燕市
つばめし 燕市 | |||
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国 | 日本 | ||
地方 |
中部地方、北陸地方 甲信越地方 | ||
都道府県 | 新潟県 | ||
市町村コード | 15213-7 | ||
法人番号 | 7000020152137 | ||
面積 |
110.94km2 (境界未定部分あり) | ||
総人口 |
74,745人 [編集] (推計人口、2024年4月1日) | ||
人口密度 | 674人/km2 | ||
隣接自治体 | 新潟市、長岡市、三条市、弥彦村 | ||
市の木 | サクラ | ||
市の花 | キク、サルビア、バーベナ・テネラ | ||
燕市役所 | |||
市長 | 鈴木力 | ||
所在地 |
〒959-0295(吉田庁舎) 新潟県燕市吉田日之出町1番1号 〒959-1295(燕庁舎) 新潟県燕市白山町二丁目7番27号 〒959-0195(分水庁舎) 新潟県燕市分水桜町三丁目3番1号 | ||
外部リンク | 燕市 | ||
ウィキプロジェクト |
概要
1954年4月1日に4つの町村が合併し発足。52年後の2006年3月20日に西蒲原郡吉田町・分水町と合併して新しい燕市が発足し現在に至る。人口は柏崎市に次いで県下7位であるが、市域の大部分が平地であるため、人口密度は新潟市に次いで2番目である。
洋食器の生産では世界的なシェアを誇る工業都市である。新潟県内では主に下越地方、もしくは県央地域に分類される。隣接する三条市や、同じく県央地域の加茂市などと合わせ、県内では新潟市、長岡市に次ぐ都市圏を形成している。
上越新幹線燕三条駅開業以降、三条市との結びつきが深まり、両市合併による「燕三条市」を実現しようとする動きが両市財界や市民団体などから上がり、合併協議会が設置されたこともあったが、その協議も頓挫し、合併実現には至っていない(詳細は下記の「市町村合併」を参照)。
両市は以前から「職人の町燕」、「商人の町三条」と称されてきた。三条市とは相互補完の関係にある。三条燕ICと燕三条駅の名称を巡り論争が起きたこともある。
本市の固定電話における市外局番は全域で0256であるが、単位料金区域(MA)が旧燕市(三条MA)と旧吉田町及び旧分水町(巻MA)に分かれているため、互いの地域をまたがる通話に際しては、市外局番をつけてダイヤルする必要がある。
地理
新潟県の中央部(県央地域)に位置し海は一切無く山も旧分水町区域に僅かにあるのみで市域は概ね平坦である。信濃川、大河津分水路、中ノ口川、大通川、西川が流れている。大きな市街地は3箇所あり、それぞれ合併前の旧燕市街・旧吉田市街・旧分水市街がある。旧3市町の境界付近に県内有数規模の工業団地があり、その周りに市街地が取り囲む形をしている。また、旧吉田町の国道116号線沿いにロードサイド型の大型店舗が数多く林立し、旧燕市の井土巻地区などはビジネスホテル、シネコン、飲食店、アパート、マンション等が林立するなど、都市化は著しい勢いで進んでいる。
歴史
古くは「津波目」と表記され、「津」は港、「目」は中心地を意味していた。波頭(水上)に垣間見える多くの港の中で最も栄えた中心地、という意味で名付けられたものと考えられる。燕市は内陸部にあるため、ここでいう港とは信濃川の河岸に多くあった船着場の一つという意味であり、燕市周辺が米の集積地とされ水運の中継基地として栄えたようである。伝説では川上から流れてきて燕が群れていたことから見出された祠を建てた地とされるが、「燕」の文字に置き換えられた時期や由来は明確には分かっていない。
年表
飛鳥時代
奈良時代
平安時代
- 947年(天暦元年):弥彦神社で勅額を貰う。
- 955年(天暦8年):村上天皇の皇子と桜井親王が和納に楞厳寺を建てる。
- 1060年(康平2年):康平年間に黒鳥兵衛が弥彦の桔梗城を攻める。
- 1063年(康平5年):黒鳥兵衛滅びる。
- 1100年(康和2年):御立八幡宮の建立。
鎌倉時代
- 1196年(建久6年):西行が国上寺を参拝。
- 1201年(建仁元年):加治の城主、佐々木成綱が白根味方を攻める。
- 1221年(承久3年):鎌倉幕府が承久の乱に加担した国上寺の僧、重範を紀伊国に流す。
- 1223年(貞応2年):竹野町に金仙寺ができる。
- 1333年(元弘3年、正慶2年):北条顕家が弥彦神社に36歌仙を寄付する。
室町時代
安土桃山時代
- 1583年(天正10年):上杉景勝が木場城を往来する者に通所状を授ける。
- 1587年(天正14年):天正年間、上杉家直江兼続が大河津より牧ヶ花の新規川筋(西川)を開く。
- 1600年(慶長4年):信濃国の金子太郎左ェ門が150人を使い大田村を開発。
江戸時代
- 1603年(慶長7年):道金村、燕村は直江工事前は、川向こうに在ったと言われる。
- 1614年(慶長18年):河井村を西脇九右ェ門が開発。
- 慶長年間に角海で毒消し丸を作り始める。
- 1620年(元和5年):小関村を高山治朗右ェ門が開発。
- 1631年(寛永7年):粟生津村の和田左之助が高木村を開発。
- 1634年(寛永10年):牧野忠成の四男定成、上和納村他16村6300余石を与えられ三根山(峰岡)に封ぜられる。
- 1642年(寛永18年):観音寺が弥彦村から分かれる。
- 1647年(正保3年):大関村を本間兵次郎、槙尾村を中野清左ェ門、新通村を九郎兵などが開発。
- 1649年(慶安2年):弥彦神社の神官、河村又右ェ門が杉山新田を開発。
- 1650年(慶安3年):四郎右ェ門が山崎村を開発。新田開発が相次ぐ。
- 祐太郎が吉田、平野村を開発。
- 矢作千石新田の庄助、中山村を開発。
- 荻野村を孫右ェ門が開発。
- 源兵衛、魵穴村を開発。
- 小右ェ門、中田新田開発。
- 1652年(承応元年):富永十兵衛、新田村開発。
- 1658年(万治元年):万治年間、道金村を穿いて中ノ口川を通水する。
- 1681年(天和元年):10月曽根村、高橋源助、万治元年の中ノ口川水門の事で犠牲になる。
- 江戸の田辺善兵衛が間瀬の銅山の採掘に着手。
- 享保の頃、本間数右ェ門が大河津の分水工事を幕府に願い出る。
- 1735年(元文9年):享保の頃、中尾平右ェ門が鑢の製造を始める。
- 1756年(宝暦5年):信濃川阿賀野川洪水、熊之森の堤防が切れる。
- 1771年(明和7年):燕の銅器を奥州の藤七に伝習玉川覚平が伝える。
- 1780年(安永8年):若松の錺屋市右ェ門が燕へ来て煙管の製造を始める。
- 1804年(文化元年):良寛が五合庵に住む。
- 1816年(文化13年):玉川堂創業。玉川覚兵衛が鎚起銅器製造業を営む。
- 1818年(文政元年):鎧潟、田潟、大潟の悪水排除のため、新川工事が始まる。
- 1820年(文政3年):内野金蔵坂新川工事出来る。
- 1822年(文政5年):本間兵右ェ門が弥彦で兎菓子を売る。
- 1828年11月12日 (旧暦) : 三条地震。燕にも被害が及び家屋の大部分が倒壊した。
- 1833年(天保2年):西川底樋増設工事竣工。
- 1840年(天保9年):燕村大火災。
- 1867年(慶応3年):明治に改元。一世一元の詔を発布。
明治時代
- 1868年(明治元年):信濃川大洪水、燕村を含む信濃川河川流域が1ヶ月間水に浸かる。
- 1870年(明治3年):享保の頃から願い出ていた大河津分水の工事が始まる。
- 1872年(明治5年):学制が施行され、多くの学校が建てられる。
- 1874年(明治7年):安全社により、新潟、燕、三条、長岡まで汽船航行が始まる。
- 1875年(明治8年):大河津分水の工事が中止される。
- 1880年(明治13年):新潟大火災、三条大火災。
- 1889年(明治22年):町村制施行により、西蒲原郡が2町77村となる。
- 1896年(明治29年):7月洪水で横田村の堤防が切れる(横田切れ)。
- 1901年(明治34年):町村合併により、西蒲原郡が3町34村になる。
- 1904年(明治37年):西川閘門が出来る。
- 1909年(明治42年):大河津分水の工事が再開される。
- 1912年(明治45年):明治天皇崩御。明治国家の終焉。
大正時代
- 1913年(大正2年):越後線が白山 - 柏崎間開通。
- 新川底樋工事が終わる。
- 1916年(大正5年):弥彦線が吉田 - 弥彦間開通。
- 1922年(大正11年):大河津分水工事が終わる。
- 1924年(大正13年):吉田村が吉田町になる。
- 1926年(大正15年):大正天皇崩御。
- 第124代天皇に裕仁親王践祚。年号を昭和に改元。
昭和時代
- 1929年(昭和4年):弥彦線が長沢まで開通
- 1931年(昭和6年):大野大火災、70戸が焼失。
- 1933年(昭和8年):県庁前 - 燕間に新潟電鉄(のちの新潟交通電車線)開通。
- 1945年(昭和20年):太平洋戦争(第二次世界大戦)終戦。
- 1954年(昭和29年)3月31日:燕町、小池村、小中川村、松長村が合併し、市制施行。
- 1955年(昭和30年):西蒲原郡が4町7村となる。
- 1958年(昭和33年):鎧潟の干拓工事が始まる。
- 1961年(昭和36年):第2室戸台風により、8.5水害が起きる。
- 1964年(昭和39年):新潟国体春季大会。
- 新潟地震
- 1967年(昭和42年):国道116号線開通。
- 1968年(昭和43年):関屋分水工事が始まる。
- 1970年(昭和45年):弥彦スカイライン開通。
- 1971年(昭和46年):新川排水機場が完成。
- 1972年(昭和47年):関屋分水工事が終わり、通水する。
- 1975年(昭和50年):越後七浦シーサイドラインが開通。
- 1978年(昭和53年):北陸自動車道が開通。
- 6.28水害。
- 1980年(昭和55年):上越新幹線(新潟 - 長岡間)の試運転開始。
- 1981年(昭和56年):弥彦スカイラインの無料化。
- 1984年(昭和59年):越後線及び弥彦線の電化開業。
- 1989年(昭和64年):昭和天皇崩御。
平成時代
- 1990年(平成2年):越後七浦シーサイドラインの無料化。
- 1991年(平成3年):上越新幹線東京駅からの始発開業。
- 1993年(平成5年):新潟交通電車線廃止。
- 2004年(平成16年)7月13日:新潟・福島豪雨、市内一部地域で冠水、停電が発生。
- 2004年(平成16年)10月23日:中越地方で震度7の地震が発生(新潟県中越地震)。市域内での損害は極めて軽微。
- 2006年(平成18年)3月20日:吉田町、分水町と合併。新市制による燕市となる。
- 2007年(平成19年)7月16日:中越地方で震度6強の地震が発生(新潟県中越沖地震)。旧分水町地内を中心に建物の全半壊、道路への亀裂が発生。
- 2010年(平成22年):玉川堂5代目次男玉川宣夫が人間国宝に認定される。
人口
燕市(に相当する地域)の人口の推移 | |||
総務省統計局 国勢調査より |
隣接している自治体・行政区
行政
旧・燕市
燕市 | |
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廃止日 | 2006年3月20日 |
廃止理由 |
新設合併 燕市(旧)、西蒲原郡吉田町、分水町 → 燕市 |
現在の自治体 | 燕市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 |
中部地方、北陸地方 甲信越地方 |
都道府県 | 新潟県 |
面積 | 39.27km2 |
総人口 |
44,074人 (2005年11月30日) |
隣接自治体 | 新潟市、三条市、吉田町、分水町 |
市の木 | マツ |
市の花 | キク |
燕市役所 | |
所在地 |
〒959-1295 新潟県燕市白山町二丁目7番27号 |
ウィキプロジェクト |
当項目では、1954年3月31日から2006年3月19日まで新潟県に存在した(旧)燕市について紹介する。
- 市長(最終)- 高橋甚一(たかはし じんいち)
市町村合併
前述の通り、2006年3月20日に、(旧)燕市と吉田町、分水町が合併し、新しい燕市となった。
当初は、県央地域全体で政府案に沿った合併協議が進められていた。燕市は元々、新潟県西部広域消防事務組合(現在の燕・弥彦総合事務組合)の構成町村である弥彦村、寺泊町、岩室村、分水町、吉田町との合併を予定し西蒲原南部法定合併協議会を開き話を進めていたが、吉田町が離脱を表明し、その後岩室村も離脱、残った四市町村も西蒲原郡南部法定協議会締結後解散をした(岩室村は後に新潟市と合併)。
その後、当時の燕市長である高橋甚一は三条市との合併を提案したところ、市内は賛成派と反対派で真っ二つに別れ投票の結果わずかではあったが反対票が上回り合併話はなくなった。燕市は孤立への道を歩もうとしていたところ、吉田町から合併の誘いがあり分水町も参加、寺泊町も合併に参加しようとしたが、燕市、吉田町、分水町の合意が得られず断念した(寺泊町は後に長岡市と合併)。
そして、「燕・吉田・分水の合併を確実に実現する会」が結成され、2004年11月1日に法定協議会を設置、翌年3月15日には法定合併協議会調印式、同年3月17日には泉田県知事へ合併申請を行い、同年8月16日付官報に告示された。2006年3月20日に新生燕市の誕生となった。
なお合併に際し、市役所は分庁舎方式をとることとなり、市長室や市議会などをはじめとした市政の中枢部は吉田庁舎(旧吉田町役場)に配置された。燕庁舎(旧燕市役所)、分水庁舎(旧分水町役場)では引き続き、各地区の業務が行われている。
経済
産業
- 日本を代表する金属製洋食器(主としてカトラリー)の産地である。当市の国内生産シェアは90%超である。
- 上記以外にも鉄鋼や機械、自動車部品の製造、非金属製品の加工も盛ん。
- 養豚業も盛んで越後もちぶたのブランドで県内外へ出荷している。
主な企業
- 玉川堂 ‐ 日本を代表する伝統工芸の老舗企業。創業1816年の鎚起銅器メーカー。玉川堂の鎚起銅器製作技術は、新潟県指定無形文化財および国の選択無形文化財。玉川堂の店舗等建物は国の登録有形文化財に登録。玉川堂5代目次男・玉川宣夫は重要無形文化財「鍛金」の保持者(人間国宝)に認定。
- 明道メタル - リロール・メーカー機能とコイルセンター機能を併せ持つ総合ステンレス加工メーカー。本社所在地は燕市燕、工場所在地は市内の燕と吉田鴻巣にある。
- 北越工業 - 建設機械メーカー。本社所在地は市内の下粟生津。
- 三星金属 - コンクリート用棒鋼製造大手。韓国の三星財閥(サムスングループ)とは無関係。
- きむら食品 - 「うさぎもち」のブランド名で有名な切り餅メーカー。
- 遠藤製作所 - 鋳造ゴルフクラブ・ヘッド製造メーカー。自動車部品用ステンレス材の加工でも有名。
- 遠藤工業 - 産業用機械部品、工具等製造メーカー。上記会社とは無関係。
- 遠藤商事 - プロ用厨房機械器具、ステンレス洋食器の輸入・製造卸。上記2社とは無関係。
- 富士通フロンテック - 事務用機械メーカ。市内の吉田東栄町に工場を持つ。
- パナソニック電工 - 照明器具製造等。
- フジイコーポレーション - 除雪機、農業用機械製造の準大手。
- 曙産業 - 「くっつかないしゃもじ」の開発で有名。本社所在地は市内の南町。
- ユニフレーム - キャンプ・アウトドア用品メーカー
- 和田ステンレス工業 - 半導体工場向け高純度薬品容器。
- 東陽理化学研究所 - ステンレス、アルミニウム、チタニウム等表面処理
- サクライ - 洋食器メーカー。本社所在地は市内の物流センター1丁目。事業内容は金属洋食器製造販売、HVS(特殊表面加飾)、表面硬化処理等[1]。
- 燕振興工業 - カーブミラー・道路標識の製作(以前のカーブミラーは、鏡面研磨されたステンレスを使用していた)。洋食器製造。
- サーモス - 世界最大の魔法瓶メーカー(米国で創業した会社を日本酸素が買収)。市内に主力工場を持つ。
- ツインバード工業 - 小物家電製造の準大手。
- 山崎金属工業 - 燕地区を代表する洋食器製造メーカー・ステンレス流通業者の一つ。ノーベル賞授賞式の晩餐会に用いられるカトラリーの製造元として世界的に有名。
- 藤寅工業 - 「藤次郎」ブランドの業務用・家庭用包丁専門メーカー。
- 丸七 - 燕市燕に本社を置く日用品卸売会社。
- 株式会社エムテートリマツ - 給食・外食向けキッチン用品の卸販売。厨房良品サイト運営
- アキラ産業 - 新潟県内を中心に100円ショップなんじゃ村を展開。
- 協栄信用組合 - 燕市に本店を置く信用協同組合。
姉妹都市・提携都市
教育
大学
市内に大学はない。なお、新潟産業大学が市内にサテライトキャンパスを設置する構想を明らかにしているが、柏崎市が「機能の一部だけであっても、産大が市外に移転する事は容認しがたい」と難色を示しており、現在のところ未定。
中等教育学校
高等学校
中学校
- 燕市立燕中学校
- 燕市立小池中学校
- 燕市立燕北中学校
- 燕市立吉田中学校
- 燕市立分水中学校
小学校
- 燕市立燕東小学校
- 燕市立燕西小学校
- 燕市立燕南小学校
- 燕市立燕北小学校
- 燕市立小池小学校
- 燕市立大関小学校
- 燕市立小中川小学校
- 燕市立松長小学校
- 燕市立粟生津小学校
- 燕市立吉田小学校
- 燕市立吉田北小学校
- 燕市立吉田南小学校
- 燕市立島上小学校
- 燕市立分水小学校
- 燕市立分水北小学校
特別支援学校
- 新潟県立吉田養護学校
ライフライン
交通
鉄道路線
過去の鉄道路線
道路
高速道路
一般国道
県道
- 新潟県道2号新潟寺泊線
- 新潟県道18号燕地蔵堂線
- 新潟県道22号長岡寺泊線
- 新潟県道29号吉田弥彦線
- 新潟県道44号新潟燕線
- 新潟県道55号新潟五泉間瀬線
- 新潟県道68号燕分水線
- 新潟県道127号新津茨曽根燕線
- 新潟県道144号吉田停車場線
- 新潟県道145号分水停車場線
- 新潟県道153号燕白根線
- 新潟県道159号分水寺泊線
- 新潟県道161号燕停車場線
- 新潟県道165号見附分水線
- 新潟県道223号石瀬吉田線
- 新潟県道224号地蔵堂中島線
- 新潟県道250号月潟吉田線
- 新潟県道256号分水栄線
- 新潟県道260号三条八王寺線
- 新潟県道374号五千石巻新潟線
- 新潟県道383号佐渡山巻線
- 新潟県道384号羽黒燕線
- 新潟県道405号国上公園線
- 新潟県道408号佐善国上線
- 新潟県道459号桜町小池線
- 新潟県道549号渡部敦ヶ曽根線
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
祭事
- 分水おいらん道中(4月中旬)
- 燕戸隠神社春季祭礼(5月中旬)
- 天満宮祭礼(5月24日、25日)
- 飛燕夏まつり(7月第3土曜・日曜)
- 分水まつり(7月20日から22日)
- 吉田まつり(7月26日から28日)
- 燕戸隠神社秋季祭礼(9月15日)
- 越後くがみ山酒呑童子行列(10月中旬)
文化施設
- 燕市産業史料館
- 信濃川大河津資料館
映画館
- ワーナー・マイカル・シネマズ県央
史跡
出身有名人
- 池田雄一 - プロバスケットボール選手(新潟アルビレックスBB所属):吉田町
- 上杉香緒里(演歌歌手。旧・吉田町)
- 上山善紀(近畿日本鉄道元会長・社長。旧・分水町)
- 小越なつえ(漫画家。旧・吉田町)
- 金子繁治(元プロボクサー)
- 亀倉雄策(グラフィックデザイナー。旧・吉田町)
- キラー・カーン(元プロレスラー。旧・吉田町)
- 清水雅之(バレーボール選手。旧・吉田町)
- 鈴木虎雄(中国文学者、元京都帝国大学教授。旧・吉田町)
- 高桑栄松(医学博士。旧・分水町)
- 西村智奈美(政治家。旧・吉田町)
- 魚喃キリコ(漫画家。旧・吉田町)
- 原田泰夫(将棋棋士、元日本将棋連盟会長。旧・分水町)
- 星野順治(福岡ソフトバンクホークス投手。東京都生まれだが、旧・分水町/吉田町育ち)
- 丸山蘭那(中部日本放送アナウンサー。旧・分水町)
- 横山操(日本画家。旧・吉田町)
- 和田一夫(経営学者、東京大学教授)
- 海津文雄(元プロボクサー 東洋ミドル級チャンピオン。旧・分水町)
脚注
- ^ 財団法人 商工総合研究所(平成21年10月), 平成21年度調査研究事業報告書. “地場産業の現状と課題 ―燕・三条地域―” (PDF). 2012年3月24日閲覧。
関連項目
- 燕三条系ラーメン - 市内のラーメン店(福来亭)が発祥。背脂ラーメン(チャッチャ系)の源流。
- 東京ヤクルトスワローズ - チーム名と同じ「つばめ」に因んで、2011年シーズンから燕市と交流・連携事業を行っている。