近江鉄道
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒522-8503 滋賀県彦根市古沢町181番地 |
本店所在地 | 滋賀県彦根市大東町3番1号 |
設立 | 1896年6月16日 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 1160001008109 |
事業内容 | 鉄道事業、乗合バス事業、貸切バス事業、観光・レジャー事業他 |
代表者 | 代表取締役社長 中村隆司 |
資本金 | 405百万円 |
売上高 | 9,383百万円(2005年度) |
総資産 | 16,741百万円(2005年度) |
従業員数 | 434名 |
決算期 | 3月末日 |
主要株主 |
西武鉄道(74.5%) 西武建設(20.5%)他 |
主要子会社 |
近江タクシーサービス 土山ハイウェイサービス オーミマリン 湖国バス他 |
関係する人物 | 堤康次郎 |
外部リンク | www.ohmitetudo.co.jp/ |
近江鉄道株式会社(おうみてつどうかぶしきがいしゃ)は、滋賀県東部で鉄道事業とバス事業を中核として営む鉄道会社である。
概要
滋賀県下では最古の私鉄。地元では「ガチャコン電車」と呼ばれて親しまれ、現在では比較的若い世代を中心に「ガチャ」の愛称で呼ばれている。
戦後一貫して西武グループの会社であることから、電車は元西武401系電車など西武鉄道の中古車両を種車とする改造車両を主力とし、バスと一部の鉄道車両には西武鉄道系列の企業らしくライオンズカラーやレオマークが施されている。
近畿地方の公共交通機関が多く加盟しているスルッとKANSAIには加盟していないため、近江鉄道の鉄道・バスの全区間でスルッとKANSAI対応カードやPiTaPaは利用できない。なお、大津営業所管内の一部の路線バス(大津市の瀬田地区と草津市内の一部路線)では、自社専用の「近江鉄道バスICカード」が利用可能である。
2010年3月までの旧本社社屋は元々彦根市立東中学校だった建物(木造校舎)を使っていた。
略称について
近江鉄道はかつて「近鉄」と呼ばれていた。読み方は当初は「おうてつ」で、後に「きんてつ」となった。
今日「近鉄」というと近畿日本鉄道およびそのグループ会社を指すのが一般的だが、近江鉄道を「近鉄」と呼ぶ方が歴史は古い。近畿日本鉄道は1944年の発足後しばらくは「近鉄」ではなく「近日」を略称としており、社名を冠した駅名でも1970年までは「近鉄○○駅」ではなく「近畿日本○○駅」を公式名称としていた。
現在でも地元の一定の世代からは近江鉄道を「おうてつ」または「きんてつ」と呼ばれることがある。また、昭和60年代ごろまでは彦根駅の乗り場に近鉄のりばの看板が掲示されていた。
歴史
1889年(明治22年)の東海道本線開業時に、後の近江鉄道本線にあたる鉄道を私鉄で建設する計画が立てられ、東海道本線の彦根駅と関西鉄道の深川駅(現甲南駅)を結ぶ鉄道として1893年(明治26年)に出願された計画が1896年(明治29年)に免許され、設立された鉄道会社が近江鉄道である。初代社長には地元選出の衆議院議員である大東義徹が就任し[1]、彦根 - 愛知川間が1898年(明治31年)に開業し、1900年(明治33年)に彦根 - 貴生川(当初の計画から変更)間が開通した。
後に電化のため、電力会社の宇治川電気(関西電力の前身の一つ)の系列に入ったが、その後太平洋戦争中の電力統制政策に伴い宇治川電気は鉄道事業を手放し、1943年(昭和18年)には近江鉄道の沿線である滋賀県愛知郡八木荘村(現在の愛荘町)出身の堤康次郎が率いる箱根土地(後のコクド、現在のプリンスホテル)の経営傘下に入った。
1944年(昭和19年)に八日市鉄道を合併して八日市線としたが、その一部である新八日市 - 御園間(御園線または飛行場線とも呼ばれた)は1948年(昭和23年)に休止され、1964年(昭和39年)に廃止された。
沿革
- 1896年(明治29年)6月16日 近江鉄道株式会社設立。
- 1898年(明治31年)6月11日 彦根 - 愛知川間が開業。
- 1900年(明治33年)12月28日 彦根 - 貴生川間が開通。
- 1914年(大正3年)3月8日 多賀線が開業。
- 1926年(大正15年)10月1日 宇治川電気の系列となる。
- 1931年(昭和6年)3月15日 米原 - 彦根間が開業し本線が全通する。
- 1943年(昭和18年)5月10日 箱根土地の経営傘下となる。
- 1944年(昭和19年)3月1日 八日市鉄道株式会社を合併。八日市線となる。
- 1944年(昭和19年)12月 タクシー事業の開始。
- 1948年(昭和23年)8月1日 新八日市 - 御園間休止。1964年(昭和39年)に廃止。
- 1964年(昭和39年)11月 宅地分譲(八日市)不動産事業の開始。
- 1972年(昭和47年)9月 観光、開発、不動産事業を近江開発株式会社に営業譲渡。
- 1973年(昭和48年)6月 バス、貸切バス事業を近江バス株式会社に営業譲渡。
- 1975年(昭和50年)6月 ハイヤー部門を長浜近江タクシー株式会社他、6社に営業譲渡。
- 1983年(昭和58年)4月 近江観光株式会社を合併。
- 1986年(昭和61年)4月1日 八日市 - 貴生川間にレールバスLE-10形導入。
- 1986年(昭和61年)4月 近江バス株式会社を合併。
- 1988年(昭和63年)3月12日 貨物営業を全廃。
- 1996年(平成8年) レールバス廃止。
- 1998年(平成10年)6月13日 八日市線の快速で700系電車「あかね号」運転開始。
- 2002年(平成14年)3月23日 本線・多賀線で自転車を車内に持ち込めるサイクルトレイン運行開始。5月から通年運行に。
- 2003年(平成15年)3月 大津営業所管内の一部路線バス(立命館大学方面)から「近江鉄道バスICカード」を導入開始。
- 2010年(平成22年)3月19日 彦根市古沢町に本社ビルを竣工。
鉄道事業
以下の3つの路線を営業しており、全線で電気運転となっている。電車はワンマン運転で、単行(1両)あるいは2両編成で運行している。
かつては電力費節減を目的にレールバス(気動車)も使用していたが、コスト節減効果が思った程大きくなく、通勤時の混雑対処困難や、あまりの軽量で踏切が正常に作動しないなど小型車故の弊害の方が目立ったため、導入から10年で使用を断念した。
かつて東海道新幹線の建設に際し、自社路線との並行区間で鈴鹿山脈の眺望が遮られるという名目で国鉄に交渉し、補償金を得たという逸話が伝えられているが、真相は異なる。詳しくは「近江鉄道本線」を参照のこと。
主要駅である近江八幡駅や八日市駅でも1日の乗車人員は2008年度でそれぞれ2371人、2050人[2]と3000人にも満たない。そのため赤字がでており、東近江市をはじめ沿線自治体が全額負担している。
路線
現有路線
廃止路線
未成線
車両
現有車両
- 電車
- 電気機関車
- 貨車
- ワ34形
- ワ100形
- ワフ1形
- ト50形
- トム200形
- チ1形
- チ10形
- ホキ10形
-
700系電車(特別仕様の看板車両)
-
2009年現在、主力となっている800系電車
-
ED31形電気機関車
過去の車両
- 電車
- 気動車
- LE10形 (LE11 - LE15)
- 蒸気機関車
- 甲1型(No.1, No.2)
- 乙2型(No.3, No.4)
- 丙型(2代目No.5, No.6, No.7)
- 乙型(No.8, No.9)
- 1060型(No.1060)
- 1型(2代目No.2)
- 型式不明(No.5, 2代目No.1)
- 電気機関車
- ディーゼル機関車
特記事項
自社の彦根工場は創業以来100年以上の歴史があり、21世紀初頭の現在でも電車の大幅な改造工事を施工している。
地方私鉄の電車工場は一般に通常整備のみを行い、重整備・改造は車両回送などで外注してしまうこともあるが、彦根工場は珍しく活動が活発で、全般検査や改造は自社で行うほか、オリジナルな車体の新規製作・中古車体の延長工事などを行った実績も多い。明治末期から大正時代にかけては、小型客車2両の台枠・車体を結合して大型ボギー車に改造するという大胆な改造工事を成し遂げたことさえあるなど、地方私鉄の工場にしては非常に高い技術力を持っている。
他社から中古車を購入し、自社工場で使い勝手の良いように改造して使用することが多い。2012年時点で旅客営業に使用されている車両の多くが西武鉄道からの譲渡車である。彦根工場での大がかりな改造を受け、原型を留めていないものも多く見られる。
ほとんどの車両がブレーキを電気指令式ブレーキに改造されている。以前は吊り掛け駆動方式の電車にもこの改造が施された。
彦根駅の北側には貨物ヤードが存在したが、貨物輸送廃止と共に役目を終えた。しかし信号機こそないものの、線路と架線の一部が現在でも残っており、この線路を使用して車両の受け渡しを行っている。
路線にカーブが多く、車両の建築限界は大手私鉄に比べるとやや小さい。近年西武鉄道から購入した20m車体の大型電車を自社改造のうえ導入した際には、ホーム等の建築限界に接触する関係上、車体下部の四隅を三角形に切り取る簡易な「面取り」改造で限界抵触に対処するというユニークな手段を用いた。
現存する電車で最も古いものは、1898年(明治31年)の創業当時の客車を改造したことになっている。もし本当ならば車齢100年以上であるが、実際には改造車という名目で車籍のみを流用し、他社からの中古車両にそっくり入れ替え(すり替え)てきたものである。従って現在保有する電車は、実際には創業時の客車とは何の関係もなく、書類上のみの「日本最古の現役車両」である。近江鉄道ではこの「入れ替え」措置が数度に及ぶ車両(車籍)もあり、車庫での火災焼失などによる記録の喪失などの混乱とも併せて入れ替え実態が不明瞭な車籍も多く、鉄道車両史研究者の興味深い研究対象となっている。
私鉄では数少なくなった電気機関車を2011年現在も所有している。全盛期は入れ換え[3]用も含め12両が在籍した。1988年3月12日を最後に貨物列車が廃止されたため、用途が激減したにも関わらず、解体処分されることなく大部分の車両が彦根車庫に休車状態で留置され、一部の車両は工事列車や除雪・入れ換え作業を中心に使用された。イベントでは旅客列車に使用されたこともあるが、客車は在籍していなかったため、「パンタグラフを下ろした電車」を客車に見立てて牽引したほか、ED14を2機使用してプッシュプル運転を行った実績もある。しかしどの機関車も車齢が80年を超え老朽化が進んでいることや、ATSの装備や予備部品の確保が困難な点などから、現在工事列車の任は220形電車に役目を譲っている。現在では一部の車両が車籍を持つものの、本線運転は困難な状況にあることから、イベント等で構内・側線を移動する程度に留まっているなど、事実上の動態保存機に近い状態にある。これらの機関車は保存の要望が強く、ED4001は東武博物館へ譲渡され、その他の機関車も彦根駅に隣接する近江鉄道ミュージアムに保管されている。また本社のホームページでも電気機関車に関する専用ページが用意され、保存をアピールしている。
2004年頃までは彦根駅構内の片隅に使われなくなった車両の残骸が大量に放置されていたが、彦根駅の再開発により一部の車両を残して解体処分された。前述の電気機関車のほか、ディーゼル機関車、レールバス、貨車、果てには郵便電車や木造電車までもが留置されていた。このうち電気機関車とレールバス1両、一部の貨車が処分を免れ保存された。その間保存が決定していた車両は一部を除き高宮駅の側線へ疎開していた。
フリーきっぷなど
- S・Sフリーきっぷ
- 近江鉄道全線が1日乗り降り自由になる乗車券。年末年始を除く土曜・日曜・祝日に利用できる。「SS」という名称は、当初第2土曜のみ利用可能だった時の名残で(セカンド・サタデー)、利用可能日の拡大に伴って「サービス・サタデー(第2・第4土曜)」「すべての・サタデー(毎週土曜)」「サタデー・サンデー(日曜に拡大)」と語呂合わせが変更された[4]。
- ウォーキング・ハイキングフリーきっぷ
- 近江鉄道全線が1日乗り降り自由になる乗車券。「S・Sフリーきっぷ」と違って平日でも利用できるが、購入できる時間に制限があり、また購入時に申込書が必要となる。
- 米原乗り継ぎ往復きっぷ
- 八日市駅以南から近江鉄道を利用して米原駅で東海道新幹線などに乗り継ぐ際、割安となる往復乗車券。米原駅と八日市駅以南を往復する際にも利用できる。有効期間は発売日より3日間。
バス事業
近江鉄道グループのバス事業は滋賀県の南部から湖東・湖北にかけて広くカバーし、一部自治体のコミュニティバスの運行委託も行う。彦根地区・長浜地区は子会社である湖国バスが運行している。かつては大阪府大東市や京都市伏見区、名古屋市港区にも観光バスの営業所が存在した。また高速バス事業も手がけているが、2008年4月21日をもって長距離路線から撤退している。
バス営業所
大津営業所
大津市瀬田大江51-1
運行路線
- 近江大橋線(浜大津 - 草津駅西口)
- 大江循環線(瀬田駅 - 瀬田中学校前 - 瀬田駅)
- 庄山東自治会館(瀬田駅 - 庄山東自治会館前)
- 烏丸下物線(草津駅西口 - 山賀)
- 野路山線(野路山 - 草津駅)
- 神領団地線(石山駅 - 瀬田駅)
- 南草津立命線(南草津駅 - 立命館大学)
- 南草津松団線(パナソニック前 - 南草津駅)
- 草津飛島線(青山五丁目 - 草津駅)
- 草津山田線(北山田浜 - 草津駅)
- 南草津飛島線(松ヶ丘七丁目 - 南草津駅)
- 野郷原線(石山駅 - 大津市公設市場)
- 西大津日赤線(大津京駅 - 大津駅)
- 瀬田草津線(草津駅 - 瀬田駅)
- くりちゃんバス
- 宅屋線(草津駅西口 - 済生会病院)
- 大宝循環線(栗東駅西口 - なごやかセンター)
- 南草津西口線(南草津駅西口 - 草津駅西口)
- 湖岸線(浜大津 - 石山駅)
- 国道線(石山駅 - 浜大津)
- 生協シャトル湖岸コース(立命館大学 - レイクシティー上笠II番館 - 立命館大学)
- 中野製薬線(中野製薬 - 南草津駅西口)
- 瀬田市場線(瀬田駅 - 大津市公設市場)
- 浜街道線(石山駅 - 草津駅西口)
- 花屋敷鶴の里線(花屋敷池の里南 - 浜大津)
- 南草津イオンモール線(南草津駅西口 - イオンモール草津)
- 瀬田飛島線(青山五丁目 - 瀬田駅)
- 草津医大線(県立長寿社会福祉センター - 草津駅)
- 草津立命線(立命館大学 - 草津駅)
- 医大線(神領団地 - 立命館大学)
- 南草津医大線(南草津駅 - 県立長寿社会福祉センター)
- 大津立命線(大津駅 - 立命館大学)
- 瀬田循環線(瀬田駅 - 大津プリンスホテル)
- なぎさ公園線(大津駅 - 県立体育館)
- 瀬田イオンモール線(瀬田駅 - イオンモール草津)
- 平井循環線(草津駅西口 - 笠縫東小学校 - 草津駅西口)
- 古高大宝線(守山駅 - 栗東駅西口)
- 高橋川循環(瀬田駅 - 博愛保育園前 - 瀬田駅)
- 済生会病院線(栗東駅東口 - 守山駅東口)
あやめ営業所
野洲市菖蒲14-1
運行路線
- 下物線(下物 - 守山駅)
- 野洲市コミュニティバス
- 祇王中里コース(野洲駅 - 中主小学校前 - 野洲駅)
- 篠原コース(野洲駅 - 篠原駅 - 野洲駅)
- あやめコース(野洲駅 - あやめ浜)
- 木の浜線(守山駅 - 堅田駅)
- 八幡竜王線(近江八幡駅 - 竜王ダイハツ前)
- 永原循環線(野洲駅北口 - 家棟団地 - 野洲駅北口)
- 小浜線(守山駅 - あやめ浜)
- 野洲村田線(野洲駅北口 - 村田製作所)
- 八幡市内線(近江八幡駅 - ウォーリズグランド前 - 近江八幡駅)
- 河川公園線(野洲駅 - 河川公園口 - 野洲駅)
- 野洲守山線(守山駅 - 野洲駅)
- 野ヶ崎線(近江八幡駅 - 野ヶ崎)
- 守山市内循環線(守山駅 - 守山高校北口 - 守山駅)
- 長命寺線(近江八幡駅 - 休暇村)
- 西ゲート線(野洲駅 - 花緑公園)
- 木部線(野洲駅北口 - 湖南病院前 - 野洲駅北口)
- 篠原線(近江八幡駅 - 篠原駅)
- 野洲生和村田線(村田製作所 - 野洲駅)
- 花緑総合(野洲駅 - 花緑公園)
- 立命館守山線(立命館守山中学・高校前 - 守山駅)
- 野洲篠原線(篠原駅 - 野洲駅)
- 近江八幡市民バス
- 島・沖島町コース(近江八幡駅北口 - 堀切)
- 吉川線(野洲駅北口 - 矢放神社前 - 野洲駅北口)
- 杉江循環線(守山駅 - 守山市民運動公園前 - 守山駅)
- 市民ホール線(守山駅 - 立命館守山中学・高校前)
- 野洲線(野洲駅 - 近江八幡駅)
- 八幡村田線(近江八幡駅 - 村田製作所)
- 服部線(守山駅 - 野洲川歴史公園サッカー場)
八日市営業所
東近江市八日市東本町11-3
運行路線
- 近江八幡市民バス
- 武佐・末広町コース(近江八幡駅北口 - 東子どもセンター)
- 馬淵・新巻町コース(近江八幡駅北口 - 新巻)
- 長峰線(近江八幡駅南口 - 長峰集会所前)
- 永源寺線(八日市駅 - 永源寺車庫)
- 神崎線(能登川駅 - 八日市駅)
- 青年の城線(近江八幡駅 - 青年の城)
- 日八線(近江八幡駅南口 - 日野駅 - 北畑口)
- 岡屋線(近江八幡駅 - 岡屋南)
彦根営業所
彦根市野口町333-3
高速バス
定期観光バス
- 奥びわ湖 観音めぐり
- 彦根ご城下巡回バス
- 湖東三山と永源寺めぐり (季節運行)
主な廃止路線
- 大津・草津・彦根 - 池袋・大宮(西武観光バスと共同運行、2008年4月21日をもって近江鉄道便の運行は終了。代わって西日本JRバスによって運行再開している)
- マリーン号 大津 - 横浜 - 品川(羽田京急バスと共同運行)
- 彦根 - 関西国際空港(関西空港交通と共同運行)
- 彦根 - USJ(単独運行)
車両
所有車両のほとんどがUDトラックス(旧:日産ディーゼル)製のシャーシに富士重工業製のボディを架装したものだが、2000年式より路線車のみ西日本車体工業製を架装している。
西武グループということもあり、西武観光バスや西武高原バス同様、西武バスからの転属車が複数台存在し、現在でも中古車の転属が続いている。観光車と高速車は4桁の社番があるが、千位を3にしている(1は西武バス、2は伊豆箱根バスのグループが使う)。
以下ではUD製以外の車両について記述する。
- いすゞ自動車製はノンステップバス(キュービック・いすゞ・エルガ)、ガーラが導入されている。
- 日野自動車製は、リエッセ、2代目ポンチョ、セレガが導入されている。
- 三菱ふそうトラック・バス製は貸切車にエアロミディMJ、路線車にエアロミディMEが導入されている。
- かつて、大津営業所にオムニノーバ・マルチライダーが存在していた。
備考
滋賀県内のパナソニックの社員食堂で使用された天ぷら油がバイオディーゼル燃料車の燃料として供給されており、この車両は同社のCMにも登場している。
観光事業
- 宿泊施設
- 彦根プリンスホテル(1981年7月〜2008年2月29日)
- 株式会社クリアックス/スタディー(東京)に売却され、2009年3月から格安ホテルチェーン「伊東園ホテルグループ」のひとつ、「彦根ビューホテル」として営業している。
- 国民宿舎かもしか荘(1969年3月〜)
- 国民宿舎もみじ荘(1973年〜1993年)
- 国民宿舎金剛輪寺荘(1980年〜1993年3月)
- 国民宿舎余呉湖荘(1985年〜2009年3月)
- 九頭竜温泉ホテルフレアール和泉(2001年5月〜)
- 彦根プリンスホテル(1981年7月〜2008年2月29日)
- キャンプ場
- 白ひげ浜水泳キャンプ場(1979年7月〜)
- 鈴鹿キャンプ場
- 余呉湖キャンプ場
- ロープウェイ
- ドライブイン・レストラン
- 奥琵琶湖ドライブイン(1974年4月〜2007年9月30日)
- 奥琵琶湖樹木園レストラン(1973年5月〜2006年4月30日)
- レストラン賤ヶ岳(賤ヶ岳サービスエリア下り線)(1986年11月〜)
- ボウリング場
- 近江ボウル(1969年10月に近江ボウル大津営業開始。以後近江ボウル彦根・近江ボウル石山・近江ボウル長浜・近江ボウルプラザ・近江ボウルあどがわも開業したが、2007年9月30日までに全て閉鎖)
- スケートリンク
- 彦根スケートリンク(1985年10月〜2000年3月)
- スキー場
- 滋賀県道路公社からの道路管理委託
その他事業
- 不動産事業
- 宅地分譲(八日市・京都市東福寺・彦根市下後三条・彦根ニュータウン・南草津ニュータウン)
- 石山駅前近江鉄道ビル(1997年10月〜)
- クレッセ彦根(2003年6月〜)
- 彦根駅東口近江鉄道ビル(2010年3月〜)
- 彦根駅前駐車場、月極駐車場
- 観光レンタサイクル近江
- 近江鉄道広告センター
- 真野自動車教習所
- 2008年3月まで株式会社真野自動車教習所。
- 公園管理委託
- 近江富士花緑公園
- びわこ文化公園
- 都市公園湖岸緑地
- 認可外保育園ほほえみ園(2011年7月1日〜)
グループ会社
- 近江タクシー株式会社
- 2009年1月に株式会社近江タクシー大津・草津近江タクシー株式会社・株式会社近江タクシー守山・株式会社近江タクシー湖東・彦根近江タクシー株式会社・株式会社近江タクシー湖北が合併。
- 大阪近江鉄道タクシー
- 2008年10月に新近江鉄道タクシー株式会社と合併。
- 近江トラベル株式会社
- 2009年4月に株式会社オーミマリンと合併。
- 湖国バス株式会社
- 土山ハイウェイサービス
その他
西武グループであることから社員が西武ライオンズ(当時)の応援にかり出されたことがある。1985年の日本シリーズで、甲子園球場では地元阪神タイガースの応援が圧倒的であり、座席の確保もままならない状況だった。その中で西武ファンを球場内に少しでも多くアピールするため、地理的に近い同社社員が駆けつけたものである。なお、この時の甲子園での成績は西武の2勝1敗であった。
びわ湖放送に大口資本参加しており、1979年以後BBCライオンズアワーとして西武の試合を過半数放送している。
脚注
- ^ 大東は彦根藩士として戊辰戦争でも活躍した地元の名士で、1898年(明治31年)の第1次大隈内閣では司法大臣を務めた。
- ^ しが統計ハンドブック(滋賀県総務部統計課)
- ^ 駅構内で車両を移動させることで前出の「入れ替え」とは別の意。
- ^ ご質問への回答 SSフリーきっぷのSSってどういう意味?(近江鉄道)
参考文献
澤内一晃 「現有私有貨車総覧」 イカロス出版『季刊ジェイ・トレイン』 Vol.31 2008年10月1日発行