。
- 映画演出コース
- 脚本演出コース
- 映像ジャーナルコース
- 撮影・照明コース
- 映像編集コース
- 音響クリエイターコース
- 俳優科(2年制)
関係者一覧
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教職員
学長
学科長
- 緒方明(3代学科長)
教授
※50音順
准教授
※50音順
特任・客員教授
卒業生
- 池田直人(レインボー (お笑いコンビ))
日本映画学校時代
教職員
- 映像科1年
- 担任
- 講師
ほか
- 映像科2・3年
卒業生
横浜スカイビルに所在していた時(横浜放送映画専門学院)の卒業生は横浜○期、日本映画学校の卒業生は映画学校○期と呼称している。
監督・演出
- 川口浩史(映画学校5期)
- 小沼雄一(映画学校7期)
- 黒川竹春(映画学校8期)
- 窪田将治(映画学校9期)
- 菱沼康介(映画学校9期)
- 草野陽花(映画学校11期)
- 林田賢太(映画学校11期)
- 松江哲明(映画学校11期)
- 李相日(映画学校11期)
- 島田伊智郎(映画学校13期)
- ジョン・ヒジリ(映画学校13期)
- 今田哲史(映画学校15期)
- 木村茂之(映画学校16期)
- 寺田明人(映画学校16期)
- 福田陽平(映画学校16期)
- 松林要樹(映画学校16期)
- 小野さやか(映画学校17期)
- 藤村享平(映画学校17期)
- 中井邦彦(映画学校18期)
- 岩永洋(映画学校19期)
- 石田秀範
- 市野龍一
- 小川王子
- 押田興将
- 権野元
- 木下高男
- 木村ひさし
- 合田経郎
- 塩崎遵
- 七字幸久
- 新藤風
- 高橋渉
- 多胡由章
- 中野量太
- 橋本信一
- 橋本渉
- 増井壮一
- 山口晃二
- 山口雄大
- 中村大哉
- 加瀬聡
- タートル今田
- 本広克之
脚本家・作家
プロデューサー
撮影・照明
録音・音響
編集
スクリプター
美術・大道具・塗装
VFX
- 松本肇(ビジュアルエフェクト スーパーバイザー)
俳優
お笑いタレント
- ピックルス(横浜6期)
- 象さんのポット(横浜7期)
- ウッチャンナンチャン…内村光良・南原清隆(横浜9期)
- 出川哲朗(横浜9期)
- バカリズム(映画学校9期)
- ファンキーモンキークリニック(映画学校7期)
- 古坂大魔王(映画学校7期※中退)
- 狩野英孝
- 平子祐希(アルコ&ピース)
- こばやしけん太
- JJポリマー
- 磁石
- ニッチェ
- ホーム・チーム
- 渡辺ラオウ
- 与座よしあき
- 桐野安生
その他
- 馮智英(歌手)(横浜1期)
- 小島康史(大学教授)(日本映画学校1期)
- 出町光識(陶芸家・美術家)(映画学校1期)
- 菅原敬太(漫画家)(映画学校5期)
- いっこく堂(腹話術師)
- 榎本俊二(漫画家)
- 山内麻里子(ミュージシャン)
- 山辺健史(ノンフィクションライター)
- 三沢伸(アニメーション監督・アニメーション演出家)
- 梅澤淳稔(アニメーション監督・アニメーションプロデューサー)
- 芝田浩樹(アニメーション監督)
- 柳家やなぎ(落語家)
- 軸原ヨウスケ(グラフィックデザイナー)
劇場公開された卒業制作作品
日本映画学校時代
- バナナシュート裁判(1989年 佐藤闘介監督)
- らせんの素描(1991年 小島康史監督)
- 妻はフィリピーナ(1993年 寺田靖範監督)
- ファザーレス 父なき時代(1998年 茂野良弥監督)
- 青〜chong〜(1999年 李相日監督)
- あんにょんキムチ(1999年 松江哲明監督)
- home(2001年 小林貴裕監督)
- 熊笹の遺言(2002年 今田哲史監督)
- 私をみつめて(2004年 木村茂之監督)
- アヒルの子(2005年 小野さやか監督)
関係機関等
麻生区6大学公学協働ネットワーク
学術交流協定締結校
包括的連携協定
- 昭和音楽大学
地方自治体等
- 一般社団法人白山まちづくり協議会
関連項目
外部リンク
学校法人神奈川映像学園
脚注
- ^ 日本映画大学・建学の理念と精神
- ^ “ウンナン、出川、ニッチェ…日本映画学校からお笑い芸人が多数出た理由とは?”. リアルライブ (2019年11月16日). 2021年5月26日閲覧。
- ^ “「日本映画学校OB牧場」今村ワールドの仲間たち”. 株式会社シネマネストJAPAN 【第14回・平田弘次】. 2014年4月30日閲覧。
関連項目
公式サイト
座標: 北緯35度36分18.0秒 東経139度30分27.1秒 / 北緯35.605000度 東経139.507528度