志免鉱業所竪坑櫓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
周囲は運動公園として整備されている。櫓の後ろに見えているのはボタ山

志免鉱業所竪坑櫓(しめこうぎょうしょたてこうやぐら)は、福岡県糟屋郡志免町にある元国鉄志免鉱業所(志免炭鉱;旧海軍炭鉱)の産業遺産である。近代建設技術史上価値が高いものとして、国の重要文化財に指定されている。

概要[編集]

旧志免鉱業所竪坑櫓(左は南南西から、右は北北東からそれぞれ撮影)

旧日本海軍日本国有鉄道によって運営された「国営炭鉱」海軍新原炭鉱~国鉄志免鉱業所の採炭夫を昇降させ、石炭を搬出するための施設である。当時の海軍燃料廠採炭部~第四海軍燃料廠の海軍技術少将猪俣昇設計[1]で、詳しくは後に示すが、捲揚機が櫓上部にある塔櫓捲(ワインディングタワー)形式の竪坑櫓[2]として下層炭の採掘用として設計されたものである.

地上にある櫓の部分は1941年昭和16年)に着工し、1943年(昭和18年)に完成。地下の竪坑は竪坑櫓の完成後1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)にかけて開鑿され完成をしたとされた。竪坑の底である壺下は完成形の竪坑では半球形にコンクリート等で塞がれるが,この竪坑の設計図には壺下の設計は記載されておらず,土などの開削をした跡が其の儘とされて,最下層の石炭の採掘にも竪坑の延長が出来る様に読み取れる.終戦時には採掘用の坑道までは未だ出来上がっておらず、国鉄移管後迄は出炭は出来なかった。猪俣の著書が載る『海軍燃料史』に「海軍時に出炭出来なかったのが残念であった」と記載されている。

海軍が軍艦用として開設した炭鉱で敗戦時は第四海軍燃料廠という名称であるのだが,敗戦の為海軍省の消滅により大蔵省が一時所有していた時,海軍炭鉱最後の所長である第四海軍燃料廠長猪俣昇海軍技術少将が,SL(蒸気機関車)運転用の石炭が不足していた運輸省に移管させる事に成功し、運輸省門司鉄道局志免鉱業所とされた。

設計者の猪俣昇は、嘱託として初代所長を引き受けたが、翌年元からの国鉄職員であった者と交代をし,自らは嘱託技術職員となり,後に、退職[3]をし,民営炭鉱へと転職をされた.

国鉄移管後に竪坑からも石炭が揚炭されていったが,最下層の採掘はされず国鉄鉄道路線の電化,及び内燃(ディーゼル)化の動力近代化計画との事で,この炭鉱は1964年(昭和39年)に閉山となった(火力発電用との名目にすれば閉山をしないでも,と後に嘗ての職員が言っていた)。

竪坑櫓の建設には,海軍の看板でお寺の鐘などの没収をしたり,戦時下にもかかわらずそれまでに手に入れていたイギリス製の鉄鋼をふんだんに用いた鉄筋コンクリート造で、当時の価格で200万円(関連施設含む.現在の価格で,約6億6千万円)もの予算をかけて建設された。高さ47.65メートル、長辺15メートル、短辺12.25メートル。9階建てとされ8階にケーペプーリーと云う捲揚用の巨大な滑車が設置され,東側の小突出が運転席[4]で有った。

竪坑櫓の9階には,天井走行クレーン(天井移動クレーン;天井移動起重機とも呼ばれ、石川島重機製作所〈後の石川島播磨重工業〉の製造で[石川島]の銘板付き)の走行移動用レールが設置され、西側突出の底は穴が開けられており、地上からこの天井移動クレーンで部品の昇降が行われた.設計では実際に設置された捲揚機から、西の位置へ直角の角度にもう一セットの捲揚機を設置する様に描かれていた.実際に設置された方の捲揚機にはケージと呼ばれる炭車と呼ぶトロッコの昇降と職員の昇降に利用された.もう片方はエレベーターの籠に直接石炭を積み込み底が漏斗状なり石炭を運搬用のベルトコンベアーや炭車に積める形であるスキップと言うシステムに設計されている様に設計図に書かれている.

地上から炭層に垂直に掘られた竪坑が地直径7メートル,壺下が下430メートルまで延びている。竪坑櫓の捲揚室にはケーぺ式捲揚機が設置[5]され,直結する直径5メートルのケーペプーリーが櫓の高層部、高さ35メートルの8階に置かれている.6階に直径4㍍の,位置の決定と滑り止め用の,ガイドプーリーが設置されている.7階にはブレーキシステムが置かれている形状で、その立坑櫓の形式はワインディング・タワー(塔櫓捲式)と呼ばれる形で、戦前建設の下部は脚のみで上部に大形の機械室と、運転室を持つので頭でっかちとなりハンマーコップフ(独語;英語でハンマーヘッドの意味)のタイプと呼ばれる。

この初期型の形式である、国内設置のワインディングタワーは,三井三池炭鉱四山第一竪坑に設置されていたが既に解体をされており、解体当時学会の一部には、志免町のこの海軍建設で旧海軍炭鉱で,閉山時の国鉄志免炭鉱の竪坑櫓は知られておらず、荒尾市の四山第一竪坑櫓解体後、貴重な他に例を見ない立坑櫓が解体をされてしまったと大騒ぎになっていたが、もう一件志免町に海軍が建設をした立坑櫓が残存している事が広く知られると、特に四山第一立坑櫓と同形式の竪坑櫓として海軍が建設をした物としても志免立坑櫓が注目を集めた.ワインディングタワー形竪坑櫓で、第二次世界大戦終戦前に建設されたもので現存しているハンマーコップフ形式の立坑櫓は世界でも国鉄志免(旧海軍)炭鉱と旧南満州鉄道が建設経営をしていた撫順炭鉱龍鳳竪坑(中国撫順市)に、トランブルール炭鉱(ベルギーリエージュ州)の3か所だけである。

国内には,ワインディングタワーの後期型のビルタワー形状[6]の,近代的なビルディングタワー形式の立坑櫓が,長崎県の中興鉱業[7]福島炭鉱,北海道の羽幌炭鉱鉄道羽幌炭鉱に建設されたのみで,後期型の中興鉱業福島炭鉱の福島第一立坑櫓は炭鉱敷地が、石油コンビナートの再開発用の敷地と成った為、ダイナマイトで、爆破解体をしたので遺ってはおらず、炭鉱当時の社員教育用だった立坑櫓の精密模型が、直方市石炭博物館に寄附をされ,幸にも遺っている。教育用の模型であったので造りや各種機器が全く同じ形を縮小して造られているので,観賞用の模型とは違い勉強になる模型であり,一見の価値のある模型である。実物のビルディングタワー形式立坑櫓は、羽幌炭鉱鉄道羽幌鉱業所跡地に残存の羽幌運搬立坑櫓が内部機器と共に1棟残っているだけである.

また、立坑櫓の建設現場では何処ででも有った事だが,この立坑櫓を海軍が建設中でも、命綱を付けてなかったとび職が櫓から落下し、絶命する事故は有った[8]が,地下の竪坑の掘削工事の現場でのは、落下絶命者は居なかったと,当時建設に係った浜島毅元副長(物故)が述べている物が,日本産業技術史学会の志免大会配布資料にQ&A様式で述べられた物が配布され,国立国会図書館にも所蔵されている。

閉山後に当時の石炭産業合理化機構(通商産業省~経済産業省の特殊法人で、現在の新エネルギー・産業技術総合開発機構)が,竪坑櫓及び竪坑、斜坑の第8坑の本卸と連れ卸,本卸のスキップ櫓,捲揚機棟,扇風機坑口と電動機機械室等を国鉄から其の儘引き取り,研修機関を設置する計画を立てていたが,酒殿坑の跡地に鉱山研修センターが作られたが,この本体の場所は放置されて,捲揚機等の機械や,竪坑櫓の窓の硝子と窓枠が落下防止とされて,窓枠,窓硝子と内部機器が撤去された。放置状態の時には竪坑櫓の解体撤去を行うとの,行政や建築業者(※但し解体を行う業者)の声が強く,竪坑櫓を見ると、地元に帰ったと安心する。等の住民の声は無視されてきて,一部施設の解体撤去が実施されていた.

但し,その後の学会で,櫓本体も貴重であると云われ,学会の地元開催された事で保存が決定された.1985年頃から産業考古学会の一部で調査が開始されたが当時は解体論者が数多くを占めていた。日本産業技術史学会が志免炭鉱跡地で市民公開で開催された時から,地元住民の保存希望者が多数集まって,志免竪坑櫓を活かす住民の会,志免竪坑櫓を学ぶ会等が設立され,学会と共に保存に向けて動き出した事で,登録史跡から重要文化財の指定へ動いた。

文化財[編集]

此の形式の立坑櫓は国内で戦前建設が2箇所建設されたが、戦前戦後の物件とも1つづつ解体されて、戦前のタイプはこの1件のみとなっている事から、2007年平成19年)7月31日に国の登録有形文化財に登録され[9]2009年(平成21年)12月8日、国の重要文化財に指定された[10]。残存の1件は戦後の後期形のもので、北海道羽幌町に遺っている。

所在地・交通[編集]

  • 所在地:福岡県糟屋郡志免町大字志免495番地3
  • 交通:福岡空港より西鉄バス2志免鉄道公園経由宇美営業所ゆきに乗車し「東公園台2丁目」下車、もしくは博多バスターミナル(博多駅)から32亀山・志免経由宇美方面宇美営業所,原田橋ゆきもしくは37福岡空港・月隈団地・志免経由宇美方面四王寺坂ゆきに.天神から34吉塚駅経由32博多駅経由宇美営業所,原田橋,上宇美ゆきに乗車し「下志免」下車。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本鉱業会誌』〈現在の「資源素材学会誌」〉の64号に「志免鉱業所下層炭開発に就いて」に猪俣の詳しい記述がある
  2. ^ 立坑櫓とも記す。海軍時は竪の文字が、国鉄移管後には立の文字が主に現場では使われていた。どちらも正しい表記である
  3. ^ 優秀な技術者ではあったが、戦前は海軍技師として働き、軍人では無かったのだが、戦時中に海軍炭鉱の経営をしていた軍人が、戦場へ出向き不足して仕舞ったので、猪俣は海軍の軍人である技術将校の技術大佐に登用され、後には勅任将校技師の海軍技術少将〈海軍勅任官では中将、大将等の階級が有るが、勅任技師では技術少将が最高の階級であった〉に迄進級していたので、第二次世界大戦の敗戦後には公職追放処分となっていた、その為、豊富な優秀なる知識を伝える間だけ、国鉄に嘱託での所長として拝職をし、国鉄職員の所長が着任できると、直ぐに普通の嘱託として残務を行った後、退職をせざるを得なかったと、遺族からも証言を得ている
  4. ^ 竪坑の運転の事については,日本産業技術史学会志免大会配布資料集に,元捲方(まきかた;竪坑の運転士の事)を勤められた,花岡カメラ店主の,花岡幸弘氏の記述に詳しい.なお国立国会図書館に所蔵されているので,御一読頂きたい
  5. ^ ケーぺ式捲揚機の直流電動機は芝浦製作所〈後の東京芝浦電機製作所。現在の東芝〉製造1000馬力
  6. ^ 海軍建設の志免立坑櫓や熊本県荒尾市所在であった三井三池炭鉱四山第一立坑櫓の様に、階下の部分が脚と張りだけの物とは違う、下迄壁で覆われて、捲揚室の運転台とは別に捲揚室のケーぺプーリーはモニターカメラで監視をし、モニターテレビを見て操縦を行う運転席が下にも存在をしていたり、覆われている中層階の部屋を電気室など別な目的に利用できる
  7. ^ 同社は石油科学の大手企業となり中興化成工業として発展操業中である
  8. ^ 元海軍での現場監督の証言。岩橋氏記事;故人、後出の学会資料
  9. ^ 旧志免鉱業所竪坑櫓 - 文化遺産オンライン
  10. ^ 旧志免鉱業所竪坑櫓 - 国指定文化財等データベース

参考文献[編集]

  • 日本国有鉄道志免鉱業所十年史編集部『日本国有鉄道志免鉱業所十年史』立坑。1956年。日本国有鉄道志免鉱業所。
  • 九州産業考古学会編 『福岡の近代化遺産』志免鉱業所竪坑櫓,徳永博文。 弦書房、2008年。ISBN 978-4-902116-96-0
  • 産業考古学会編『日本の近代を開いた産業遺産』旧志免鉱業所竪坑櫓。大石道義,徳永博文。産業考古学会,プラスワン、2011年。ISBN978-4-9905869-1-1。
  • 国際鉱山ヒストリー会議赤平大会論文集2003年。志免炭鉱竪坑と第八坑の技術,歴史.山田大隆,大石道義,長渡隆一.(英文)
  • 猪俣昇.『運転輸省門司鉄道局志免鉱業所下層炭開発に就いて。』「日本鉱業会誌(現資源素材学会)」1964年。
  • 猪俣昇,『鉱山用換気用プロペラー』九州鉱山学会誌。
  • 浜島毅.志免鉱業所の竪坑建設について。日本産業技術史学会志免大会配布資料(国立国会図書館所収)。
  • 花岡幸弘.志免鉱業所での竪坑の運転。日本産業技術史学会志免大会配布資料(国立国会図書館所収)。
  • 産業考古学会編『日本の産業遺産Ⅱ』志免炭鉱の産業遺産,山田大隆,池森寛,大石道義,長渡隆一。玉川大学出版部。

関連項目[編集]

  • 志免駅 - 竪坑櫓から200メートルほど離れた所にあった勝田線の廃駅。旅客ホーム跡は志免鉄道記念公園として整備されている。

外部リンク[編集]

座標: 北緯33度35分25.3秒 東経130度29分10.6秒 / 北緯33.590361度 東経130.486278度 / 33.590361; 130.486278