呉 (姓)

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(ご、くれ)は、漢姓のひとつ。

中国の姓[編集]

各種表記
繁体字
簡体字
拼音
注音符号 ㄨˊ
ラテン字 Wu
広東語発音: Ng4
上海語発音: Ng1(白読), Wu1(文読)
台湾語白話字 Ngô͘(漳州訛り), Gô͘(泉州訛り)
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呉は中華圏の代表的な姓のひとつで、2007年の統計によると、中華人民共和国で9番目に多い姓であった[1]

北方語ではウー、閩南語ではゴまたはゴー、広東語ではンのように仮名表記されることが多い。発音が近い「」「伍」などと区別するために、「口に天の呉」と呼ぶことが多い。

著名な人物[編集]

架空の人名[編集]

朝鮮の姓[編集]

各種表記
ハングル
漢字
発音:
日本語読み:
ローマ字 O
英語表記: Oh, Oe, Au, Ou
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(ご、オ、: )は、朝鮮人の姓の一つである。

著名な人物[編集]

氏族[編集]

文献には210本の本貫が伝わる。海州呉氏、宝城呉氏、同福呉氏の3本が呉氏人口の90%以上を占める。

氏族(地域) 創始者 割合 (%) (2000年)
羅州呉氏韓国語版
宝城呉氏韓国語版
海州呉氏 始祖は高麗から渡来した呉仁裕
同福呉氏
高敞呉氏
咸平呉氏
蔚山呉氏
楽安呉氏
平海呉氏
軍威呉氏
興陽呉氏
長興呉氏
咸陽呉氏
和順呉氏
延日呉氏

ベトナムの姓[編集]

各種表記
クォック・グー Ngô
北部発音: ゴ、ンゴ
中国語表記:
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呉(ご、ゴ、ンゴ、ベトナム語: Ngô)は、ベトナムの姓のひとつ。

著名な人物[編集]

日本の姓[編集]

(くれ、ご)は、日本の姓・氏族のひとつ。「くれ」とも表記されることがあった[2]

この氏の由来について『姓氏家系大辞典』の説明によると、日本の飛鳥時代から奈良時代後期は中国の南北朝時代に相当しており、多くの場合日本は中国の南朝と交流していた[2]。その南朝の支配地域が三国時代に、呉国が存在していたため、クレに当てて「呉」の字を使用したとされる[2]。そして、中国から日本に移住してきた氏族であること、その移住者が住んでいたことから生じた地名を氏としたこと、中国に使者として赴いたこと、などの理由から呉という氏がはじまったとされる[2]

呉勝[編集]

呉氏
氏姓
凡例 / Category:氏

呉勝くれ の すぐりは、「呉」を氏の名とする氏族。渡来系氏族である[2]

播磨国風土記』、揖保郡大田里条に「大田と称するゆえんは、昔・呉勝・韓国より渡り来たり、はじめて紀伊国名草郡大田村にいたり、その後、分かれ来て、移りて摂津国三島加美郡大田村に遷り来る。これ本の紀伊国なる大田をもって名となすなり」とあり[2]。紀伊国、摂津国、播磨国とする呉氏が住んでいたことが記されている[2]

呉公[編集]

呉氏
氏姓
始祖 雷大臣命
出自 中臣氏
種別 神別天神
本貫 山城国
凡例 / Category:氏

呉公くれ の きみは、「呉」を氏の名とする氏族[2]

この氏族については『新撰姓氏録』の「山城国、神別」に「天相命十三世孫・雷大臣命の後なり」と収録されている[2]雷大臣命いかつおみ中臣烏賊津使主なかとみのいかつおみのことであり[3]、この呉氏は中臣氏の一族であるといえる[2]

吉士族の呉氏[編集]

呉氏
氏姓 呉氏
氏祖 吉士長丹
凡例 / Category:氏

吉士族の呉氏は、「呉」を氏の名とする氏族[2]遣唐使を務めた吉士長丹きし の ながにからはじまる呉氏である[4]

日本書紀白雉5年(654年)7月条に「西海使吉士長丹等、百済・新羅の送使とともに、筑紫に泊す。」「この月、西海使等が、唐国の天子に奉対して、多くの文書・宝物を得たるを褒美して、小山上大使・吉士長丹に小華下をもってして、封二百戸を賜い、姓を賜いて呉氏となす」と記されている[2]


百済渡来人の呉氏[編集]

呉氏
氏姓 呉氏
出自 百済国
種別 未定雑姓
本貫 右京
凡例 / Category:氏

百済渡来人の呉氏は、「呉」を氏の名とする氏族[2]百済から来た渡来系氏族である[2]

この氏族については『新撰姓氏録』の「未定雑姓、右京」に「呉氏、百済国人徳率呉伎側の後と云えり、見えず」と収録されている[2]

呉人裔の呉氏[編集]

渡来系氏族と思われる呉氏である[2]

この氏族の人物として、奈良時代の医術家・呉粛胡明ごしゅく こめいがあげられる[2][5]。呉粛胡明の名前は『続日本紀養老5年(721年)正月紀に「従五位下呉粛胡明」、神亀元年(724年)5月紀に「従五位下呉粛胡明に姓を御立連と賜う」と記述されている。『姓氏家系大辞典』では、「呉粛」の「呉」は国名をさし、氏は「粛」ではないかと推測している[2]

その他の呉氏[編集]

正倉院文書』、天平20年(748年)4月25日の写書所解(案)申願出家人事などに、右京六条三坊の人「呉金万呂」の名前がある[2]。また『撰解文集』に「呉公員」という人が見える。 呉浦(現:広島県呉市)の開発領主は呉氏であった[6][7]

著名な人物[編集]

脚注[編集]

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参考文献[編集]

関連項目[編集]