海津市

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かいづし
海津市
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 岐阜県
団体コード 21221-1
面積 112.03km2
総人口 34,757
推計人口、2016年6月1日)
人口密度 310人/km2
隣接自治体 羽島市養老郡養老町
安八郡輪之内町
愛知県愛西市稲沢市
三重県桑名市いなべ市
市の木
市の花 みかんの花
海津市役所
所在地 503-0695
岐阜県海津市海津町高須515
北緯35度13分14秒東経136度38分11.3秒
海津市役所
外部リンク 海津市

海津市位置図

― 市 / ― 町・村

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海津市歴史民俗資料館の敷地内に再現されている堀田
木曽三川公園展望タワー
千本松原
長良川国際レガッタコース

海津市(かいづし)は岐阜県の南西に位置するである。旧南濃町区域に山地があるが、旧海津町、平田町域はほぼ全域が海抜ゼロメートル地帯であり、輪中地帯として有名。

地理[編集]

市内では輪中がよく見られる。西側の三重県境には南北に養老山脈が連なり、濃尾平野3大河川の揖斐川、長良川、木曽川が合流する地形となっている。

歴史[編集]

沿革[編集]

縄文時代[編集]

南濃町羽沢に貝塚羽沢貝塚)があり、土器・石器・人骨・甕棺が出土していることから、遅くとも縄文晩期後半(約2500年前)には海津一帯に縄文人が定住していたと考えられる。なお、この時代の海津は海に面しており、貝塚からはヤマトシジミなどが見つかっている。

高須輪中の完成[編集]

鎌倉時代末期の1319年元応元年)、標高が低いために高潮などによる水害に苦しんだ農民たちが、それまで下流側に堤防がない「尻無堤」に堤防を追加し、集落全体を囲う最初の輪中である高須輪中が完成した。その後周辺の集落もこれに習い、周辺地域には数十の輪中が形成された。木曽川長良川の強力な水流が作りかけの堤防を流してしまうことも多く、川に人柱が捧げられることもあった。

行基寺建立[編集]

1700年元禄13年)尾張藩徳川光友の二男松平義行高須に封じられた時、行基創建の寺院跡といわれていた場所に、松平家菩提寺として1705年宝永2年)に再建されて行基寺と命名された。地元産の河戸石を用いた城郭造りで、濃尾平野を一望できる山腹にある。

宝暦治水[編集]

木曽三川の全てが集中するという地理上の理由と、「堤を作るときは尾張藩の御囲堤(おかこいづつみ)より3尺(約91cm)低く堤防を作らなければならない」という幕府の命令により、江戸時代の海津市周辺は洪水が多発していた。これを改修するために薩摩藩士が動員され、そのうち33名が病死、平田靱負をはじめとする51名が引責、または、幕府への抗議のため自害した(宝暦治水)。治水神社は彼らを祭神とする。

宝暦治水は絶大な効果を挙げるように思われていたものの、完成した堤が川底への土砂の堆積を促したため実際には輪中地帯の洪水の回数はむしろ増加した。したがって明治期のお雇い外国人であるヨハネス・デ・レーケによる木曽三川分流工事が行われるまで、輪中地域はたびたびの洪水被害に苦しんだ。

幕末の高須四兄弟[編集]

高須藩から、徳川慶勝松平容保をはじめ高須四兄弟を輩出した。彼らは後に、全員が主要な藩の跡目を継ぎ、旧幕府と新政府の両政府で中心的な役割を果たした。彼らは、それぞれ新政府側、旧幕府側に分かれたとはいえ兄弟間の関係は良く、明治11年には4人そろっての記念写真を撮影している。

三重県桑名郡の一部を編入[編集]

明治16年11月1日 三重県桑名郡の金廻村・油島新田・江内村を岐阜県下石津郡が編入。

町村制施行と合併[編集]

明治22年7月1日 町村制施行(1町34村)

  • 高須町、高須村、萱野村、札野村、内記村、馬目村、福岡村、日下丸村、西小島村、東小島村 (高須町 → 海津町 → 海津市)
  • 稲山村、安田村、安田新田、本阿弥新田、沼新田、帆引新田、深浜村 (西江村 → 海津町 → 海津市)
  • 万寿新田 (西江村及び大江村 → 海津町 → 海津市)
  • 福江村、金廻村、油島村、古中島村 (大江村 → 海津町 → 海津市)
  • 西駒野村、徳田村、徳田新田、庭田村、奥条村、羽沢村、山崎村、上野河戸村 (城山町 → 南濃町 → 海津市)
  • 太田村、吉田村、田鶴村、松山村、境村 (石津村 → 南濃町 → 海津市)

1897年(明治30年)4月1日[1] 海西郡、安八郡の一部(今尾町、高田村、三郷村、仏師川村、平原村、土倉村、脇野村、西島村)と合併して海津郡となった。

昭和29年11月3日 城山町が池辺村のうち大字駒野新田、釜段字徳島を編入

昭和29年11月5日 城山町、石津村、下多度村が合体、南濃町を設置

昭和30年1月15日 高須町、吉里村、東江村、大江村、西江村が合体、海津町を設置

昭和30年2月1日 海津町が今尾字平原を編入

昭和30年2月1日 海西村、今尾町(字平原を除く)が合体、平田町を設置

昭和41年12月2日 海津町が平田町大字脇野との境界変更

平成17年3月28日 海津町、平田町、南濃町が合体、海津市を設置

明治大改修[編集]

大正改修[編集]

1921年(大正10年)に大正改修(三川上流改修工事)が行われ、洪水の被害は更に減少した。この改修と明治大改修で輪中の必要性は徐々に薄れ、輪中の存在が交通の不便を生んでいたこともあって、輪中は次々と破壊されていった。

新市名を巡る混乱[編集]

2005年3月28日、海津郡の3町(海津町南濃町平田町)が合併し、市制を施行[2]。合併協議では2003年3月、全国から公募された新市名の中から旧3町の頭文字を一文字ずつ採った、平(ひら)南(な)海(み)から「ひらなみ市」とすることでいったん合意がなされた。背景には、「海津市」とすると旧海津町に有利な名前となるのでは、という思惑があったと思われる。

しかし2,559件の応募のうち郡名でもある「海津」が最も多い511票あったのに対し、「ひらなみ」は2票しかなかった。その後住民により再考を求める運動が行われ、同年6月には南濃町で4,406人分の、海津町では15歳以上の住民による9,540人分の署名が提出された。反発はゆかりの深い鹿児島県からも寄せられた[3]。住民からの反発を受け、合併協議会は2004年4月から5月にかけて郵送方式による住民意識調査を実施し、この中でもっとも多くの支持を集めた名前を新市名にするとした。同年5月31日に行われた集計で「海津市」が25,081票中20,383票という圧倒的支持を得たことから最終的に海津市となったが、新市名を巡る混乱により当初2004年3月を目標としていた合併が1年遅れる事になってしまった。

産業 [編集]

  • 主な農産物
    • 水稲
    • 小麦
    • 大豆
    • きゅうり
    • トマト
    • ピーマン
    • みかん((国内最北端を主張)

人口[編集]

Demography21221.svg
海津市と全国の年齢別人口分布(2005年) 海津市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 海津市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
海津市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 31,206人
1975年 34,380人
1980年 37,671人
1985年 39,538人
1990年 40,811人
1995年 41,694人
2000年 41,204人
2005年 39,453人
2010年 37,949人
総務省統計局 国勢調査より

行政[編集]

首長陣[編集]

  • 市長:松永 清彦
  • 市議会議長:服部 寿
海津市役所(旧:海津町役場)
  • 〒503-0695
  • 岐阜県海津市海津町高須515

姉妹都市・提携都市など[編集]

海外[編集]

姉妹都市

日本国内[編集]

姉妹都市
提携都市
その他
  • 日本の旗全国門前町サミット
    全国の神社仏閣を中心に発展してきた門前町を有する自治体・観光協会・商業関係者などが集まり地域活性、街作り推進のため開催する会議。

学校[編集]

高等学校[編集]

特別支援学校[編集]

中学校[編集]

2008年4月、海津市立城山中学校海津市立養南中学校を統合。
2016年4月、海津市立城南中学校と海津市立南濃中学校を統合。

小学校[編集]

  • 海津市立石津小学校
  • 海津市立城山小学校
  • 海津市立下多度小学校
  • 海津市立西江小学校
  • 海津市立大江小学校
  • 海津市立東江小学校
  • 海津市立吉里小学校
  • 海津市立高須小学校
  • 海津市立今尾小学校
  • 海津市立海西小学校

交通[編集]

鉄道[編集]

※太字は市の代表駅。

南濃地区を通っている。市役所のある海津地区及びお千代保稲荷のある平田地区に鉄道は通っていない。海津地区および平田地区の最寄駅は東海道新幹線岐阜羽島駅及び名鉄羽島線新羽島駅

バス[編集]

道路[編集]

高速道路は名神高速道路岐阜羽島インターチェンジまたは大垣インターチェンジを利用する。南部地区は東名阪の[桑名東インターチェンジ][弥富インターチェンジ]を利用する。

一般国道[編集]

県道(主要地方道)[編集]

道の駅[編集]

観光[編集]

名所[編集]

旧跡[編集]

神社・仏閣[編集]

千代保稲荷神社門前町(2006年5月)
今尾の左義長

その他[編集]

施設[編集]

病院[編集]

出身有名人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 揖斐郡志』、揖斐郡教育会、1924年12月、292-295頁
  2. ^ 県内では同年2月13日中津川市と周辺の町村の編入合併以来。
  3. ^ 旧・平田町は宝暦治水の総奉行を担った薩摩藩[家老]、平田靱負に由来するため。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]