霞が関

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日本 > 東京都 > 千代田区 > 霞が関
霞が関周辺・1989年平成元年)撮影、国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
霞が関一丁目交差点・2010年(平成22年)撮影、画像右側が一丁目、左側が二丁目である。

霞が関(かすみがせき)は、東京都千代田区の南部に位置する地名である。霞ヶ関または霞ケ関と書かれる場合もある。一丁目から三丁目まである。郵便番号は100-0013。人口は、7人(2011年2月1日現在、住民基本台帳人口による。内訳は一丁目0人、二丁目1人、三丁目6人。)。

地理

霞が関は千代田区南部の町名であり、日本の行政機関庁舎が建ち並んでいることで知られる。

歴史

歌川国芳による浮世絵

奥州街道の関所として中世から東国の名所として広く知られており、1364年貞治3年)の『新拾遺和歌集』にも「徒らに名をのみとめてあづま路の霞の関も春ぞくれぬる」として詠まれているが、これが現在の千代田区霞が関にあたるかどうかについては異論もあり、具体的には新宿区霞岳町狭山市下広瀬、多摩市関戸などが候補として挙がっている。

霞ヶ関の煉瓦街(1930年代)

江戸時代までは大名屋敷が並ぶ地域であった。明治時代に大火があり、跡地に外務省海軍省有栖川宮邸などが置かれたことをきっかけに、官公庁施設の集積地(正式には中央官衙地区(ちゅうおうかんがちく)または霞ヶ関一団地の官公庁施設と呼ばれる)としての計画的な整備が進められ、官庁街になる。

これが転じて、「霞が関」という語は、「日本の中央官界」の代名詞としても使われている。また、中でも最も古くから霞が関にある「外務省」の代名詞として、「官邸外交」に対する「霞が関外交」のように用いられることもある。

戦後は米軍の業務、住宅施設が存在していた時期もあった。

1967年4月1日住居表示が施行され[1]1968年に日本初の超高層オフィスビルである霞が関ビルディングが完成している。

町名の変遷

実施後 実施年月日 実施前(特記なければ各町名ともその一部)
霞が関一丁目 1967年4月1日 霞ケ関一丁目、霞ケ関二丁目、霞ケ関三丁目
霞が関二丁目 霞ケ関一丁目、霞ケ関二丁目
霞が関三丁目 霞ケ関三丁目、三年町、永田町二丁目
永田町一丁目 永田町一丁目(大部分)、三年町、霞ケ関一丁目、霞ケ関二丁目、霞ケ関三丁目

施設

法務省旧本館
警視庁本庁舎
霞が関ビルディング
霞が関コモンゲート

霞が関一丁目

霞が関二丁目

霞が関三丁目

交通

鉄道

バス

首都高速道路

脚注

  1. ^ 同年4月11日、自治省告示第81号「住居表示が実施された件」

関連項目

外部リンク