薩摩 (戦艦)

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戦艦 薩摩
艦歴
発注 1904年
起工 1905年5月15日
進水 1906年11月15日
就役 1910年3月25日
退役 1923年9月20日除籍
その後 1924年9月7日に標的艦として沈没
性能諸元
排水量 基準:19,372 t、満載:19,700 t
全長 137.2m
全幅 25.4 m
吃水 8.38 m
機関 宮原式石炭専焼缶20基
3段膨張式レシプロ2基2軸
17,300馬力
最大速 18.25ノット
兵員 887名
兵装 30.5cm砲連装2門
25.4cm砲12門
12.0cm砲12門
8.0cm砲8門
45cm魚雷発射管5門
装甲 水線9inch
甲板2inch
主砲塔8inch
副砲郭6inch

薩摩(さつま)は、日本海軍戦艦日本が初めて自国で建造した戦艦である。日露戦争中の明治37年度の臨時軍事費で建造された。準同型艦に安芸がある。

概要[編集]

薩摩は常備排水量19,372トンで建造当時世界最大の戦艦であった。だが1906年イギリスドレッドノート弩級艦)が竣工したため、竣工前に旧式艦となってしまった。

しかしながら東洋有色人種国家が独自設計の戦艦を建造する事自体が、西欧列強にとっては驚異的であり、薩摩が無事進水できるかどうかで、当時の日本在住の外国人の間で賭けが行われていたとも言われる。

主砲は前後に30.5cm45口径連装砲各1基と両舷に25.4cm45口径連装砲各3基を搭載し、副砲として12cm40口径単装砲12基を搭載していた。弩級戦艦に勝らないまでもかなり肉薄する砲力を持っていたが、実際には初の国産戦艦である本艦の主砲には問題があり、発射速度が低く、実際には敷島型にも劣る砲力しか無かった。だがその後逐次改良・整備が進められ、晩年に至って弩級戦艦にも匹敵する砲戦能力に達したとも言われる。

艦歴[編集]

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 上泉徳弥 大佐:1909年1月15日 - 12月1日 *兼横須賀海軍工廠艤装員
  • 荘司義基 大佐:1909年12月1日 - 1910年3月1日 *兼横須賀海軍工廠艤装員(1909年12月8日 - 1910年3月1日)
  • 江口麟六 大佐:1910年3月1日 - 1911年1月31日 *兼横須賀海軍工廠艤装員( - 1910年4月1日)
  • 上村経吉 大佐:1911年1月31日 - 11月20日
  • 山口九十郎 大佐:1911年11月20日 - 1913年5月24日
  • 上村経吉 大佐:1913年5月24日 - 12月1日
  • 吉島重太郎 大佐:1913年12月1日 - 1915年10月1日
  • 布目満造 大佐:1915年10月1日 - 12月13日
  • 堀輝房 大佐:1915年12月13日 - 1916年12月1日
  • 飯田久恒 大佐:1916年12月1日 - 1917年3月19日
  • 竹内重利 大佐:1917年3月19日 - 12月1日
  • 島内桓太 大佐:1917年12月1日 - 1918年4月9日
  • 飯田延太郎 大佐:1918年4月9日 - 6月1日
  • 大内田盛繁 大佐:1918年7月5日 - 1919年11月20日
  • 森本義寛 大佐:1919年11月20日[2] - 1920年11月20日
  • 中川寛 大佐:1920年11月20日 -
  • 三上良忠 大佐:1921年11月26日 - 1922年1月26日
  • 横地錠二 大佐:1922年1月26日 - 11月10日
  • 田村丕顕大佐: 1922年11月10日 - ※1923年6月1日まで「三笠」艦長兼任[3]

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第7016号、明治39年11月16日。
  2. ^ 『官報』第2190号、大正8年11月21日。
  3. ^ 『官報』第3251号、大正12年6月2日。

参考文献[編集]

  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 官報

関連項目[編集]