大夕張

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大夕張(おおゆうばり)は北海道夕張市の東部、夕張川の最上流部の河岸段丘に形成された炭鉱街。字名は夕張市鹿島。

概説[編集]

鹿島地区・大夕張駅前通りに当時唯一残っていた廃屋(2003年8月)

1929年三菱鉱業による大夕張炭鉱開発により建設された街区で、山間部に位置したが、最盛期の1955年には2万5千人近く(鹿島20000人・南部5000人)の人口を数えた。幼稚園から高等学校までの教育機関、警察、消防、郵便局などの行政機関、一般商店、購買会、生協、旅館、銀行、炭鉱病院、映画館、寺社など一通りの都市機能を有していた。開発当初は三菱石炭鉱業大夕張鉄道線以外の公共交通機関はなく、言わば「陸の孤島」であったが、1962年に清水沢地区からの道路が開通し、夕張鉄道三菱美唄鉄道バスのバス路線も敷かれた。鹿島地区は大半が炭鉱町であったが、夕張川を隔てた鹿島白金(奥鹿島)は樺太からの引揚者が入植した開拓地で、唯一の農村部であった。鹿島白金は炭鉱最盛期に開拓農家の離農が進み早くから過疎化していたが、1966年に夕張市南部(南大夕張)地区に三菱南大夕張炭鉱の開発が始まり、1970年には同炭鉱の出炭が開始されたこと伴い鹿島地区から南部地区に住民が移り始め、1973年の大夕張炭鉱閉山により鹿島地区全体の過疎化が急速に進んだ。閉山前の1972年に11000人ほどいた住民のうち半分以上が閉山後直ちに転出し、1974年には4000人ほどに減少。その後も過疎化は一気に進み、1998年には夕張シューパロダム建設に伴い全住民約350人が移転、全域が無人地区となった。2014年には夕張シューパロダムの湛水が始まったことにより、かつて街であった地域の大部分が水没している。「大夕張」の呼称は狭義には鹿島地区のみを指すが、広義には明治・大正期に大夕張炭鉱が操業し、元々「大夕張」と呼ばれていた南部地区を含める。南部の人口は最盛期の1974年には10000人近くに上ったが、1980年代には三菱南大夕張炭鉱合理化により人口が7000人台に減少、1990年の三菱南大夕張炭鉱閉山後は急速に過疎化が進行し人口が1500人程度となったあとも人口減少が止まらず、1997年までに1000人を割り込み、2017年現在約400人の住民が暮らしている。鹿島地区は湖底に沈み、当時を偲ばせるものは数少ないが、付け替えられた国道にかかる橋梁の愛称にかつての町名を採用している。「千年橋」「明石橋」「緑橋」「栄橋」「代々木橋」などが存在する。

歴史[編集]

  • 1888年(明治22年) 現在の南部の夕張川川岸に石炭の露頭発見。
  • 1890年 登川村を設置。夕張郡登川村大字大夕張となる。
  • 1898年 福山坑試掘開始。
  • 1906年 京都合資会社が炭坑を買収。
  • 1907年 大夕張炭鉱会社創立(1912年に三菱鉱業株式会社に買収される)。
  • 1911年 清水沢駅〜二股駅(後の南大夕張駅)間に大夕張炭鉱専用鉄道が開通。
  • 1918年(大正7年) 登川村が町制施行し夕張町となる。
  • 1919年 町制施行に伴い地名地番が整理され、夕張町大字大夕張となる。
  • 1929年(昭和4年) 三菱大夕張炭鉱、北部に操業拠点を移行(北部大夕張。後の鹿島)。三菱鉱業が南大夕張駅〜通洞・後の大夕張炭山駅間に専用鉄道を延長・開通。
  • 1939年 専用鉄道を地方鉄道に改組。
  • 1942年 夕張町市制施行前に地名地番が再編され、大字大夕張を大字鹿島、大字南部に分割(「鹿島」は北部の操業拠点「鹿島沢」から。「南部」は「北部大夕張」に対する「南部大夕張」の意)。
  • 1943年 夕張町が市制施行し夕張市となる。
  • 1946年 樺太からの引揚者が桜ヶ丘・白金に入植し農地の開拓が始まる。
  • 1948年 清水沢-鹿島間の道路建設開始。
  • 1949年 南部に札幌鉱山株式会社が北夕炭鉱を開鉱。翌年社名を夕張炭鉱株式会社に変更。
  • 1952年 南部に北菱産業株式会社が北菱鹿島炭鉱を開鉱。
  • 1954年 大夕張ダム建設開始。桜ヶ丘地区住民離村。
  • 1956年 三菱美唄鉄道バス(後の美鉄バス)、路線バス運行開始。
  • 1962年 大夕張ダム(シューパロ湖)竣工。桜ヶ丘地区水没。清水沢-鹿島間の道路(現在の国道452号の一部)が開通。
  • 1968年 清水沢-鹿島間の道道(現在の国道452号の一部)からシューパロ湖を渡り白金に通じる白銀橋が竣工。夕張市道奥鹿島線開通。
  • 1969年 地名を再編し町名を定める。
  • 1970年 三菱南大夕張炭鉱営業出炭開始。北夕炭鉱閉山。
  • 1972年 北菱鹿島炭鉱、坑内自然発火のため注水しそのまま閉山。
  • 1973年 三菱大夕張炭鉱閉山、三菱大夕張炭砿大夕張鉄道線路線短縮。
  • 1985年 三菱南大夕張炭鉱でガス爆発事故、死者62人。重軽傷者24人。
  • 1987年 三菱南大夕張炭鉱の合理化により三菱石炭鉱業大夕張鉄道線廃止。
  • 1990年(平成2年) 三菱南大夕張炭鉱閉山。
  • 1993年 清水沢-鹿島間の道道が国道452号に指定される。
  • 1997年 美鉄バス、大夕張の路線廃止。
  • 1998年 夕張鉄道、大夕張の路線バス廃止。大夕張郵便局廃止。夕張警察署鹿島警察官駐在所廃止。夕張市立鹿島小中学校廃校。夕張シューパロダム建設により、鹿島地区より住民の移転完了(最後の住民は約350人。その後もダム工事関係者などが鹿島地区に住民票を置いており、水没前の2010年10月1日国勢調査においては鹿島代々木町に96世帯96人、2010年11月から2013年3月まで鹿島緑町に1世帯1人の人口があった)。
  • 2010年5月 北海道道136号夕張新得線の南部青葉町から占冠村境界の夕張シューパロダム建設により付け替えられる区間について、地滑り対策等で当初予定より大幅に工事費が増額する可能性があることから工事を中止する方針が示され、事実上南部青葉町で行き止まりとなることが決まる。
  • 2011年12月 国道452号の付け替えが完了。旧国道通行と周辺への立ち入りは許可制となる。
  • 2013年8月 旧国道通行止め。鹿島地区の中を通過できなくなる。
  • 2013年2月 夕張市道奥鹿島線の付け替えが完了。白金橋(新)・鹿島一号橋(新)開通。
  • 2014年3月 夕張シューパロダムの湛水が始まり、山岳地帯を除く鹿島地区の大部分が水没。南部青葉町の夕張シューパロダム管理棟下駐車場までのダム工事専用道路が道道136号夕張新得線の一部として一般開放。
  • 2015年4月 南部青葉町に夕張川ダム総合管理事務所設置。

町名(1969年1月当時)[編集]

  • 大字鹿島(大夕張地区)
    • 鹿島明石町
    • 鹿島千年町(千歳町)
    • 鹿島錦町(泉町)
    • 鹿島宝町
    • 鹿島富士見町(緑ヶ丘)
    • 鹿島緑町(岳富町)
    • 鹿島栄町
    • 鹿島代々木町
    • 鹿島常盤町
    • 鹿島弥生町
    • 鹿島春日町
    • 鹿島北栄町(官行・初音台)
    • 鹿島白金(鹿島開拓・開拓白金・奥鹿島・桜ヶ丘)
  • 大字南部(南大夕張地区)
    • 南部岳見町
    • 南部幌南町
    • 南部遠幌町
    • 南部夕南町
    • 南部若美町
    • 南部大宮町
    • 南部新光町
    • 南部東町
    • 南部菊水町
    • 南部青葉町
    • 南部北夕町
    • 清水沢住の江町(1983年、南部住の江町に改称)

郵便番号(1998年2月施行)[編集]

  • 2016年現在、全域が水没している地域にも郵便番号が割り振られているが、削除等はされておらず、すべて施行時のままになっている。
    • 鹿島白金 068-0661
    • 鹿島明石町 068-0662
    • 鹿島千年町 068-0663
    • 鹿島宝町 068-0665
    • 鹿島錦町 068-0664
    • 鹿島緑町 068-0671
    • 鹿島富士見町 068-0672
    • 鹿島栄町 068-0673
    • 鹿島代々木町 068-0674
    • 鹿島北栄町 068-0675
    • 南部住の江町 068-0540
    • 南部遠幌町 068-0541
    • 南部夕南町 068-0542
    • 南部若美町 068-0543
    • 南部東町 068-0545
    • 南部大宮町 068-0544
    • 南部青葉町・南部菊水町 068-0546
    • 南部新光町 068-0547
    • 南部幌南町 068-0548
    • 南部岳見町 068-0549

現在[編集]

  • 2017年現在、鹿島地区はすべて公有地となっており、夕張シューパロダム工事に際して行われていた林道の付け替え工事も概ね終了している。鹿島弥生町・鹿島春日町・鹿島常盤町・鹿島北栄町・南部北夕町は住居表示廃止。鹿島地区は鹿島白金の夕張岳登山口方面や山岳地帯を除く大部分が2014年の夕張シューパロダム湛水開始により水没。最後まで鹿島地区に残っていた住民は南部地区や清水沢地区に移住したほか、夕張市外にも転出。鹿島明石町に産業廃棄物処理施設「鹿島じん芥埋立地」があったがダム貯水区域に当たっており埋設物を貯水区域の外に搬出することが必要となったため、鹿島白金の水没しない場所に夕張シューパロダム埋設物処理施設が設置された。湛水後も高台は水没しておらず、わずかに建物跡などが残っている。鹿島明石町にあった北海道立夕張東高等学校跡地は水没しないため、同地に鹿島地区各地に残されていた閉校記念碑・道路開通記念碑・戦没者慰霊碑・馬頭観音などが集められ、「大夕張眺望公園」となっている。同公園隣を新たに付け替えられた国道452号(夕張国道)のが通っている。シューパロ湖にかかる国道452号の橋梁にはそれぞれ鹿島地区の町名・字名が付けられている。鹿島富士見町の夕張市立鹿島小中学校跡地も水没しないものの、閉校記念碑・母子像等は「大夕張眺望公園」に移設されている。鹿島白金の記念碑については水没しないため同地にそのまま残されており、付け替えられた夕張市道奥鹿島線沿いにある。旧大夕張ダム工事関係の記念碑・慰霊碑は南部青葉町の夕張川ダム総合管理事務所前に移設。南部地区の人口は約400人。うち南部菊水町・旧南部北夕町は人口0人となっているほか、南部青葉町は人口20人を割っている。夕張鉄道バスは「南部」バス停(南部東町)までの路線(南部線)は一日数便となっているものの存続している。

参考文献[編集]

  • 写真集・大夕張の記憶 読売新聞北海道支社 2007年
  • 奥山道紀・赤城英昭『三菱鉱業大夕張鉄道』(ネコ・パブリッシング RM LIBRARY 47、2003年) ISBN 4777050025

関連項目[編集]

外部リンク[編集]