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大韓民国の姓の分布(2000年)
  崔(4.7%)
中国語
中国語 ツェイ
繁体字
簡体字
発音記号
標準中国語
漢語拼音Cuī
国語ローマ字Tsui
注音符号ㄘㄨㄟ
呉語
上海語ローマ字Tshoe1
粤語
粤拼Ceoi1
閩南語
閩南語白話字Chhui
朝鮮語
ハングル
漢字
英語Choei, Ch'oe, Choi, Che, Choy, Chey

(さい)は、漢姓の一つ。

中国[編集]

(さい)は、中華圏の姓の一つ。炎帝神農を祖とする。

起源[編集]

炎帝神農は姜水(現在の渭水の支流である清姜河)のほとりで長じ、姓を名乗る。子孫の太公望呂尚は、武王を補佐してを滅ぼした軍功によりに封ぜられた。太公望死後、子の丁公が跡を継いだ。丁公の嫡子の季子は斉公の継承を固辞して弟の乙公に譲り、自ら崔邑(現在の山東省章丘市北西)に隠棲して崔氏の始祖となった。

変遷[編集]

崔季子の後世は代々の要職に就き、斉国の豪族となった。八世孫の崔杼は下剋上を成し、国の実権まで手に入れたのち、斉国の貴族の謀略により失脚する。それ以降、崔氏は斉国における勢力を失い、残党が隣国へ亡命してに仕官した。

の統一後、崔杼の子孫の崔意如が東萊侯に封ぜられる。の時代になると、崔意如の嫡子の崔業は爵位を継ぎ、清河東武城(現在の河北省故城県南部)に住して清河崔氏の祖となった。崔業の弟にあたる崔仲牟博陵安平(現在の河北省安平県)に住み着き、博陵崔氏の祖となった。

西晋末期、平州刺史の崔毖は一族を率いて高句麗へ亡命し、朝鮮半島における崔氏の祖となったと言われる。

魏晋南北朝時代から唐末期まで、後漢の豪族を前身とする「士族」と呼ばれる貴族層が、血統を基幹として国の政治に絶大な影響力を与えた。清河崔氏と博陵崔氏はいずれも山東士族の名門へと成長した。両家とも時代において最も勢力の持つ七つの家系の「五姓七家」に列せられた。清河崔氏と博陵崔氏から合わせて29名の宰相が生まれた。両家で多くの官僚と文人を輩出したほか、各地に鄭州崔氏、鄢陵崔氏、南祖房崔氏、青州房崔氏、清河大房崔氏、清河小房崔氏、博陵安平崔氏、博陵大房崔氏、博陵第二房崔氏、博陵第三房崔氏等の支流の家系がある。初における『貞観氏族志』の編纂が行われる当時、博陵崔氏の崔民幹が一等の家格とされ、唐李氏は三等に格付けされた。これに怒った太宗は作り直しを命じ、李氏を一等に、唐の外戚の長孫氏らを二等に、山東士族らを三等に付けた。

唐末、士族の政治体制が各地に起こる戦乱により潰された。崔氏も貴族制の崩壊に伴い権力と地位を失った。

著名な人物[編集]

氏族[編集]

魏晋南北朝時代から隋唐にかけての郡望に、以下の氏族がある。

朝鮮[編集]

(チェ)は、朝鮮の姓の一つである。英語表記から誤ってチョイと表記されることもある。

とともに朝鮮の五大姓の一つ。2015年の韓国での人口は2,333,927人[1]

著名な人物[編集]

氏族[編集]

本貫は320個以上。

氏族(本貫) 始祖 人数(1万人以上の本貫のみ、2015年)[1]
江陵崔氏朝鮮語版 145,335
慶州崔氏朝鮮語版 945,005
羅州崔氏朝鮮語版
東州崔氏朝鮮語版
隋城崔氏朝鮮語版 61,231
水原崔氏朝鮮語版 14,687
牛峰崔氏朝鮮語版
全州崔氏朝鮮語版 458,191
忠州崔氏 崔陞 15,705
耽津崔氏朝鮮語版 89,943
通川崔氏朝鮮語版 11,178
海州崔氏朝鮮語版 201,625
和順崔氏朝鮮語版 38,604
興海崔氏朝鮮語版 14,792
杆城崔氏
江華崔氏 13,372
開城崔氏
景星崔氏
月城崔氏 82,843
陽川崔氏
原州崔氏
鶏林崔氏
古阜崔氏
公州崔氏
光州崔氏
渓山崔氏
溟州崔氏
武州崔氏
完山崔氏
扶安崔氏
朔寧崔氏 51,525
尚州崔氏
龍宮崔氏
承寧崔氏
牙山崔氏
楊州崔氏
余水崔氏
延豊崔氏
霊巖崔氏
朗州崔氏 17,205
永州崔氏
永川崔氏 21,431
永興崔氏
龍岡崔氏
龍州崔氏
河陰崔氏
河東崔氏
全義崔氏
川寧崔氏
鉄原崔氏 11,403
青松崔氏
草渓崔氏 37,527
忠原崔氏
漢南崔氏
黄州崔氏
会寧崔氏

日本[編集]

「さい」と読む

脚注[編集]

  1. ^ a b 문서뷰어”. kostat.go.kr. 2022年7月7日閲覧。

関連項目[編集]