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== 日本の廃墟ブーム ==
== 日本の廃墟、近年のブーム ==
石造建築が多い西洋と異なり、木造建築の多い日本では廃墟は成立しにくかった。[[谷川渥]]『形象と時間』によれば、廃墟は食物の繁茂で象徴された(たとえば江戸時代、[[上田秋成]]の『[[雨月物語]]』「浅茅が宿」のススキやツタに覆われていた廃屋。また[[松尾芭蕉]]の「夏草やつわものどもが夢のあと」。)。ひとの営みを自然のちからが凌駕してゆく姿である。[[軍艦島]]の波浪、麻耶観光ホテルの植物など廃墟の美と自然とは切り離せないという。
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2021年5月2日 (日) 05:06時点における版

廃墟となった城(オランダ、アレ城跡)
パルテノン神殿の廃墟(ギリシャ、アテネ)

廃墟(はいきょ、廃虚とも、英語:Ruins、ドイツ語:Ruine)とは、建物や施設、鉄道集落などが使われないまま放置され、荒れ果てた状態になっているものを指す。

概要

廃墟とは建物、施設、街などが使用されずに荒れ果て、そのまま放置されているものを言い、建物などが使われなくなったとしても、他用途に転用され、適切な維持管理が続けられていたり、あるいは更地になっていれば、廃墟とはいえない。跡地利用も難しく、管理を続けるのも困難な場合には、建物、施設などが放置に任され、歳月とともに朽ちて崩壊し、あるいは草木に覆われて廃墟化の過程が進行する。

建設を発注した企業倒産した、あるいは公共事業の一環として建設されたがその公共事業が中止になったなどの理由で、建設中の状態のまま放棄され、全く使われていない建築物もある。これらも廃墟に含まれる。

ナチス強制収容所跡や広島の原爆ドームハワイ真珠湾アリゾナなどある時代の悲惨な状況を後世に伝えるため、破壊あるいは放棄され廃墟同然となった状態で意図的に当時のまま保存している例もある。

ロマン主義的廃墟趣味

『ローマの景観』より「コンスタンティヌスとマクセンティウスのバジリカ」 ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ作 1749 - 1750年

ルネサンスによってヨーロッパでは古代ギリシアローマの再評価が行われ、それまでうち捨てられていたそれらの廃墟は古代文明の偉大さを示す遺物として関心を引くようになった[1]18世紀のイタリアでは考古学が盛んになり、多くのローマ遺跡が人目を引くようになった。そんな中、版画家ピラネージは多くのローマ遺跡のスケッチを版画として出版した。ピラネージの描く遺跡は見る者に劇的な印象を与え、廃墟の持つ美的対象としての魅力を世に知らしめた[1]

楡の木のある僧院 カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ作 1810年

19世紀後半、イギリスドイツロマン主義でも、こうした廃墟、特に古代ギリシア、ローマのそれに関心が集まり、競ってその方面に出かける文人やそうした古代遺跡を版画や絵画に描いたり、あるいは君主の中には領地の中に故意に人工の古代の廃墟(いわゆるフォリー)を配した庭園を作らせたものもいた(特に古代ローマ時代の様式が好まれた)。

こうした廃墟を好んで作品のモチーフとした画家に、ドイツのカスパー・ダーヴィド・フリードリヒらがいる。また、アドルフ・ヒトラーも廃墟絵画を好み、自ら計画した建築物や都市も前提として古代ギリシアや古代ローマのように偉大で立派な廃墟となることが条件であったという(「廃墟価値の理論」)。彼の計画した都市は皮肉にも敗戦とともに廃墟になったことになる。

日本においては、2000年前後、写真の世界で廃墟を被写体にした作品が若者を中心に好まれる傾向が生まれた。イギリスやドイツのロマン主義的流れを受け継ぐ写真家に、80年代のロンドンに滞在し、風景とポートレートを中心に発表を重ねる池尻清などがいる。

日本の廃墟、近年のブーム

石造建築が多い西洋と異なり、木造建築の多い日本では廃墟は成立しにくかった。谷川渥『形象と時間』によれば、廃墟は食物の繁茂で象徴された(たとえば江戸時代、上田秋成の『雨月物語』「浅茅が宿」のススキやツタに覆われていた廃屋。また松尾芭蕉の「夏草やつわものどもが夢のあと」。)。ひとの営みを自然のちからが凌駕してゆく姿である。軍艦島の波浪、麻耶観光ホテルの植物など廃墟の美と自然とは切り離せないという。

廃墟の建物内部の写真
摩耶観光ホテル神戸市灘区

鉄道ファンの一部に廃線跡をたどる廃線マニアと呼ばれる者がおり、廃線巡りを熱心に行う愛好家は、昨今の鉄道ブームにより廃鉄とも呼ばれる。また、1980年代頃からのレトロブームで懐かしい物へのノスタルジーが高まると同時期に、廃墟への関心も高まっていった。

1990年代以降、廃墟となった施設、学校病院工場鉱山レジャー施設などの跡を訪ねて回る廃墟愛好家が増えており、2000年代からはインターネットの普及とともに、愛好家が個人で廃墟に関するウェブサイトを立ち上げることも増え、YouTubeなどの動画共有サイトに愛好家が探訪し撮影した廃墟の動画を公開することも多くなった。

廃墟愛好家の傾向としては、

  • 廃墟化した建物が持つ特有の雰囲気に魅力を感じる者。
  • 廃墟となった施設が使われていた頃の様子を想像し、郷愁や愛着を感じる者。
  • 冒険探検感覚で廃墟を探索する者。
  • オカルトホラー趣味や心霊スポットとして廃墟を探索する者。
  • 旧式のドアの取っ手や、水道の蛇口、照明器具などの収集目的を持つ者。

などに大まかに分類され、一人の愛好家が複数の要素を兼ね備えることもある。

廃線関連の書籍としては、堀淳一『消えた鉄道 レール跡の詩』(1983年)あたりがはしりであろう。その後ネコ・パブリッシング刊の月刊鉄道誌『RailMagazine』の連載『トワイライトゾ~ン』(1992年〜)によって、廃線跡のみならず廃車体等にも目が向けられ、鉄道廃墟への関心が一気に高まっている。廃墟ブームのはしりとしては、宮本隆司『建築の黙示録』(1988年)、久住昌之滝本淳助『東京トワイライトゾーン タモリ倶楽部』(1989年)、丸田祥三写真集『棄景 廃墟への旅』(1993年)などが考えられる。廃墟ブームを生む下地として、赤瀬川原平らによる超芸術トマソンから路上観察学への活動も存在し、久住と滝本は赤瀬川の流れを汲む。『廃墟の歩き方』(2002年)といったマニュアル本や廃墟を映したDVDなども人気を得ている。

日本の場合、特に都市部では新陳代謝が激しく、廃墟が長期間そのまま残されることは少ない。バブル期に何らかの計画が立ち上がったが、バブル崩壊とともに消滅したものなど、都市計画が頓挫した場所などに建物などが廃墟状態になることもある。また、北海道など地価が安価で土地に余裕のある地域などでは、撤去費用がかさむことを回避し、古い建屋を解体せず近くに新たに建てるなどすることが多く、廃屋、廃墟などが多く見られる。

近年、廃墟ブームはさらに広がりを見せ、軍艦島をはじめとした人気の廃墟は観光スポットとなり、観光ツアーが企画されて多くの人々が廃墟を訪れる現象が起きている。また、テレビ番組廃墟の休日』も放映された。

ヴァンダリズムとの関係

廃墟への侵入や破壊行為は厳密には刑法に抵触する行為であるものの、事実上は現役の建造物に比べて比較的低いリスクで破壊行為(ヴァンダリズム)が実行可能であることから、実際に多くの廃墟が快楽的・愉快犯的な破壊行為や悪戯に晒されている。

廃墟と勘違いして現役の建物に侵入してしまうことは建造物侵入罪による摘発の危険性が非常に高いため、廃墟への侵入者はこれを恐れるものである。廃墟の中でも、廃業したホテルテーマパークは目立ちやすく、廃墟か否かを侵入者が比較的容易に判断でき、破壊の対象となり得る備品が多く取り残されているなどの理由から、侵入・破壊のターゲットとなりやすい傾向がある。

こうした破壊行為は器物損壊罪であるほか、写真撮影だけを目的として廃墟に侵入する廃墟マニアからも非難されることがある。

廃墟の例

奥多摩湖ロープウェイの三頭山口駅とゴンドラ
  • 廃屋 - 定住者がおらず管理放棄された空家など。
  • 廃校
  • 廃寺 - 史跡文化財として指定・管理されている場所の名称としても使われる。
上淀廃寺跡(鳥取県)、吉備池廃寺跡(奈良県)、南滋賀町廃寺跡(滋賀県)、北野廃寺跡(愛知県)、山王廃寺跡(群馬県)などはいずれも国の史跡としての名称である。
奥多摩湖ロープウェイなど。
文化財として指定・管理され廃墟ではなくなっている例もある。大社駅信越本線横川駅 - 軽井沢駅間「碓氷峠鉄道施設」(碓氷第三橋梁・旧丸山変電所など)、手宮線など。その他、所有者である鉄道事業者などにより保存されているものもある。
鉄道遺構として完全な形ではなく一部分だけ残っているものも存在する。
近年では鉱害問題や美観上の理由から完全に撤去され、覆土工事や植樹工事によって痕跡すらなくなることが多い。また閉山後は坑口をコンクリートや石などで封鎖することが義務付けられている。
ソビエト映画『ストーカー』では廃工場が舞台に設定された。
摩耶観光ホテル甲賀ファミリーランド横浜競馬場など。
愛知県日進市の寺院が管理する宗教公園「五色園」は管理放棄の状態にあるが、4月のみの名所として有料となる。
1950年代オールディーズの雰囲気が漂う場所も多く、建物が再利用され廃墟ではなくなっている例もある。
ただし米軍管理下の敷地に立ち入った場合は単なる住居侵入罪ではなく「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(日米地位協定)の実施に伴う刑事特別法」によって処罰されるほか、日本の国内法が適用されない場合があり、最悪の場合警備員などに射殺されたり、重い刑罰が科せられることもあり得る。米軍から返還されても防衛省による留保地となっている場合も多く、無断侵入は厳しく制限される。
  • 移転後の国立大学や国立の研究所の建物
旧国立公衆衛生院広島大学旧校舎など。
過疎化高齢化災害戦災などにより、集落からすべての住民がいなくなった地区・。各地に増え始め社会問題化している。
居住地として全く放棄されているものを指すが、住民が離れた後も旧住民やその家族、その他土地所有者によって土地や建物が管理・手入れされていたり、農地などは引き続き地域外からの通い耕作により利用され、旧住民の経済活動が存続している地域もある。
例えば廃村八丁は、建物は崩壊するに任せてあるものの、周辺がハイキングコースになっているため道標や案内看板等が設置され、人が出入りするなどある程度の管理がなされている。
谷中村は廃村ではあるが、長らく「旧谷中村遺跡」として整備・保存されており、管理の及んでいない建物などはない。
ダム建設により全戸移転しゴーストタウンとなった場合は、ダムの運用開始で水没し廃墟としても失われる。徳山村夕張市鹿島(大夕張)など。大川村は村そのものは存続しているが早明浦ダム運用開始により主要集落が水没し、渇水時には水没した旧村役場の建物廃墟が出現する。
大会終了後、解体もしくは維持管理が困難となるなどで、廃墟に至るケースもみられる[2][3]
残虐な行為を忘れさせないために保存されているもの。チェコポーランドなどのユダヤ人強制収容所の跡地。フランスの村・オラドゥール=シュル=グラヌ

著名な廃墟

日本

原爆ドーム広島県広島市
犬島精錬所跡(岡山市東区
端島(軍艦島)(長崎県長崎市
神子畑選鉱所兵庫県朝来市

現存するもの

再利用が進められているもの

撤去されたもの

ロンドンテムズ川に残されたイギリス軍の対空砲火防御用要塞。ガイ・マウンセルの設計で1942年に設置。

北米

欧州

その他

  • 柳京ホテル北朝鮮) - 一時建設中断により、10年以上も放置されたことから世界最大の廃墟と評された。後に建設は再開されたものの、竣工がいつ頃になるのかの目途は現在も立っていない。
  • ホームブッシュ湾の蒸気船(オーストラリア
  • コールマンスコップ(ナミビア)
  • シャラダ・ピース(Sharada Peeth)寺院(アザド・カシミール
  • エル・オテル・デル・サルト(コロンビア) - 1923年築の元豪邸。その後ホテルになり、廃墟として有名だったが、博物館(Tequendama Falls Museum)として再利用されている。

著名な廃墟愛好家・廃墟写真家

  • 池尻清 - 写真家。
  • 大畑沙織 - 廃墟写真家。
  • 鹿取茂雄 - 岐阜県在住の廃墟愛好家・酷道愛好家。
  • 栗原亨 - 2000年代以降の廃墟探索ブームの原動力となった『廃墟の歩き方』シリーズの著者。廃墟愛好家。
  • 小林伸一郎 - 廃墟写真家。
  • 酒井竜次 - 元雑誌『愛知県漂流』編集長。『ニッポンの廃墟』(2007年)・『廃墟という名の産業遺産』(2008年)など数多くの廃墟関連の書籍を監修・執筆している廃墟愛好家・珍スポット愛好家。
  • 中筋純 - 中田薫との共著『廃墟本』シリーズなどで知られている廃墟写真家。
  • 中田薫 - 中筋純との共著『廃墟本』シリーズなどで知られている廃墟愛好家。
  • HEBU - 写真集『廃墟/工場』シリーズの著者。廃墟・工場写真家。
  • 丸田祥三 - 写真家。
  • 宮本隆司 - 写真家。1980年代に廃墟や取り壊し中の建造物を撮影した『建築の黙示録』や『九龍城砦』を発表し、廃墟写真ブームの火付け役となった。
  • 風間健介 - 写真家。夕張市に居を構え、廃墟となった炭鉱の施設の写真を撮り続けた。写真館を開設し、人の消えた炭鉱遺産を再利用する活動も行っていたが、その後自身も夕張を離れ、自宅・写真館は廃墟となっている。

その他

  • 老朽化した集合住宅(同潤会アパート、香港の九龍城砦など)で、建物の破損が進行し、空き部屋が多くなっているような場合に廃墟と表現される場合もあるが、本来の住民が居住している場合、放置されている訳ではないので、廃墟と呼ぶのは適切ではない。
  • 原爆ドーム原子爆弾で崩壊した状態であるが、史跡世界遺産)として保存され、倒壊しないよう補強などの措置が取られている。なお、同所の残留放射能については現在は危険な値ではなくなっている[要出典]が、外部者の立ち入りは制限されている。
  • 造られた当時最新の設備であった炭鉱集合住宅などを史跡として保存することを求める運動があるが、一般に公開する場合は、保守や安全対策(万が一来園者に事故が起きた場合の管理者としての法的責任の問題)など建物を改めて建築するほどの予算が掛かることになり実現は難しい状況にある。
  • キリスト教美術では「異教世界の衰微」のシンボルとして「キリストの降誕」の背景などに描かれる。
  • デッドモールを「生ける廃墟」と表現されることがある(例:LCワールド本巣本館[5]ピエリ守山[6]パワーセンター大津[7]華南MALL[8]

脚注

  1. ^ a b 田中真知『美しいをさがす旅にでよう』<地球のカタチ> 白水社 2009年、ISBN 9784560031971 pp.42-44.
  2. ^ オリンピック会場は荒廃してしまう?遺産として活用できる?【ひでたけのやじうま好奇心】 ニッポン放送、2017年7月25日
  3. ^ 廃墟となったオリンピック会場のギャラリー ハフポスト、2013年7月13日
  4. ^ A 30-Photo Tour of the Abandoned North Brother IslandCurbed, September 4, 2012
  5. ^ 巨大モール「LCワールド本巣」廃墟っぷりが大注目 残ったのは「タマネギ無人販売」 J-CASTニュース、2016年9月12日
  6. ^ 生ける廃墟モール「ピエリ守山」の行く末は? 店舗ついにヒトケタ、今後は「何も定まってない」 J-CASTニュース、2013年9月24日
  7. ^ 萱野浦のショッピングセンター「パワーセンター大津」がとうとうカラッポに。最後まで残っていた2店は移転するみたい おおつうしん、2016年04月01日
  8. ^ 「世界最大の商店街」は今やゴーストタウン、不動産バブルのツケ 中国、CNN、2013年3月10日17:40 JST

関連項目