超大和型戦艦

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超大和型戦艦(ちょうやまとがたせんかん)は大日本帝国海軍大和型戦艦の次に計画した戦艦である。計画のみであり、起工されなかった。

本計画と同時期に計画された改大和型戦艦(かいやまとがたせんかん)についても艦も記載する。なお、本稿のデータなどは推定値であり、書籍等によって差がある。

改大和型戦艦[編集]

アメリカ合衆国が建造を開始した戦艦群に対抗するため、1942年(昭和17年)にマル5計画によって計画された戦艦3隻の内の一隻、第七九七号艦であり、第四次補充計画で建造される第110号艦(信濃として完成)及び111号艦(建造中止)の改良型である。大和型戦艦の装甲が「対46cm砲防御」として厚すぎると判断された結果、大和型の舷側410mm、甲板200mm(最大)に対しそれぞれ400mm、190mmと薄くなる一方、艦底の防御壁は大和型の二重から三重へと強化されている。

改大和型は110号艦を基本設計とし、武装の強化もおこなっている。それまで4基であった副砲のうち舷側の2基を撤去、もしくは全てを撤去のうえ高角砲に換装。舷側の対空火器を40口径12.7cm高角砲から65口径10cm高角砲に強化した。また、主砲も46cm砲ではあるが長砲身である50口径にするという案もあったという。

データ[編集]

  • 基準排水量:64,000トン
  • 全長:263.0メートル
  • 全幅:38.9メートル
  • 速度 27ノット
  • 航続距離:16ノットで7,200カイリ
  • 武装
    • 45口径(または50口径)46cm砲:3連装3基
    • 60口径15.5cm砲:3連装2基
    • 65口径10cm高角砲:連装10基
    • 25mm機銃:3連装多数
    • 水上偵察機:7機

超大和型戦艦[編集]

改大和型戦艦と同じ第五次補充計画によって計画された戦艦3隻の内の2隻、第七九八号艦及び第七九九号艦である。アメリカが46cm砲を搭載した新型戦艦を建造するという懸念と日本軍自身の対抗心(アイオワ級戦艦モンタナ級戦艦でも実現しなかったものの、47口径18インチ(45.7cm)砲を搭載する計画はあった。砲自体も実際に試作され、完成されている)から、それをさらに打ち破るために更なる大口径砲の50cm砲を搭載することが計画された。艦型は計画時の時間の都合で、完全な新規設計ではなく、前型の大和型戦艦の強化発展型であると伝えられている。

最も大型の案では、基準排水量85,000トン(満載排水量10万トン以上)、50cm砲3連装3基又は連装4基、速力30ノットというものであった[1]。しかし、ドックや補給施設・港湾設備などの問題から縮小され、50cm砲連装3基、速力その他は大和型に合わせるように変更され、採用された。当時建造が開始された110号・111号艦と共に建造するため、大分県大神(現在の日出町付近)に工廠を新設、そこに新ドックを建造し、第七九八号艦は呉工廠での111号艦の完成が終わった後で、第七九九号艦は大分県の新ドックでの建造がされることとなっていたという。

なお、超大和型戦艦の主砲はよく50cm砲と記述されるため、本稿でもそう表記している。しかし長門型戦艦以降の日本海軍では、基本的に対応する欧米の戦艦主砲の口径(インチ単位)をメートル法に換算しcm単位で四捨五入した主砲口径を選んでおり、実際に16インチ級(40.6cm級)艦砲として41cm砲、18インチ級(45.7cm級)艦砲として46cm砲を開発していた。したがって20インチ級(50.8cm級)艦砲は51cmとなる。砲自体の開発は順調に進んでおり、1942年(昭和17年)には尾栓を取り付ける寸前まで進んでいたという。ただし、2トン近い砲弾を揚弾するための揚弾装置に目処が立っていなかったとされている。

超大和型は設計自体が終わっていないため、合計4隻建造する計画だったという説、51cm砲搭載である都合上、排水量は大和型よりも2万トン以上大きくなるという説、対空能力と防御力を重視して副砲を搭載せず、高角砲を増設する予定だったとする説などもある。高角砲自体も長10cm砲より危害半径に優れた五式12.7cm高角砲(八九式より長砲身)が搭載された可能性もある。

また、伊藤正徳によると、艦名は「紀伊」、「尾張」(八八艦隊の計画艦の名を引き継ぐという意味かも知れない)が予定されていたという。(後世の仮想戦記にはこの名前で頻出する場合が多い)

データ[編集]

  • 基準排水量:64,000トン(採用案。試案時は85000トンと構想された)
  • 全長:263.0メートル(採用案。計画時は320メートル級という案が存在した)
  • 全幅:38.9メートル
  • 速度 27ノット(採用案。試案時は30ノット案もあった)
  • 航続距離:16ノットで7,200カイリ
  • 武装
    • 45口径51cm砲:連装3基
    • 60口径15.5cm砲:3連装2基
    • 65口径10cm高角砲:連装10~12基
    • 25mm機銃:3連装多数
    • 水上偵察機:7機

その後[編集]

開戦時の航空機による戦果のため111号の建造は中止、110号はドックから出せる段階までの建造となった。その後戦艦そのものの必要性が薄れ始め、ミッドウェー海戦により軍艦建造計画は大幅な見直しがされたため、新戦艦3隻の建造は中止されることとなった。その後の改マル5計画で110号は空母に改造され信濃として就航した。

なお、計画通りに進めば改大和型の竣工は1946年(昭和21年)頃、超大和型は1947年(昭和22年)半ばになったといわれる。また試作された51センチ砲はアメリカに接収されアメリカ本土に送られているが、その後の消息は不明(アメリカ艦船に船積みされている写真が残されている)。

脚注[編集]

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  1. ^ この件は異説もあり、65,000t級50cm砲6門装備案は85,000t級50cm砲8門装備艦建造実施に必要なインフラが整うまでの急場凌ぎだったとする説もある。この場合、就役済みの大和、武蔵の主砲も50cm連装砲に換装することで、1艦あたりの門数不足を補う構想だったという(サンケイ出版『第二次世界大戦ブックス86 戦艦大和』等による)。

関連項目[編集]