能登川駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
能登川駅
水車の形をした駅舎(東口)
水車の形をした駅舎(東口)
のとがわ - Notogawa
稲枝 (3.7km)
(5.1km) 安土
所在地 滋賀県東近江市林町
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 東海道本線琵琶湖線
キロ程 465.7km(東京起点)
米原から19.8km
電報略号 ノト
駅構造 地上駅橋上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度-
7,341人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1889年明治22年)7月1日
備考 直営駅
みどりの券売機プラス設置駅
ホーム
西出口には水車の形をした時計がある

能登川駅(のとがわえき)は、滋賀県東近江市林町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線である。「琵琶湖線」の愛称区間に含まれている。

市町村合併により東近江市内で唯一のJRの駅となり、東近江市内の駅で最も乗車人員が多い。ただし、市の代表駅は近江鉄道八日市駅である。

駅構造[編集]

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを持つ地上駅橋上駅舎を有する。2003年に改築された駅舎は、旧・能登川町のシンボル、水車をモチーフとしたものになっている。

水車が有名な能登川だが、かつては駅のプラットホームに給水塔があり、蒸気機関車の給水駅であった。[1]

直営駅彦根駅の被管理駅)。ICOCAが利用可能。

みどりの窓口は2012年3月31日をもって閉鎖され、みどりの券売機プラス(5:30 - 23:00)が導入された。ただし、彦根、近江八幡に続きみどりの窓口が設置された歴史があり、新快速停車駅でもあるため、みどりの窓口を残す隣接駅の稲枝駅や安土駅(両駅ともみどりの券売機やみどりの券売機プラス未設置駅)よりも利用者は必然的に多く、利用者減による窓口の閉鎖ではない。また、みどりの券売機プラスの琵琶湖線内初の導入駅となった。(「JRおでかけネット」や時刻表の案内では、みどりの窓口の設置駅として表示されている。 「エクスプレス予約」や「5489サービス」による切符の受け取りが可能。

能登川駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 琵琶湖線 下り 草津京都大阪方面
2・3 琵琶湖線 上り 米原長浜大垣方面 3番のりばは待避用

上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で表記している。

線路の構成は

  • 1番線(1番のりば、下り本線)
  • 2番線(ホームなし、下り待避線)
  • 3番線(2番のりば、上り本線)
  • 4番線(3番のりば、上り待避線)

となっている。上り向きは緩急接続ができる構造で、3番のりばでは平日は10時台、休日は8時台に新快速との緩急接続を行う普通電車が存在する。通常の上り列車の停車には2番のりばが使われる。

ダイヤ[編集]

ラッシュ時を除き、日中時間帯は1時間あたり4本が停車する。

利用状況[編集]

滋賀県統計書によると、一日平均の乗車人員は以下の通りである。

年度 一日平均
乗車人員
1992年 5,999[2]
1993年 6,057[3]
1994年 6,063[4]
1995年 6,207[5]
1996年 6,251[6]
1997年 6,206[7]
1998年 6,203[8]
1999年 6,198[9]
2000年 6,229[10]
2001年 6,184[11]
2002年 6,115[12]
2003年 6,387[13]
2004年 6,630[14]
2005年 6,857[15]
2006年 7,065[16]
2007年 7,157[17]
2008年 7,340[18]
2009年 7,038[19]
2010年 7,166[20]
2011年 7,243[21]
2012年 7,341[22]

駅周辺[編集]

東口周辺は戦前から続く商店街であり、再開発も一部に留まっているため、ロータリーや道幅は狭い。現在の西口周辺にはかつて日清紡の工場が建っていたが、2001年の工場閉鎖後、西口の新設とともに再開発や宅地開発が進められている。

西口[編集]

東口[編集]

バス路線[編集]

乗り場 系統 主要経由地 行先 運行会社 備考
能登川駅西口   大中線 図書館前・福堂 大中 ちょこっとバス
大中線 能登川駅東口 能登川病院 ちょこっとバス
能登川駅東口   大中線 能登川駅西口・図書館前・福堂 大中 ちょこっとバス
大中線   能登川病院 ちょこっとバス
能登川駅(東口)   角能線 佐生・愛知川駅・湖東記念病院 市ヶ原 湖国バス
神崎線 佐生・ぷらざ三方よし・山本 八日市駅 近江鉄道
  • 能登川駅と能登川地区各地を結ぶ乗合タクシーも運行されている。
  • かつては栗見出在家(能登川地区北部)や新海浜(彦根市南部の琵琶湖岸)へ向かう路線バスもあった。モータリゼーションが発達する前は、夏になると駅から新海浜行に乗り換える水泳客の姿をよく見ることができた。
  • 駅前(東口)にバス待合所の建物があったが、2010年に閉鎖され、後に解体された。建物内にあった運転手休憩所は駅前の観光案内所奥の建物へ移動した。なお、バス待合所にあった臨時窓口は前記の建物へ移設された(タクシー車庫側)。

歴史[編集]

駅名の由来[編集]

当初、この駅は現在の位置より1kmほど京都寄りの能登川村(後に八条村を経て再び能登川村、現在の東近江市能登川町)に開設される予定で、駅名も村名から「能登川」と決まった。しかし、能登川村付近は軟弱な地質であることが計画段階で分かったため、位置が変更されることになった。その際、八幡村大字垣見(現在の東近江市垣見町)の地主が土地の無償提供を申し出たため、八幡村大字垣見と五峰村大字林(現在の東近江市林町)の境界に跨る現在の位置に駅の開設が決まった。しかし、駅名を巡って五峰村と八幡村で争いが起こることを避けるため、当初の予定地であり、当時琵琶湖につながる港町として比較的知名度の高かった「能登川」がそのまま駅名に採用された[23]

元は桑畑が広がる土地であったが、能登川駅前は周辺地域の玄関口・中心市街地・商店街として発展し、「能登川」は本来の能登川村よりも能登川駅周辺の地域名として浸透。1942年に五峰村・八幡村・能登川村を含む周辺5村が合併した際、駅名から「能登川町」と命名され、駅名と自治体名が一致することとなった[24]

戦前の様子[編集]

1889年明治22年)7月1日に米原、彦根、八幡(現 近江八幡)、草津と同時に開業した歴史を持ち、日本旅行協会発行『汽車時間表』(昭和9年12月号)を見ると、2等寝台車と食堂車を連結した東京発大阪行37列車の停車駅だった。この列車の名古屋からの停車駅は、尾張一ノ宮、岐阜、大垣、米原、彦根、能登川、近江八幡、草津、大津、京都、大阪のみで、後の準急や急行並みの停車駅だった。[25]

隣の駅[編集]

西日本旅客鉄道
琵琶湖線(東海道本線)
新快速
彦根駅 - 能登川駅 - 近江八幡駅
普通(京都駅または高槻駅以西は快速、もしくは野洲駅から新快速)
稲枝駅 - 能登川駅 - 安土駅

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 『関西鉄道考古学探見』156頁 給水塔があるホームの写真を掲載。
  2. ^ 平成4年滋賀県統計書
  3. ^ 平成5年滋賀県統計書
  4. ^ 平成6年滋賀県統計書
  5. ^ 平成7年滋賀県統計書
  6. ^ 平成8年滋賀県統計書
  7. ^ 平成9年滋賀県統計書
  8. ^ 平成10年滋賀県統計書
  9. ^ 平成11年滋賀県統計書
  10. ^ 平成12年滋賀県統計書
  11. ^ 平成13年滋賀県統計書
  12. ^ 平成14年滋賀県統計書
  13. ^ 平成15年滋賀県統計書
  14. ^ 平成16年滋賀県統計書
  15. ^ 平成17年滋賀県統計書
  16. ^ 平成18年滋賀県統計書
  17. ^ 平成19年滋賀県統計書
  18. ^ 平成20年滋賀県統計書
  19. ^ 平成21年滋賀県統計書
  20. ^ 平成22年滋賀県統計書
  21. ^ 平成23年滋賀県統計書
  22. ^ 平成24年滋賀県統計書
  23. ^ 辻良樹「能登川駅誕生の秘話」同「能登川駅の今昔」『ふるさと百科 能登川てんこもり』能登川町、1997年、106頁。(ウェブ版)。同記念誌は記名ではないが、『ふるさと百科 能登川てんこもり』の編集委員による座談会の模様を記した町勢要覧「みんなが主役のまちづくり」能登川町 1998年発行において、同氏に依頼したことが記されている。
  24. ^ 『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』1979年、角川書店。
  25. ^ 『関西鉄道考古学探見』153、154頁。

参考文献[編集]

辻良樹『関西鉄道考古学探見』JTBパブリッシング 2007年発行。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]