朝日 (戦艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
朝日
艦歴
計画 1897年度計画
建造所 ジョン・ブラウン社クライド・バンク
起工 1897年8月18日
進水 1899年3月13日
竣工 1900年7月31日
喪失 1942年5月25日戦没
除籍 1942年6月15日
要目 (戦艦時)
排水量 常備:15,200トン
全長 129.62m (425ft 3in)
全幅 22.92m (75ft 2in1/2)
吃水 8.31m (27ft 3in)
機関 ベルビール25基
3気筒3段膨張レシプロ2基
2軸、15,000馬力
速力 18.0ノット
航続距離 不明
燃料 石炭1,549トン
乗員 836名
兵装 40口径30.5cm連装砲2基
40口径15.2cm単装砲14基
40口径7.6cm単装砲20基
47mm単装砲12基
45cm水上魚雷発射管4門
装甲 HS(ハーベイ・ニッケル)鋼
舷側:最大9インチ(229mm)
甲板:最大4インチ(102mm)

朝日(あさひ)は日本海軍戦艦敷島型戦艦の2番艦である。日露戦争第一次世界大戦では主力艦として参加し、日中戦争太平洋戦争では工作艦として参加、40年以上に渡り活躍した。

艦名は本居宣長の和歌の

敷島のやまと心を人問はば朝日ににほふ山ざくら花

の歌からと思われる。当時「大和」は既に艦名として使われていたため「敷島」に続いて朝日が艦名に選ばれたと推測される[1]

目次

[編集] 艦歴

[編集] 戦艦として

1897年(明治30年)度の「第一、二期海軍拡張計画」により「第二号甲鉄戦艦」として英国クライド・バンクのジョン・ブラウン社で建造された。公試の帰りに座礁する事故があり、竣工が予定より約3カ月遅れたという[2]1900年(明治33年)7月31日に竣工し、引き渡し当日にイギリスを出発、同年10月23日に横須賀に到着した。日本海軍としては4隻目の近代的戦艦となった。

1904年(明治37年)からの日露戦争では第一艦隊第一戦隊として旅順口攻撃旅順港閉塞作戦黄海海戦日本海海戦に参加した。

第一次世界大戦では1918年(大正7年)に第三艦隊第五戦隊の旗艦としてウラジオストック方面の警備に従事した。1921年(大正10年)には海防艦へ類別が変更されている。

[編集] 練習特務艦として

練習特務艦「朝日」舷側に取り付けられているのが潜水艦救難用のブラケット

1923年(大正12年)にワシントン軍縮条約により練習艦として保有が許されたので兵装、装甲を撤去し練習特務艦となった。このころに第70潜(呂31)、第43潜(呂25)と潜水艦事故が続けて起こった為、1925年(大正14年)に潜水艦救難設備を設置した。これは舷側にブラケットを設置し、これを支点として片舷に沈没潜水艦を位置させ、反対舷に廃潜水艦を置いてワイヤで結び、つるべ式に比較的少ない力で沈没潜水艦を浮上させようという原理だった。朝日はにあって潜水艦事故に備えていたが後に工作艦に改造される時にこの設備は撤去、使用する機会は起こらなかった。

また、1928年(昭和3年)には試製呉式一号射出機を仮装備、日本海軍初の射出実験を行った。

[編集] 工作艦として

1931年(昭和6年)頃に簡単な工作設備を設置した。1937年(昭和12年)には日華事変の勃発により中国での損傷艦が増加、また無条約時代に入っていたので呉海軍工廠で特急工事により工作艦に改造され8月15日に工事完了、8月16日には類別を工作艦に変更し中国へ進出、主に上海方面で修理任務に従事した。やがて本艦工作部は陸上に移り第一海軍工作部と改称したため本艦は日本へ戻り、1940年(昭和15年)11月15日からは連合艦隊付属となった。

工作艦「朝日」1938年、上海

[編集] 要目

工作艦時の要目は以下の通り。

  • 基準排水量:11,141トン
  • 垂線間長:122.10m
  • 最大幅:22.94m
  • 吃水:6.93m
  • 機関:ロ号艦本式ボイラー石炭専焼4基、3気筒3段レシプロ2基、2軸、15,000馬力
  • 速力:12ノット
  • 燃料搭載量:石炭1,722トン
  • 計画乗員数:286名
  • 兵装:7.6cm単装高角砲2門

[編集] 喪失

太平洋戦争開戦により第2艦隊に配属されカムラン湾に進出、1942年(昭和17年)2月にシンガポールが陥落すると翌月には同地に進出、工作艦「明石」と共に損傷修理に活躍した。同年5月22日[3]に自身の修理と北方方面への移動の為にシンガポールを出発、日本へ向かった。しかし旧式低速(福井静夫によると当時の速力は8ノット程度[4])の大型艦であったため敵潜水艦の格好の目標となってしまい、5月25日の深夜にカムラン湾南東で米潜「サーモン」の雷撃を受け左舷に2発が命中、翌26日午前1時過ぎに転覆沈没した。この時乗員の多くは救助されたが戦死者十数名を出した。

[編集] 行動年表

[編集] 歴代艦長

回航委員長
艦長
  • 三須宗太郎 大佐:1900年1月12日 - 1901年7月3日
  • 橋元正明 大佐:1901年7月3日 - 1902年5月24日
  • 小倉鋲一郎 大佐:1902年5月24日 - 1903年11月21日
  • 山田彦八 大佐:1903年11月21日 - 1904年6月6日
  • 滝川具和 大佐:1906年5月10日 - 1906年11月22日
  • 伏見宮博恭王 大佐:1910年12月1日 - 1912年3月1日
  • 浅野正恭 大佐:1913年12月1日 - 1914年12月1日
  • 増田高頼 大佐:1916年12月1日 - 1917年12月1日
  • 大角岑生 大佐:1917年12月1日 - 1918年12月1日
  • (兼)島内桓太 大佐:1918年12月4日 - 1919年3月27日
  • 太田質平 大佐:1924年10月20日 - 1925年7月15日

[編集] 脚注

  1. ^ 聯合艦隊軍艦銘銘伝p341。
  2. ^ 『日本戦艦物語II』p66。
  3. ^ 『日本戦艦物語II』では5月23日になっているが、それ以外の文献では5月22日。
  4. ^ 『日本戦艦物語II』p115。

[編集] 参考文献

  • 泉江三『軍艦メカニズム図鑑-日本の戦艦 上』グランプリ出版、2001年。 ISBN 4-87687-221-X
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年。 ISBN 4-7698-0463-6
  • 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』第3刷、原書房、1981年。 ISBN 4-562-00302-2
  • 福井静夫『福井静夫著作集第1巻 日本戦艦物語I』光人社、1992年。 ISBN 4-7698-0607-8
  • 福井静夫『福井静夫著作集第2巻 日本戦艦物語II』光人社、1992年。 ISBN 4-7698-0608-6
  • 福井静夫『福井静夫著作集第10巻 日本補助艦艇物語』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0658-2


個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語