「伊勢丹」の版間の差分
148行目: | 148行目: | ||
=== 関連会社の店舗 === |
=== 関連会社の店舗 === |
||
==== |
==== 国内百貨店 ==== |
||
{{Vertical_images_list |
{{Vertical_images_list |
||
|幅=220px|枠幅=230px |
|幅=220px|枠幅=230px |
2013年4月26日 (金) 04:28時点における版
伊勢丹(いせたん、英称 : Isetan)は、三越伊勢丹ホールディングス傘下の株式会社三越伊勢丹が運営する百貨店屋号の1つである。また、株式会社伊勢丹は、2011年(平成23年)3月31日までこれを運営していた企業。
概要
1886年(明治19年)創業の呉服店系百貨店。関東地方などの国内、及び中国・東南アジアの一部の都市に百貨店を展開する。2007年上半期時点で、日本の百貨店業界第5位。日本全国に関連会社を含め12店舗展開し、新宿本店が売り上げの6割を占める。ファッション性の高い衣料品の販売で中高年層を始め、若い世代からも支持を集める。1968年(昭和43年)オープンのメンズ館の成功で、紳士服は売れないという業界のジンクスを破った。
ロゴマークは、創業時から○に「伊」の筆文字が入ったマーク(初代小菅丹治の筆と伝えられている)を使用してきたが、1975年(昭和50年)、1986年(昭和61年)と二度マークを変更している。なお、創業時からのマークは現在も社章として使用されており(各店舗に"○伊 伊勢丹 ISETAN DEPARTMENT STORE"の銘板アリ)、新宿店本館屋上の看板で使用されている。POSシステムは、日本NCR製を使用する。
旧運営法人・株式会社伊勢丹
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | |
略称 | 伊勢丹 |
本社所在地 |
日本 〒160-8011 東京都新宿区新宿三丁目14番1号MAP |
設立 | 1930年(昭和5年)9月30日 |
業種 | 小売業 |
事業内容 |
国内外の百貨店業 クレジット・金融業 小売・専門店業 その他 |
代表者 |
橋本幹雄(代表取締役会長) 大西洋(代表取締役社長) |
資本金 | 367億63百万円(2008年3月31日現在) |
売上高 |
連結:7,858億39百万円 国内百貨店連結:6,528億41百万円 単独:4,620億59百万円 (2008年3月期) |
総資産 |
連結:4,665億42百万円 単独:3,283億53百万円 (2008年3月31日現在) |
従業員数 |
連結:9,394人 単独:3,481人 (2008年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | (株)三越伊勢丹ホールディングス 100% |
主要子会社 |
(株)静岡伊勢丹 100% (株)新潟伊勢丹 100% (株)岩田屋 51.7% |
関係する人物 | 武藤信一(元代表取締役社長→三越伊勢丹ホールディングス会長。2010年1月逝去) |
外部リンク | http://www.isetan.co.jp/ |
特記事項:合併前の旧法人 |
合併前の運営会社である株式会社伊勢丹のグループ会社は百貨店事業(直営6店舗、国内関連会社5社・7店舗、海外15社・13店舗)を中核に、クレジット・金融業、小売・専門店業、その他事業の4セグメントに分れ、37社で構成されている。グループの連結売上高は約7,700億円である。売上高営業利益率は、単体で3.4%である(2009年3月期)。
2011年(平成23年)4月1日に、株式会社三越との間で存続会社を三越とする吸収合併を行ない、「株式会社三越伊勢丹」が発足したため、法人としての株式会社伊勢丹は解散している。
沿革
- 1886年(明治19年)11月5日 - 初代・小菅丹治が神田旅籠町(現在、東京都千代田区外神田・秋葉原駅前)に、伊勢屋丹治呉服店を創業。
- 1923年(大正12年) - 関東大震災が起こる。神田店焼失。
- 1924年(大正13年)4月 - 神田店再建。従来の座売制から陳列販売方式へ。以後、百貨店形式に変更。
- 1930年(昭和5年)9月30日 - 株式会社 伊勢丹を設立。新しい出店地を新宿へ決定。
- 1933年(昭和8年)
- 1935年(昭和10年)6月18日 - 新宿本店に隣接する百貨店ほてい屋(1926年(大正15年)1月開店)を買収。翌年には旧ほてい屋部分(本館の新宿三丁目交差点に面した部分)と建物を一体化。
- 1945年(昭和20年) - 新宿店、3階以上を進駐軍に接収される。
- 1947年(昭和22年) - 立川店開店
- 1953年(昭和28年) - 全館接収解除。
- 1966年(昭和41年)12月2日 - 新宿伊勢丹会館開店。
- 1968年(昭和43年)9月25日 - 新宿店北側に隣接する旧東京丸物新宿店(1965年(昭和40年)閉店)の跡地に、「男の新館」開店。
- 1971年(昭和46年) - 吉祥寺店開店・(株)田中屋(現:静岡伊勢丹)と業務提携。
- 1973年(昭和48年) - 全日本デパートメントストアーズ開発機構(A・D・O)設立。
- 1974年(昭和49年) - 松戸店開店。
- 1975年(昭和50年) - シンボルマークを、オレンジ色を基調とした花をかたどったものに、英文ロゴを小文字で「isetan」に表記変更。
- 1981年(昭和56年)4月22日 - 浦和店開店。
- 1984年(昭和59年)
- 1986年(昭和61年) - 開業100周年を記念し、ロゴマークを英文の「ISETAN」(現在使用している)に変更。当時のキャッチフレーズは「空想実現百貨店」。
- 1987年(昭和62年) - 自社クレジットカード「伊勢丹アイカード」導入。
- 1989年(平成元年)3月 - 米国のデパートバーニーズ・ニューヨークと多面事業提携、伊勢丹の全額出資で株式会社バーニーズジャパン設立。
- 1990年(平成2年) - 「株式会社ジェイアール西日本伊勢丹」設立(JR西日本との合弁会社)。相模原店開店。
- 1993年(平成5年)5月 - シンガポール伊勢丹ハブロック店、スコッツ店オープンに伴い閉鎖。
- 1993年(平成5年)8月 - バルセロナ伊勢丹閉店。
- 1996年(平成8年)
- 1997年(平成9年)9月 - ジェイアール京都伊勢丹開業。
- 2000年(平成12年)12月 - ロンドン伊勢丹閉店。
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)2月 - 小倉伊勢丹が開業。
- 2005年(平成17年) - 岩田屋を連結子会社化、丸井今井を支援・業務提携。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 3月 - 台湾の高雄大立伊勢丹閉店(大立百貨として営業)。
- 3月25日 - 小倉伊勢丹閉店。
- 3月26日 - 株式上場廃止。
- 4月 - 株式会社三越との間で、共同持株会社「株式会社三越伊勢丹ホールディングス」を設立して、同社の傘下で経営統合。
- 2009年(平成21年)3月 - 2011年開店予定のJR大阪駅ビル内の百貨店の運営を、「株式会社ジェイアール西日本伊勢丹」が担当し、店名は「JR大阪三越伊勢丹」とすることを発表(2011年(平成23年)5月4日開店)。
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 4月1日 - 株式会社伊勢丹が、株式会社三越に吸収合併され解散。伊勢丹の運営会社は、株式会社三越から商号変更した「株式会社三越伊勢丹」となる。
- 5月4日 - JR大阪駅・大阪ステーションシティ(ノースゲートビルディング)に、「JR大阪三越伊勢丹」が開業。
- 2013年(平成25年)
店舗
直営店
伊勢丹では各店の名称を本支店と称している。関東地区6店舗のみ直営店。
- 1933年(昭和8年)9月28日に開店した。伊勢丹全店舗の売上高の6割を占める旗艦店(全国法人外商や通販事業など店頭外売上約462.4億含む)で、特にファッション関連については強いとされる。本館とメンズ館があり、2館合わせた売場面積は64,296m²である。本館のうち新宿三丁目交差点に面した部分は、旧ほてい屋(1926年(大正15年)開業)の建物を1935年(昭和10年)に買収したもので、その翌年、各階を接続して本館と一体化された。また、1968年(昭和43年)には、東京丸物新宿店(1965年(昭和40年)閉店)の跡地に、「男の新館」(後のメンズ館)が開業した。
- 近隣の新宿駅からも離れており、また新宿駅に隣接する、小田急百貨店や京王百貨店などのターミナルデパートではないにもかかわらず、年間の来店客数は約3千万人に及び、国内6位から8位につけている[2]。 東京メトロ副都心線(2008年(平成20年)6月14日開業)により最寄り駅の新宿三丁目駅が東武東上線・西武池袋線沿線と直結する事から来店客数のいっそうの伸びが予想されていたが、2008年6月の売上高は前年同月比9.1%減であった。更に2013年3月16日には、東急東横線沿線と直結した。
- 本館の外装はアール・デコ様式で、東京都の歴史的建造物に選定されており、東京都の選定歴史的建造物の登録標章が本館一階、新宿三丁目交差点付近の外壁に設置されている。
- メンズ館(ISETAN MEN'S)は、従来の「男の新館」に大改装を施し2003年(平成15年)9月に再オープンしたものである、伊勢丹にとって現在の好調ぶりを象徴する店舗でもあり、東京地区百貨店全体における紳士服売上げの約四分の一を常に保っているまさにドル箱的存在である。かねてより百貨店業界において購買層としては二の次とされていた男性客、とりわけ若年男性客を百貨店の新たなターゲットとして獲得することに成功、これに触発された阪急百貨店(梅田本店別館HEP NAVIO)や名鉄百貨店本店はメンズ館をオープンし追随するなど、日本の百貨店業界に大きな影響を与えた。
- パークシティイセタン1・2・4・5(計4館)と伊勢丹会館、パークウェストなど、別館を数多く持つ。伊勢丹会館はメンズ館西側の靖国通り(東京都道302号)沿い、パークウェストはマルイメン新宿の東側に位置する。
- B2Fに9月3日、「Isetan Girl」をオープン。10代女性を取り込む。
- 立川店 東京都立川市曙町2-5-1 再開発ビル(JR「立川」駅・多摩モノレール「立川北」駅前)
- 1947年(昭和22年)10月10日、立川駅南口に文具等を販売する小規模な店舗として開店、伊勢丹初の支店。1970年(昭和45年)9月、北口の昭和公園通り(旧立川銀座通り)や現在のシティバンク銀行立川支店がある付近など店舗を拡大するごとに移転した。2001年(平成13年)1月、現地に移転し、売場面積40,060m²の地域一番店となった。尚、公園通り旧店跡には、ビックカメラ、ユザワヤが入居した。
- 府中店 東京都府中市宮町1-41-2(京王線「府中」駅前)
- 府中駅南口再開発事業B地区の核店舗として1996年(平成8年)4月3日開店。売場面積34,102m²。フォーリスと同じ建物内にある。
- 1974年(昭和49年)4月19日開店。本館は12階建て(12階は屋上)・新館は9階建てで売場面積は33,109m²。新館は旧長崎屋松戸店の建物を取り壊した跡地に建設され、1995年(平成7年)オープンした。
- 松戸駅西口から徒歩3分程度とやや離れた場所にある。松戸駅から伊勢丹まで続く道路は2002年(平成14年)に「伊勢丹通り」と名づけられ、通りにある店舗で「伊勢丹通り商店会」を構成している。
- 1981年(昭和56年)4月22日開店。2006年(平成18年)、開業25周年に合わせて店舗リニューアルした。売場面積30,138m²。本店に次いで二番目の売上高を誇る。浦和レッズの地元の街であり、2006年(平成18年)の優勝の際には記念セールを行った。浦和駅西口前に建設され、浦和コルソと隣接している。
- 1990年(平成2年)9月25日開店。売場面積40,906m²。テレビドラマ「デパート!夏物語」、「デパート!秋物語」、「夏!デパート物語」(いずれもTBS系)の舞台・撮影地にもなった。小田急小田原(江ノ島)線相模大野駅北口側約200メートルに本館があり、1993年4月 県道51号線を隔てた隣地にA館とB館が増設された。
このテンプレートは廃止により使われていません。{{Commonscat}}に張り替えてください。
関連会社の店舗
国内百貨店
- 旧田中屋百貨店。1971年11月28日提携により「田中屋伊勢丹」1981年3月 社名を「静岡伊勢丹」に社名変更。詳細は静岡伊勢丹を参照
- 1984年4月3日開店。 詳細は新潟三越伊勢丹を参照
- 株式会社ジェイアール西日本伊勢丹 1990年10月 JR西日本グループと伊勢丹(現在は三越伊勢丹)との合弁会社として設立。(2008年(平成20年)9月30日まで・33.3%出資)2008年(平成20年)10月1日からは、三越伊勢丹ホールディングスの持分法適用会社(40%出資)になった。
- ジェイアール京都伊勢丹 京都市下京区烏丸通塩小路下ル東塩小路町(JR京都駅ビルの西側)売場面積 41,978㎡。1997年(平成9年)9月開店。
- JR大阪三越伊勢丹 大阪市北区梅田3-1-3(JR大阪駅・大阪ステーションシティ(ノースゲートビルディング)。売場面積 50,000㎡。2011年(平成23年)5月4日開業。
当初は、三越が2005年に閉店した「北浜三越」の代替として単独で出店する計画だったが、三越と伊勢丹が経営統合したため、京都での実績のある伊勢丹と共同出店の形態に変更された。詳細はジェイアール西日本伊勢丹を参照
- ジェイアール京都伊勢丹 京都市下京区烏丸通塩小路下ル東塩小路町(JR京都駅ビルの西側)売場面積 41,978㎡。1997年(平成9年)9月開店。
- 株式会社岩田屋三越 ・天神本店 ・久留米店
岩田屋は福岡県を本拠とする有力地方百貨店で 十一店会(後の全日本デパートメントストアーズ開発機構A・D・O)発足時代からの伊勢丹提携店。 多店舗化等の戦略の失敗により経営破綻し、2006年 伊勢丹が同社の株式を過半数まで買い付け子会社化した。 2009年10月15日に株式交換により、三越伊勢丹ホールディングスの完全子会社化となり、地域単位での再編の方針に則り、2010年10月1日に福岡三越と経営統合し「岩田屋三越」が発足した。詳細は岩田屋を参照 - 株式会社浜屋百貨店(長崎)
1963年より岩田屋と資本提携。岩田屋保有株が岩田屋三越に移動したため 現在は三越伊勢丹ホールディングスの持分法適用会社になった。詳細は浜屋百貨店を参照
日本国外店舗
- バンコク伊勢丹
- クアラルンプール伊勢丹LOT10店
- クアラルンプール伊勢丹KLCC店
- クアラルンプール伊勢丹ザ・ガーデンズ店
- クアラルンプール伊勢丹ONE UTAMA店
- シンガポール伊勢丹スコッツ店
- シンガポール伊勢丹オーチャード店
- シンガポール伊勢丹カトン店
- シンガポール伊勢丹タンピネス店
- シンガポール伊勢丹セラングーン店
このテンプレートは廃止により使われていません。{{Commonscat}}に張り替えてください。
過去に存在した伊勢丹の店舗
日本国内旧店舗
- 吉祥寺店 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-11-5 武蔵野市開発公社ビル(JR「吉祥寺」北口サンロード商店街)売場面積20,758m²。
- 1971年(昭和46年)11月10日に開店。(A館 F&F専門店街は1972年)-2010年(平成22年)3月14日閉店。
跡地には2010年(平成22年)10月15日、2010年10月15日「コピス吉祥寺」(運営:三菱商事都市開発株式会社)開業し、F&F専門店街は「コピスエフエフ」(運営:武蔵野市開発公社)に改称した。詳細は武蔵野市開発公社ビルを参照
- 1969年(昭和44年)9月13日-1979年(昭和54年)2月13日閉店。その後、当該店舗は解体された。
その後、1986年(昭和61年)4月25日 外商拠点「伊勢丹八王子ギフトショップ」売場面積300㎡ を八王子市東町にするも、1999年(平成11年)に閉店。こちらはすかいらーく系の外食店舗となった。
最近では、2013年1月26日 「イセタンミラー」(ラグジュアリー・コスメ・ショップ)3号店を 八王子の駅ビル「セレオ八王子北館2階に出店した。
- 株式会社高崎伊勢丹 群馬県高崎市
- 株式会社小倉伊勢丹 北九州市小倉北区京町3-1-1 セントシティ北九州(小倉そごう 跡
- 伊勢丹が70%、井筒屋が30%を出資する合弁会社として設立。2004年2月10日 開店。以降赤字続きだったため2007年 撤退表明。2008年(平成20年)3月25日に閉店した。会社は解散せず井筒屋が伊勢丹保有の株式を1株1円で引き取り、4月1日に後継店「COLET(コレット)井筒屋」として営業再開した。詳細はコレット (百貨店)を参照
- 1973年(昭和48年)10月岩田屋との提携 熊本交通センターとの合弁により「岩田屋伊勢丹ショッピングセンター」開業。1974年7月 百貨店化。、1993年(平成5年)3月 伊勢丹が資本を引き上げ「熊本岩田屋」に社名変更。2003年2月11日閉店。その後の詳細は県民百貨店を参照
日本国外旧店舗
- シンガポール伊勢丹ハブロック店(シンガポール) - 1993年5月シンガポール伊勢丹スコッツ店オープンに伴い閉鎖
- バルセロナ伊勢丹(スペイン・バルセロナ) - 1993年8月閉鎖
- 香港伊勢丹(香港)1996年 - 香港返還前後の不動産高騰によるコスト高のため閉鎖。跡地はアニエスベーに。
- ロンドン伊勢丹(イギリス・ロンドン) - 2000年12月閉鎖。
- ウイーン伊勢丹(オーストリア・ウイーン) - 2003年8月閉鎖。
- 済南伊勢丹 - (中華人民共和国)- 2007年9月23日閉店。
- 高雄大立伊勢丹(台湾) - 2008年3月閉店。(大立百貨として営業)。
出店中止
- 千葉店・横浜店
- バブル経済のさなか横浜そごう(現:そごう横浜店)の隣接する駐車場に出店する計画があった。その後、伊勢丹に代わり三菱倉庫が横浜ベイクォーターとして開発し、2006年(平成18年)8月24日に開店した。
- また、2000年(平成12年)7月のそごう破綻の際に横浜そごう、千葉そごう(現:そごう千葉店)の店舗を取得し、伊勢丹横浜店・伊勢丹千葉店として開業させる計画があったが、その後の西武百貨店とそごうによる包括業務提携により横浜・千葉進出の計画は消滅した。
- 以前にも千葉駅西口再開発ビルの核テナントとして伊勢丹千葉店の出店が計画されていたが、こちらも千葉駅西口再開発計画の頓挫により出店計画が消滅している。
- 古くは地場百貨店の田畑百貨店(現在は千葉パルコ)との業務提携があり、他にも千葉中央ツインビルの核テナントとしての出店計画などで千葉進出を何度も目論んでいた。
- また2016年以降のJR千葉駅改築の際にメインテナントとして伊勢丹千葉店が出店する計画があるが詳細は未定ながら、三越千葉店が入居する塚本ビルの全体改築の計画もあるため、三越の後継店舗として千葉駅ビル内に伊勢丹が進出するといわれている。
- お台場店(東京都港区)
- 住友商事が中心となって建設する商業施設の核テナントとして出店計画が進められていたが、バブル崩壊による業績低迷により1993年(平成5年)に正式に断念。メインバンクより、当時お台場店と併行して計画を進めていたジェイアール京都伊勢丹とどちらか一方に絞るように圧力があったことも理由の一つと言われている。予定地には、1996年(平成8年)7月12日にデックス東京ビーチが開店した[4]。
三越との提携
2008年(平成20年)4月1日に、三越とともに、株式移転により純粋持株会社「株式会社三越伊勢丹ホールディングス」を設立し、両社は、この持株会社の傘下となって経営統合した。 伊勢丹は旧・三菱銀行時代以来、メインバンクである三菱東京UFJ銀行出身者を役員に複数登用するなど同行との関係が歴史的に深く、旧・三井財閥系の三井グループである三越との経営統合とどう影響し合うか注目される。 伊勢丹は比較的若年層に強い一方、三越は日本初の老舗百貨店という絶大なブランド力を持つ。日本初のデパートメントストア宣言を行い、エスカレーターや、お子様ランチ、通信販売などを最初に取り入れ、中高年層や全国の法人外商に強さを持つ。日本橋三越本店の富裕高齢購買層の一人当りの客単価は平均60万円[要出典]ともいわれる。 しかし統合にあたっては、伊勢丹が統合持株会社の交換比率で優位であり、統合会社の初代執行役員は伊勢丹になることが内定した。伊勢丹側が主導権を握ることが確実になったことにより、伊勢丹が代表総合幹事店のADO加盟店との競合などを含め、混乱が予想される[5]。
主なグループ会社
このページの一部を「三越伊勢丹ホールディングス」に分割することが提案されています。 議論は「このページのノート」を参照してください。なお、分割を行う際には履歴不継承にならないように注意してください。(2013年4月) |
関連子会社
クレジット・金融事業
- 株式会社エムアイカード(100%出資)旧社名・伊勢丹アイカード:社名を2009年(平成21年)9月1日に変更(三越伊勢丹ホールディングスの統合のため)
- 株式会社井筒屋ウィズカード (株式会社エムアイカード100%出資)
- 提携先井筒屋の子会社だったが、井筒屋から株式を取得して連結子会社化。その後山口フィナンシャルグループに全株式を売却した。
小売・専門店事業
- 株式会社クイーンズ伊勢丹(高級スーパーマーケット)(100%出資)
- 株式会社マミーナ(婦人服専門店業)
その他
- 株式会社伊勢丹研究所(調査・研究受託業)
- 株式会社伊勢丹会館(不動産事業)
- 株式会社伊勢丹スイング(スポーツ施設運営)
- 株式会社三越伊勢丹ビルマネジメント(ビルメンテナンス業)
小売・専門店事業
- アールアンドアイダイニング株式会社(2007年(平成19年)1月1日に株式会社伊勢丹ダイニングから商号変更。伊勢丹100%出資の子会社であったが、2005年(平成17年)にロイヤルホールディングスが資本参加し、出資比率は33.3%になっている。)
- 新宿サブナード株式会社
その他
- セントレスタ株式会社(レストラン業)
- 株式会社JTB伊勢丹トラベル(旅行業)
かつての関連会社
伊勢丹を扱った作品
脚注
- ^ “伊勢丹、小倉撤退へ 井筒屋 完全子会社化し入店”. 西日本新聞 (2007年12月25日). 2007年12月25日閲覧。
- ^ 伊勢丹 企業活動レポート2006伊勢丹本店は、新宿駅から最も離れた場所に立地しているにもかかわらず、年間約3千万人ものお客さまにご来店いただいております。
- ^ 左側の回転レストラン(現在は閉鎖)が最上階にある建物は、「松戸ビルヂング」で伊勢丹とは別。
- ^ 「お台場物語」武藤吉夫著、日本評論社、2003年。ISBN 9784535583627
- ^ 統合のIR告知 (PDF)
参考文献
- 創業100周年記念事業社史編纂実行委員会『新世紀への翔き 伊勢丹100年のあゆみ』伊勢丹、1986年。
関連項目
- 全日本デパートメントストアーズ開発機構 - 伊勢丹と松屋が幹事を務める共同仕入機構。
- 読売ジャイアンツ - セントラル・リーグならびに日本シリーズ優勝の際に一部店舗で優勝セールを行う。
- 浦和レッズ - 2006年(平成18年)Jリーグ優勝の際に浦和店が優勝セールを行った。また応援感謝祭なども定期的に行っている。
- ISETAN ヒット・オン・サンデー - TBSラジオで放送されていた伊勢丹一社提供番組。
- ラ・セーヌの星 - 本放送当時の一社提供スポンサー(1975年(昭和50年)、フジテレビ他で放送)。
- COWCOW - メンバーの多田健二が伊勢丹の紙袋柄のスーツを着てネタをすることで知られている。
- カブトヤマ - 1933年(昭和8年)の第2回東京優駿大競走(日本ダービー)優勝馬。馬主は当時の伊勢丹社長の前川道平。
- タイガー・ジェット・シン - 1973年、新宿伊勢丹前でアントニオ猪木を襲撃した。
外部リンク
このテンプレートは廃止により使われていません。{{Commonscat}}に張り替えてください。