東野峻
DeNA時代(2015年3月15日、横浜スタジアム) | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 茨城県鉾田市 |
生年月日 | 1986年7月11日(37歳) |
身長 体重 |
187 cm 90 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2004年 ドラフト7巡目 |
初出場 | 2007年9月13日 |
最終出場 | 2015年5月31日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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東野 峻(とうの しゅん、1986年7月11日 - )は、茨城県鉾田市出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴
プロ入り前
茨城県鹿島郡鉾田町(現・鉾田市)出身。大竹小3年で外野手として野球を始め6年時に投手へ転向。鉾田南中では主将を務め春の県大会3位。鉾田一高では1年春からベンチ入りし、3年夏の茨城大会は4回戦で常総学院に敗退。打撃では高校通算36本塁打を記録している。
2004年のドラフト会議で読売ジャイアンツから7巡目指名を受け、入団。背番号は93。
巨人時代
- 2005年 - 2006年
- 故障が重なり、入団最初の2年間は2軍でも打ち込まれることが多かった。また、2006年オフにはハワイ・ウィンターリーグに派遣された。
- 2007年
- 先輩の林昌範のグアム自主トレにも同行し迎えた2007年は、二軍のセットアッパーとして活躍、27試合に登板し1敗1セーブ、31回を投げ34奪三振、防御率1.74という好成績を収める。9月13日には1軍に初登録、直後の東京ヤクルトスワローズ戦で初登板を果たした。しかし9月18日、阪神タイガース戦にてベンチ入りメンバーから外される。この際、原辰徳監督に「お前は近い将来、巨人を引っ張っていくピッチャーだ。だが、今じゃない」と声をかけられ、これが励みになったという。
- 2008年
- オープン戦で先発として活躍、野間口貴彦、門倉健と先発6番手を争うものの、最終登板で結果を残せず開幕二軍となった。二軍では7試合に登板し1勝4敗、39回を投げ36奪三振、防御率は3.00だった。シーズン途中から一軍に帯同し、中継ぎで実績を積む。9月17日の横浜ベイスターズ戦でプロ入り初先発。そして6回を投げ2安打7奪三振2四球2失点(自責点2)でプロ入り初勝利を達成[1]。9月23日の広島東洋カープ戦の延長12回裏に登板して18球を投げ、翌24日の広島戦に連投で先発マウンドに上がり、6安打9奪三振2四球2失点(自責点2)の成績でプロ初完投を記録するなど活躍した[2]。前日登板した投手の先発勝利は、82年5月4日の西本聖以来、チーム26年ぶりの快挙である[3]。11月17日、来シーズンからの背番号を17に変更することを発表。12月には磯山さやかと共に地元鉾田市から初代「鉾田大使」に任命された。
- 2009年
- 開幕から先発ローテーションに加わり、7月14日のヤクルト戦でプロ入り初の完封勝利を挙げたものの、シーズンでは四死球70、被本塁打18、6暴投と制球難に苦しむ。無駄に球数を費やしテンポの悪い投球を繰り返したことで、原監督からは「砂遊びは卒業しなきゃいけない。同じような失敗が多すぎる」と苦言を呈された[4]。防御率3.17はリーグ9位であったが、2か月以上勝ち星から見放されたこともあり、8勝8敗に終わった。クライマックスシリーズはアドバンテージを含んだ3勝1敗で迎えた第4戦の先発を任され、4回1/3を自責点1で降板。日本シリーズは第2戦に先発をした内海哲也が2回2/3を4失点で降板した後を受けて登板、3回1/3を無失点の好投。これを評価され巨人3勝2敗で迎えた第6戦の先発を任されたが1回二死一塁から高橋信二の打球を右手の甲に受け緊急降板。チームは日本一となったが、勝利投手とはなれなかった。
- 2010年
- 3月3日、兵庫県出身の4歳年上の会社員と結婚。このシーズンで15勝以上を達成した場合、地元の鉾田市から東野が通学していた高校の通りを「東野通り」と名づけるプランがあることを鉾田市市長から報告された[5]。
- シーズン初登板となった3月28日のヤクルト戦は6回3失点で敗戦も[6]、その後は5月5日のヤクルト戦で自身初の無四球完封勝利[7]、5月29日の埼玉西武ライオンズ戦では6回までノーヒット、無失点に抑える好投を含む8連勝[8]で序盤の快進撃に貢献。同時に4月の月間MVP(3-4月の成績は5勝1敗)を受賞した。6月29日の広島戦(マツダスタジアム)で自身初の二桁勝利となる10勝目をマークし[9]、前半戦は11勝2敗、防御率2.68、WHIP1.22の好成績で前田健太と最多勝争いを繰り広げたが、後半戦は早いイニングで打ち込まれKOされる機会が増え、2勝6敗、防御率4.70、WHIP1.57と不調に陥った。最終成績は13勝8敗と先発としては悪くないが、夏場以降内海とともに不振に陥り、優勝を逃した一因となった。
- 2011年
- 4月12日、ヤクルトとの開幕戦(ユーピーアールスタジアム宇部)では6回2/3を4安打(6回終了時まではノーヒット)2失点と好投。自身初めての開幕投手を勝利で飾った[10][11]。5月3日の阪神戦(東京ドーム)でプロ初本塁打を放つも、1985年のバックスクリーン3連発以来26年ぶりとなる「阪神クリーンナップ(鳥谷敬、新井貴浩、クレイグ・ブラゼル)による三者連続本塁打」を打たれる[12]。以降は好投してもなかなか勝利に恵まれず、原監督の意向で抑えに配置転換される。7月13日の阪神戦では同点の9回にマウンドを託されるが、1死も取れず満塁とし、最後は桧山進次郎にサヨナラ犠牲フライを打たれた[13]。7月17日のヤクルト戦で初セーブを記録したが[14]、オールスター戦で負傷した内海の離脱もあり後半戦から先発に復帰。8月は3勝負けなしと復調したかに見えたが、9月9日の広島戦では先発するも初回に3失点しその回で降板となった。先発して1回3失点での降板させたことについて原辰徳監督は「心技体、ともに準備不足」と苦言を呈した[15]。2日後の広島戦で再び先発を務め、6回2失点と好投したが白星は付かなかった[16]。このように9月は1勝3敗防御率5.84と再び調子を落とした。シーズンを通じて調子の波が激しく、援護の無さも響いて8勝11敗と負け越し、QS率も57.7%と低めで物足りないシーズンとなった。また、この年は阪神戦に特に弱く、7試合に登板して0勝4敗、防御率も6.39だった。反面、中日には強く投球回数10回で無失点だった。また10月6日の横浜戦では、7回2失点の好投も5四球を出したことから阿部慎之助から「この成績で満足するなら野球選手をやめたほうがいいんじゃないか」と苦言された[17]。
- 2012年
- 球団からの叱咤もあり、大好きな酒を断って臨んだシーズンであったが[18]、オープン戦の不振もあり、開幕2軍スタートとなった。1軍では6月9日の対西武戦で先発を務め、初回に中村剛也に先制2ランを打たれるも、その後は得点を与えず5回2失点の内容だった[19]。その後チーム事情で2軍降格となるが、その後は2軍でも成績を残せず18登板1勝6敗、防御率5.83と振るわず、1軍登板は1試合に終わった。11月5日、香月良太・阿南徹との交換トレードにより、山本和作と共にオリックス・バファローズへの移籍が発表された[20]。過去20年間で巨人の開幕投手がトレードされたことはなかった[21]。また、トレード直前の11月2日に自動車事故を起こしている[22]。
オリックス時代
- 2013年
- キャンプ中に西本聖投手コーチからシュートを伝授[23]され、オープン戦で結果を残し開幕ローテ入りを果たす。4月9日の福岡ソフトバンクホークス戦に先発して5回2/3を1失点に抑え、2011年10月6日以来の勝利となる移籍後初勝利を挙げる[24]も、4月16日の埼玉西武ライオンズ戦では2回7失点と打ち込まれるなど、先発しても5回を投げ切れず降板する試合が多かった。最終的にわずか6試合の登板に終わり、1勝3敗、防御率7.17と不本意な成績で終わった。2軍では16試合に登板し5勝4敗、防御率2.70だった。長州力の個人事務所「ロワンズ」とマネジメント契約する[25]。
- 2014年
- 1年を通じて調子が上がらず、1軍登板ゼロに終わった。2軍では16試合に登板するも3勝4敗、防御率8.20と振るわず、10月28日、戦力外通告を受けた[26]。11月9日の合同トライアウトで最速145キロを計測、複数球団が興味を示す[27]。11月15日に横浜DeNAベイスターズが獲得を発表した[28]。
DeNA時代
- 2015年
- 春季キャンプでの紅白戦で2回を無失点に抑えながら、一軍の中畑清監督から「もっともっと、野性味のある投球を」という厳しい評価を受けた[29]。その後のオープン戦では防御率1点台と好投するも、開幕は二軍で迎えた[30]。5月24日の出場選手登録を経て、同月26日の古巣・オリックス戦(横浜スタジアム)で、中継ぎ投手として移籍後初登板(1回2失点)。28日の同カードでは無失点に抑えるも、31日の千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)で2回を投げて1失点を喫すると、6月1日に出場選手登録を抹消された[31]。結局、持病である首痛の影響などから、一軍公式戦には以上3試合の登板に留まった[32]。そして、10月3日に球団から戦力外通告を受けたこと[33]を機に、現役からの引退を決意した[32]。
現役引退後
DeNA球団からの打診を受けて、チームサポーターとして球団に残留。2016年から打撃投手を務める[32]。
プレースタイル
平均球速約140km/h[34]、最速150km/hのストレートと縦に割れるドロップ、スライダーを中心に投球を組み立てる。時にカットボール、チェンジアップ、シュート、フォークを混ぜる。ドロップは2007年に参加したハワイ・ウインターリーグでも披露しアメリカのスカウトから絶賛された[35]。
制球力はあまり高い方では無く球数が多くなりがちな投手である。
体力測定で背筋力315キロを記録[36]。
相手のチーム状況によって、ワインドアップ・ノーワインド・オールセットの3つの投球スタイルを使い分けている。
人物
球団内でも有名な愛煙家。2008年に原監督は先発ローテーション入りの条件として禁煙を挙げ、一時は本人も禁煙を誓った[37]。
巨人時代の先輩である内海哲也を慕っている。2014年オフにオリックスから戦力外通告を受けた際には引退も考えたが、内海からの激励を受けトライアウト挑戦を決意。合同トライアウトを経て横浜DeNAベイスターズへの入団が決まったときも真っ先に内海に連絡した[38]。
Jリーグ・セレッソ大阪に所属する元日本代表の関口訓充と親交があり、春季キャンプで巨人と当時関口が所属していたベガルタ仙台が合同練習した際に知り合ったのがきっかけとなり、これ以後シーズンオフの自主トレで一緒に練習している[要出典]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | 巨人 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 4 | 0.2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 3.00 |
2008 | 28 | 2 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 1.000 | 213 | 54.0 | 35 | 7 | 16 | 1 | 3 | 53 | 3 | 0 | 17 | 17 | 2.83 | 0.94 | |
2009 | 27 | 26 | 1 | 1 | 0 | 8 | 8 | 0 | 0 | .500 | 652 | 153.1 | 133 | 18 | 57 | 1 | 13 | 133 | 6 | 0 | 61 | 54 | 3.17 | 1.24 | |
2010 | 27 | 26 | 1 | 1 | 1 | 13 | 8 | 0 | 0 | .619 | 673 | 157.0 | 152 | 11 | 55 | 1 | 9 | 140 | 4 | 1 | 64 | 57 | 3.27 | 1.32 | |
2011 | 31 | 26 | 2 | 0 | 1 | 8 | 11 | 2 | 0 | .421 | 670 | 161.0 | 141 | 7 | 55 | 3 | 5 | 115 | 3 | 0 | 72 | 62 | 3.47 | 1.22 | |
2012 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 18 | 5.0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 2 | 2 | 3.60 | 0.60 | |
2013 | オリックス | 6 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 101 | 21.1 | 25 | 2 | 15 | 0 | 0 | 15 | 2 | 0 | 17 | 17 | 7.17 | 1.88 |
2015 | DeNA | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 20 | 4.0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 6.75 | 2.00 |
通算:8年 | 124 | 86 | 5 | 2 | 2 | 32 | 30 | 2 | 2 | .516 | 2331 | 554.1 | 494 | 46 | 203 | 6 | 31 | 458 | 18 | 1 | 236 | 212 | 3.43 | 1.25 |
表彰
- 月間MVP:1回 (2010年4月)
- JA全農Go・Go賞:1回 (最多奪三振賞:2010年5月)
記録
- 投手記録
- 初登板:2007年9月13日、対東京ヤクルトスワローズ23回戦(明治神宮野球場)、8回裏に3番手で救援登板、2/3回無失点
- 初奪三振:2008年4月26日、対阪神タイガース5回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に金本知憲から空振り三振
- 初ホールド:2008年7月13日、対横浜ベイスターズ11回戦(東京ドーム)、6回表1死に2番手で救援登板、1/3回無失点
- 初先発・初勝利:2008年9月17日、対横浜ベイスターズ22回戦(横浜スタジアム)、6回2安打2失点
- 初完投勝利:2008年9月24日、対広島東洋カープ23回戦(広島市民球場)、9回6安打2失点
- 初完封勝利:2009年7月14日、対東京ヤクルトスワローズ9回戦(福島県営あづま球場)
- 初セーブ:2011年7月17日、対東京ヤクルトスワローズ14回戦(東京ドーム)、9回表に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- 打撃記録
- 初安打:2009年4月29日、対広島東洋カープ5回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、4回表に齊藤悠葵から左前安打
- 初打点:2010年5月15日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(東京ドーム)、2回裏に成瀬善久から左前適時打
- 初本塁打:2011年5月3日、対阪神タイガース4回戦(東京ドーム)、3回裏に能見篤史から右越ソロ
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:1回 (2010年)
背番号
- 93 (2005年 - 2008年)
- 17 (2009年 - 2014年)
- 00 (2015年)
脚注
- ^ “初先発勝利“格安”東野のおかげでG7連勝”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2008年9月18日) 2013年4月26日閲覧。
- ^ “連投!完投!東野でG32年ぶり12連勝”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2008年9月25日) 2013年4月26日閲覧。
- ^ http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20080925-412376.html
- ^ 原巨人執念継投実らず逆転負け nikkansports.com 2009年7月31日
- ^ 巨人・東野「東野通り」が地元に出来る!? / イザ!
- ^ “失投悔やむ東野 悔しい今季初先発”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年3月28日) 2013年4月28日閲覧。
- ^ “東野 初の無四球完封!単独トップ6勝目”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年5月6日) 2013年5月1日閲覧。
- ^ “東野 6回無安打で交代も…レオ狩り8連勝”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年5月30日) 2013年5月1日閲覧。
- ^ “リーグトップも…東野、反省しきりの10勝目”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年6月29日) 2013年4月28日閲覧。
- ^ “東野「正直意識した」大記録は逃すも大役果たした”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年4月13日) 2013年5月1日閲覧。
- ^ ドラフト一位以外での開幕投手は、1987年の西本以来。
- ^ 阪神クリーンアップ3連発 伝説の1985年以来msn産経ニュース 2011.5.3
- ^ “新守護神・東野で“Gエンド”自力V消滅…”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年7月14日) 2013年4月19日閲覧。
- ^ “東野が初セーブで弟分・小野の勝利をアシスト”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年7月18日) 2013年4月19日閲覧。
- ^ 背信東野1回降板!原監督「心技体、ともに準備不足Sponichi Annex
- ^ 東野 リベンジならず「ラストチャンスというつもりで投げた」Sponichi Annex
- ^ 阿部、5打点2ランより東野に愛のムチ「今日の勝ちで納得するなら野球をやめろ
- ^ “DeNA東野峻が激白 巨人とオリ時代に「胃に2つ穴が…」”. 日刊ゲンダイ. (2015年2月7日) 2015年4月28日閲覧。
- ^ “東野 今季初登板は5回2失点「全体的には良く投げられた」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年6月9日) 2013年4月19日閲覧。
- ^ “巨人・東野、オリックス・香月ら2対2のトレード発表”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年11月6日) 2013年4月19日閲覧。
- ^ 東野の前に開幕投手経験者でトレードされたのは1987年の西本聖である。つまり、西本以来の開幕投手経験者のトレードだった。ここでは外国人投手のバルビーノ・ガルベス、セス・グライシンガーの2人のように解雇されたケースは除く。
- ^ “東野 トレード前に追突事故…オリックス幹部「初めて聞いた」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年11月9日) 2015年4月27日閲覧。
- ^ “東野 西本コーチからシュート伝授 “元巨人組”が合体”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年2月4日) 2015年5月1日閲覧。
- ^ “東野 移籍後初勝利「2桁勝利と森脇監督を胴上げする」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年4月10日) 2013年4月19日閲覧。
- ^ “オリ東野が長州力の事務所と契約”. 東スポWeb (東京スポーツ新聞社). (2013年3月22日) 2015年4月27日閲覧。
- ^ “新人王の八木、東野が戦力外 オリックスが発表”. 47news (共同通信). (2014年10月28日) 2014年10月29日閲覧。
- ^ “東野トライアウト145キロ複数球団が興味”. 日刊スポーツ nikkansports.com (日刊スポーツ). (2014年11月9日) 2015年4月29日閲覧。
- ^ “選手獲得のお知らせ”. 横浜DeNAベイスターズ. (2014年11月15日) 2014年11月15日閲覧。
- ^ 【DeNA】東野、2回完全もキヨシ一蹴!「野性味もっと」:野球:スポーツ報知
- ^ DeNA東野、開幕1軍メンバーに残れず「まだまだこれから」SANSPO.COM
- ^ DeNA須田6失点・・・林、東野と2軍へデイリースポーツonline
- ^ a b c DeNA東野峻が引退、打撃投手に 元巨人開幕投手日刊スポーツ 2015年10月7日
- ^ DeNA岡島、多村、東野に戦力外も現役続行希望日刊スポーツ 2015年10月4日
- ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、128頁頁。ISBN 978-4-905411-04-8。
- ^ 日刊スポーツ出版社 『2007プロ野球選手カラー名鑑』
- ^ 「ズームイン!!サタデー」内『プロ野球熱ケツ情報』での初出演時など、入団直後のスポーツコーナーで何度か触れられている。
- ^ 初先発勝利の巨人・東野投手に「未成年喫煙」騒動、ファンから罵声。ナリナリドットコム 2008/09/18
- ^ “DeNA 東野 峻「ドキドキだったトライアウトまでの10日間」”. 週刊ベースボールONLINE (週刊ベースボール2014年12月29日号) 2015年4月29日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 東野峻 - NPB.jp 日本野球機構