モンタナ級戦艦

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モンタナ級戦艦
A model depicting what the Monatana class would have looked like had they been completed
艦級概観
艦種 戦艦
艦名 州名。一番艦はモンタナ州に因む
前級 アイオワ級戦艦
次級 なし
同型艦 モンタナ (BB-67)
オハイオ (BB-68)
メイン (BB-69)
ニューハンプシャー (BB-70)
ルイジアナ (BB-71)
性能諸元 (1942年6月)[1][2]
排水量 基準:63,221トン
満載:70,965トン
長さ 全長:925 ft(281.940 m)
水線長:890.0 ft(271.272 m)
全幅:120.8 ft(36.779 m)
水線幅:121.2 ft(36.932 m)
喫水 最大:36 ft-10.563 in(11.244 m)
速度 28ノット(52 km/h)
乗員 2,355名、旗艦2978名
機関 蒸気タービン 4軸
172,000 hp(128 MW)
兵装 Mk.7 16インチ50口径砲 12門
(3連装砲塔として搭載)
Mk.16 5インチ54口径砲 20門
(連装砲塔として搭載)
40 mm 機関砲 32門
(4連装砲塔として搭載)
20 mm 機関砲 20門
艦載機 カタパルト 2基
水上機 3機
装甲 舷側:409mm (傾斜19度)+STS25.4mm(傾斜19度)
舷側水線下:機関部183mm~砲塔直下216mm(傾斜10度)
バルクヘッド:457mm
主砲塔前面:457.2mm+114.3mm
主砲側面254mm+19mm
主砲後面304.8mm+19mm
主砲塔天蓋:232.48mm+19mm
主砲バーベット:541mm
司令塔:457mm
甲板:主甲板STS19mm+STS38.1mm
装甲甲板147.32mm~155mm+STS32mm
第三甲板15.87mm
断片防御甲板STS15.87mm
[要出典]

モンタナ級戦艦(モンタナきゅうせんかん、Montana Class Battleship)はアメリカ海軍戦艦の艦級である。完成すれば日本海軍大和型戦艦に匹敵する排水量の超弩級戦艦であった[注 1]1940年に5隻の建造が承認され、9月に発注された[注 2]。 その存在は、太平洋戦争開戦以前に日本でも報道されている[注 3]

本級は、当時のアメリカ海軍が保有していた艦艇の中では最大級の軍艦であり、造船所によっては拡張や[6]乾ドックの新造が必要になった[注 4]。だが起工しないうちに1941年12月の太平洋戦争開戦を迎え、その後は戦局の推移、艦船運用思想の変化から1943年に全艦建造が取りやめとなった。アメリカ合衆国において設計された最後の戦艦の艦級である。

概要[編集]

大戦前の計画推移[編集]

1934年第二次ロンドン海軍軍縮会議の予備交渉があった際、日本海軍が過去に八八艦隊紀伊型戦艦十三号型巡洋戦艦で18インチ砲搭載を検討したことから、それ以上の巨大戦艦を建造することも不可能ではないという論調があった[8]1936年1月、第二次ロンドン海軍軍縮会議から日本が脱退した。5月には、日本海軍が条約制限を上回る21インチ砲(53センチ)を搭載した55,000トン級戦艦建造の噂が流れた[注 5]

日本の動向に同条約を批准した英米仏の三国は対応を協議し、1938年3月末にエスカレータ条項を発効した。この結果、軍縮会議で定められていた戦艦の主砲口径と基準排水量の上限はそれぞれ14インチから16インチ、35,000トンから45,000トンへと拡大された。これに伴い、英米仏の戦艦保有制限枠も拡大されることになった[10]。アメリカ海軍は18インチ砲搭載型戦艦を検討していたが[11]、艦型が50,000トン以上になることや命中率の観点から断念するに至った[12]

一方の日本は40,000トン級で30ノット程度を発揮する16インチ砲戦艦[13]、もしくは18インチ砲戦艦[14]を4隻以上建造していると見なされるようになった[注 6]。 アメリカ合衆国では日本新型戦艦が20インチ砲搭載の風説があったものの、連合国海軍関係者は35,000トン級戦艦と見做していた[注 7]。しかし日独伊三国同盟を締結している関係上、ドイツ海軍ビスマルク級戦艦と技術的共通点があるとの見解もあった[16]。アメリカの新型戦艦は、日本海軍新型戦艦に対抗できる性能を持つ必要があった[10]

当時のアメリカ海軍では「互いの偵察艦隊(空母機動部隊)の決戦で制空権を奪取したのち、味方制空権下で戦艦同士の砲撃戦を行うもの」という戦術が考えられていた。この際、日本の偵察部隊に金剛型戦艦や、12インチ砲装備の超大型巡洋艦(B65型超甲型巡洋艦[15]が配属されて空母部隊と遊撃作戦を実施したと仮定した際、日米の空母部隊が接触時、アメリカの重巡以下で構成された偵察部隊が砲戦で敗北することが懸念された[17]。 その為、空母決戦の構想が進むにつれ、空母部隊に随伴する巡洋戦艦(超甲巡)を大きく上回る砲撃力及び防御力を持った高速戦艦が必要不可欠と考えられるようになった。また、同時に主力戦艦同士の砲撃戦となった場合でも、日本戦艦を速力で上回る高速戦艦を保有すれば優位に戦闘が進められるという判断もあった[10]

こうした観点から、新型戦艦の計画は排水量をエスカレータ条項で認められた上限である45,000トン級とし、二つの案で検討されることになった[10]。一つはサウスダコタ級戦艦と同じ27ノットに抑える代わり、18インチ砲9門又は16インチ砲12門を備え攻防力を強化したスローバトルシップ「低速戦艦(Slow Battleships)」案。もう一つは特殊打撃部隊(Special Strike Force、空母機動部隊の原型)を引率して味方艦隊を襲撃する可能性がある敵艦隊を捜索・攻撃し、金剛型の撃破と日本の戦列の圧倒するため、サウスダコタ級と同等の攻防力を持った33ノットのファースト・バトルシップ「高速戦艦 (Fast Battleships) 」案である[10][18][19]。この二つの案は「低速戦艦」案が後のモンタナ級、「高速戦艦」案が後のアイオワ級として発展していった[20]

この低速戦艦案と高速戦艦案の検討はエスカレータ条項の内容確定以前の1938年1月から開始された[10]。4月には、関係者から5万トン級主力艦建造という情報が出た[注 8]。低速戦艦案は「BB-65」案として、全20種の案が提出され検討された。当初搭載が考えられた16インチ56口径砲や18インチ45口径砲等の新型砲は、砲身の寿命が短いこと、45,000トン級で搭載すれば十分な防御を施せないこと、日本の新戦艦が18インチ砲を搭載していないとアメリカ海軍情報部が判断したことから見送られることとなった。そのため、20種の案はアイオワ級と同じ16インチ50口径砲を搭載することとなっていた[20]

大戦後の計画中止[編集]

1939年9月に始まった第二次世界大戦を受け、アメリカ合衆国でも新型戦艦に対する期待が高まり[22]1940年1月9日にはスターク作戦部長が「18インチ砲搭載の52,000トン戦艦を建造」と表明した[23]。だがそれではおさまらず、20インチ砲搭載の80,000トン級戦艦まで議論されるに至った[注 9]。 このような情勢下、アメリカ海軍は「二大洋海軍 Two Ocean Navy」建艦計画を成立させ、7隻の戦艦の建造予算を承認する。この内の5隻はBB-67からBB-71として承認され、筆頭艦に命名された“モンタナ”の名を取って「モンタナ級戦艦」と総称された。1番艦から5番艦までの建造予算は1940年7月19日に承認された。9月9日、各艦はアメリカ国内の造船所に発注された[4]。また本級の建造にあわせて、造船所の増強もおこなう予定であった[6]。モンタナ級が5隻が完成し、同時に承認されたアイオワ級2隻の追加建造も合わせれば、アメリカ海軍は17隻の新型戦艦を保有することになる[15]エセックス級航空母艦や巡洋艦の増勢と合わせるとアメリカ海軍の戦力は圧倒的となり、他国に対しての大きな利点となると考えられていた[25]。また、日本海軍の新型戦艦(大和型)に対抗しえる艦となるはずであった。

しかしながら、この時点でも「BB-67」となったモンタナ級戦艦の案は固まっていなかった為に建造開始の承認は無く、建造中であったアイオワ級戦艦の建造が優先された[26]1941年3月には最終案「BB-67-4」が海軍上層部に承認を受けたものの、12月に太平洋戦争が始まり、アメリカが第二次世界大戦に参戦すると、戦局は航空母艦揚陸艦艇輸送船潜水艦及び対潜水艦用の各種護衛艦艇を緊急に必要とするようになった。モンタナ級の起工は低優先度事項とされ、1941年中には起工されなかった。1942年に入って戦訓を取り入れた改設計も行われるものの、同年4月にはルーズベルト大統領からモンタナ級の建造計画の中止命令が下された。その後、海軍からは「アイオワ級2隻の追加建造を取り止めてモンタナ級を建造すべきだ」という声も上がったが決定は覆らず、1943年7月21日には1隻も起工されないまま建造計画はキャンセルされることとなった[27]

1番艦であるモンタナの艦名は、1921年ダニエルズ・プランで計画されたサウスダコタ級戦艦の3番艦に命名される予定であったが、翌年のワシントン海軍軍縮条約で同級の建造は中止されたためキャンセルされたものを改めて採用したものである。本級もキャンセルされたことで、モンタナ州アメリカ合衆国の48州(当時)の中で主力艦に命名がなされなかった唯一の州となった。

なお戦時中の日本でもモンタナ級について報道されており、大和型戦艦については「新造戦艦」としか報じられていなかった日本国民には大きな脅威と受け止められていた事が当時、出版された書籍の記述から確認出来る[28]

性能諸元[編集]

モンタナ級 完成予想模型

1942年6月の設計基準でモンタナ級の排水量は基準63,221英トン、満載70,965英トンであり、就役した場合フォレスタル級航空母艦が就役するまでアメリカ海軍最大の艦となるはずであった。主砲は50口径40.64cm(16インチ)3連装砲塔を4基12門、両用砲は新型の54口径12.7cm(5インチ)連装砲を10基20門とされた。各部の装甲は自らが搭載する砲に充分対抗できる装甲を持たなかったノースカロライナ級サウスダコタ級アイオワ級と比べて増強され、対応防御はMk.6 16インチ45口径砲(AP Mark 8、砲口初速701m/s、重量1,225kg)では18,000-31,000yd(16.5-28.3km)、Mk.5 16インチ45口径砲(AP Mark 5、砲口初速768m/s、重量1,016kg)では16,500-34,500yd(15.1-31.5km)であった[29]。そして水中防御として艦底は3重底とした。機関部の配置は船体が大型化したためにノースカロライナ級からアイオワ級までのシフト配置を改め、コロラド級などと類似する機械室の両舷に罐室を並べる方式が採用された。8基のボイラーと4基のタービンが、個別の空間に収納された[30]。この配置は後のミッドウェイ級航空母艦へと受け継がれた[30]。水面下の艦尾の形状は以前の戦艦と同様にツインスケグであった[31]。機関出力は4軸合計172,000馬力で重量増加や艦形の都合からも最高速力はアイオワ級よりも5ノット低下したが、サウスダコタ級よりは0.5ノット上がった28ノットを確保した。上部構造物はアイオワ級を基としたものとなり、3番艦のメインに艦隊旗艦設備、他の4艦には戦隊旗艦設備が設けられる予定であった[32] 。

本級の全幅はパナマックスの33mを超える約37mで、パナマ運河の通航はできなかったが、本級建造の認可に合わせてパナマ運河に新閘門が建設される予定であった。新閘門完成後はモンタナ級の通行が可能になり太平洋大西洋双方で運用が可能となるはずであったが、運河の拡張は戦後キャンセルされ、その後2016年6月26日に実現した。

設計案[編集]

Heavyは2700lb(1,225kg)の砲弾である。
Mk.4 16インチ56口径砲、AP Mark 3、砲口初速914m/s、重量954.5kg。[33]
設計案のImmunity Zoneは対16インチ50口径砲だが、舷側防御は対16インチ45口径砲とみられる。

1939年7月[34]
設計案 基準排水量 主砲 副砲 長さ 馬力 速度 舷側 甲板 Immunity Zone
BB65A 45,435t 12門-16in/50 20門-5in/38 243.84m 32.91m 130,000 27 307mm 121mm 16in/45 16.5-27.4km
BB65B 45,658t 12門-6in/47 - - -
BB65C 43,800t 12門-16in/50
(4-4-4)
- - - -
BB65C-1 43,580t 11門-16in/50
(4-3-4)
20門-5in/38 - - - - -
BB65C-2 46,168t 12門-16in/50
(4-4-4)
- - - - 16in/56 舷側19.2km
16in/45(Heavy) 甲板24.6km
BB65C-3 45,191t 11門-16in/50
(4-3-4)
- - - -
BB65C-4 45,272t - - 379mm 122mm 16in/50(Heavy) 17.4-25.4km
16in/56 舷側20.1km
16in/45(Heavy) 甲板23.7km
BB65C-5 44,793t 10門-16in/50
(4-2-4)
- - 363mm 140mm 16in/50(Heavy) 18.3-27.4km
BB65C-6 44,840t 10門-16in/50
(3-3-4)
- -
BB65D 44,021t 12門-16in/50
(4-4-4)
12門-6in/47 - - 307mm 121mm 16in/45
BB65E 44,793t - - - 335mm 16in/45(Heavy) 16.5-24.2km
BB65F 41,627t 9門-16in/50 20門-5in/38 - - 307mm 16in/45 16.5-27.4km
BB65G 44,654t - - 391mm 157mm 16in/50(Heavy) 16.5-27.4km
BB65H 43,466t - - -
BB65I 44,432t - - 140mm
BB65J 44,380t - - 363mm
1939年8月-9月[35]
設計案 基準排水量 主砲 副砲 長さ 馬力 速度 舷側 甲板 Immunity Zone
BB65-A 46,668t 12門-16in 20門-5in 243.84m 32.91m 130,000 27.5 307mm 121mm 16in/45 16.5-27.4km
BB65-B 46,896t 12門-6in/47 - - -
BB65-C 45,000t 12門-16in
(3x4)
20門-5in - - -
BB65-D 45,308t 12門-16in/50
(4-4-4)
12門-6in - - 307mm 121mm 16in/45 16.5-27.4km
BB65-E 44,793t 20門-5in/38 - - - - 16in/45(Heavy) 舷側16.5km
1940年1月-2月[36]
設計案 基準排水量 主砲 副砲 長さ 馬力 速度 舷側 甲板 Immunity Zone
16in/50(Heavy)
BB65-1 51,388t 12門-16in/50 20門-5in/38 256.03m 34.44m 130,000 27.5 389mm 140mm 16.5-27.4km
BB65-2 53,312t 20門-5in/54 262.12m
BB65-3 51,500t 20門-5in/38 256.03m 34.74m - - 361mm 18.3-27.4km
BB65-4 53,500t 20門-5in/54 265.17m - -
BB65-5A 56,600t 274.32m - - 389mm 157mm 16.5-29.2km
BB65-6 62,000t 304.8m 35.05m - 31
BB-Y1 63,500t 318,000 33 361mm 140mm 18.3-27.4km
BB-Y2 58,000t 212,000 31.75
BB-Y3 61,500t 318,000 34+
BB65-7 63,000t - 35.96m - -
BB65-8B 66,000t 20門-5in/54 320.04m 35.35m 320,000 33 389mm 157mm 16.5-29.2km
BB65-8C 66,700t - 335.28m - -
1940年3月-7月[37]
設計案 基準排水量 主砲 副砲 長さ 馬力 速度 舷側 甲板 Immunity Zone
16in/50(Heavy)
BB65-1 50,500t 9門-16in/50 20門-5in/38 274.32m 34.13m 212,000 31 400mm 140mm 16.5-27.4km
BB65-2 53,500t 298.7m 34.44m 33
BB65-3 52,500t 12門-16in/50 262.12m 35.35m 130,000 28 371mm
BB65-4 54,500t 20門-5in/54 265.17m 150,000 18.3-27.4km
BB65-5 57,500t 283.46m 35.96m 400mm 157mm 16.5-29.2km
BB65-6 64,500t 320.04m 36.88m 212,000 31
BB65-7 65,000t 304.8m 320,000 33 371mm 140mm 18.3-27.4km
BB65-8 67,000t 320.04m 38.1m 400mm 157mm 16.5-29.2km
BB65-9 53,500t 9門-16in/50 20門-5in/38 268.22m 35.35m 130,000 28 411mm 140mm 16.5-27.4km
BB65-10 48,000t 252.98m 34.13m
BB65-11 52,000t 20門-5in/54 262.12m 150,000 28+ - - 16.5-29.2km
BB65-11A 52,000t 249.93m 212,000 - -
BB65-12 54,000t 289.56m 32 - - 16.5-27.4km
BB65-13 51,500t 262.12m 32.91m 28+ 386mm - 16.5-29.2km
1940年11月-1941年1月[30][38]
設計案 基準排水量 主砲 副砲 長さ 馬力 速度 舷側 甲板 Immunity Zone
16in(Heavy)
BB67-1 61,000t 12門-16in/50 20門-5in/54 271.27m 35.96m 212,000 28 400mm 157mm 17-30.2km
BB67-2 61,333t 28+ 409mm 147mm 16.5-29.2km
BB67-3 59,700t 172,000 28
BB67-4 60,500t - -

同型艦[編集]

モンタナ(BB-67)の完成予想図

*全て起工前に建造中止

  • モンタナ (USS Montana, BB-67)
建造所: フィラデルフィア海軍工廠
  • オハイオ (USS Ohio, BB-68)
建造所:フィラデルフィア海軍工廠
  • メイン (USS Maine, BB-69)
建造所:ニューヨーク海軍工廠[7]
  • ニューハンプシャー (USS New Hampshire, BB-70)
建造所:ニューヨーク海軍工廠[7]
  • ルイジアナ (USS Louisiana, BB-71)
建造所:ノーフォーク海軍工廠

登場作品[編集]

波動大戦』(大幅改定版:『超時空イージス戦隊』)
「モンタナ」が登場。日本海軍の真珠湾攻撃が失敗したため、大艦巨砲主義が残ってドックに余裕があった事から建造される。しかし、度重なる設計変更で排水量の増大とギアード・タービンの容量不足で23ノットと低速であった。
大幅改定版では、日米の空母が全滅して戦艦が残った世界から「モンタナ」が時空転移してしまう。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ◎米・建艦計畫の内容[3](中略)◇六萬噸戰艦七隻建造 軍擴に狂奔するアメリカの建造數は廿二日下院海軍委員會の席上ヴインソン委員長は目下船臺にあつて建造中の軍艦七百十六隻と發表し世界を驚かしたが、右のうち渡洋作戰の根幹となる主力艦のトン數は興味の中心を爲してゐるが例のスターク擴張案による七隻の主力艦トン數は五二,〇〇〇乃至六〇,〇〇〇トン(一八吋砲)といふ世界最大を目指してゐるといふ。主力艦七隻の艦名發表によるとイリノイ、オハイオ、ルイヂアナ、ケンタツキー、ニュー・ハンプシャ、メイン、モンタナである。/三萬五千トン主力艦通例型の外目下建造中の大艦四万五千噸級のうち一番アイオは一九四四年に完成の豫定で、これ以上の巨艦が加はれば米海軍の威力は絶大なものとならう。
  2. ^ 米、巨艦建造に狂奔 六萬五千噸級五隻既に發注 十八吋の超巨砲搭載か[4](ワシントン廿日同盟)米議會筋の洩す處に依れば、兩洋艦隊建設計畫の爲、海軍が建造の注文を發した六万乃至六万五千噸級の超弩級主力艦は五隻であると謂はれる、この點に關し、共和黨議員で下院海軍委員のメルビン、マッス氏は、廿日次の通り言明し、右の説を裏書きした 情報に依ると、此等超弩級主力艦五隻は、未だ龍骨の据付を行つてゐないが、一九四〇年九月九日に建造契約をしたモンタナ號、オハイオ號、メーン號、ニューハンプシャー號及びルイジアナ號であらうと觀られてる、この五隻は或は問題の十八吋砲を搭載するかも知れないが、恐らく十六吋砲を採用する事にならう、一方海軍當局では、斯る超弩級主力艦が建造される事を否定も肯定もしてゐない(記事おわり)
  3. ^ 現在建造中及び建造を豫定される米海軍超弩級の戰艦[5](中略)スターク案に依る戰艦(自56,000トン 至60,000トン)7隻 メイ オハイオ ニュー・ハンプシャー ケンタッキー モンタナ ルイヂアナ イリノイス
  4. ^ 五萬八千噸級主力艦 米海軍で二隻を建造計畫[7]【ニューヨーク二十日同盟】二十日附ニューヨーク・タイムス紙は米海軍は五萬八千噸級の主力艦メーン號、ニューハンプシャー號の二隻の建造を來年十二月から開始する豫定だと報じてる、しかしてこの弩級艦はニューヨーク海軍工廠で建造される事になりこれが爲め二大造船乾ドツクの新造に必要な豫算が計上されるものと見られる(記事おわり)
  5. ^ (ロンドン四日特電)[9]夕刊スター紙の確聞する所なりとし報道した日本海軍は五萬五千噸の巨艦を建造し、備砲として口經二十一インチの巨砲を据ゑ附くる計畫をなしつゝありとの報は當地に一大衝動をあたへたがスター紙は英米佛三國の軍縮協約を吹き飛はすのみならず、是明らかに日本が此海軍協約に加盟せざるを示すものであると言つてゐる。(記事おわり)
  6. ^ 日米兩國の建艦競爭 英海軍年鑑が表示 兩國とも航空母艦と戰艦に専念[15]『ロンドン五月十四日』世界海軍の権威として知られる英國の海軍年鑑「ヂエーンス フアイテング シツプ』一九四年版は日米兩國が有史以來の大建艦競爭をしてゐる事を記載し左の如く其の概異を述べてゐる 日本は四万噸以上の戰闘艦五隻を建造或は建造に着手して居り其中 日進 高松の二隻は完成或は完成に近く紀伊 尾張 土佐の三艦も最早遠からず完成するに近いと思惟される 此中の最後の起工はニヶ年半前であつたと云つてゐる之に反し 米國は戰闘艦十七隻と巡洋戰艦六隻の建艦を計畫した外航空母艦十一隻巡洋艦四十隻と驅逐艦多數の建造に着手してゐる 此中ワシントン級三万五千噸六隻は既に進水し二隻は就役してゐる 四万五千噸のアイオワ級六隻とモンタナ級五隻は夫々建造中或は起工中であり巡洋艦アラスカ級六隻は一九四一年十二月に起工したと云つてゐる 尚ほ日本海軍は一万二千噸或は一万五千噸級の大型巡洋艦で秩父級のもの三隻を新たに建造してゐるが之等の 装備は十二吋砲六門であると云つてゐる 因に日本の建艦計畫は或る程度疑門で日進は航空母艦に變更される事も考慮され高松は珍袖戰艦として現はれるのではないかと想像されてゐる 但し二艦とも四萬噸と記されてはゐる 日本巡洋艦 驅逐艦は前版より幾分増加の程度である 日本潜水艦數は現在八十隻以上と云つてゐる(記事おわり)
  7. ^ (華府十七日發)(中略)[16] 過去二三年間一つの風説がある。其れは日本が四隻乃至八隻の途方もない大きな戰闘艦を建造中若しくは建造を了したと云ふ噂である、之等戰闘艦は二十吋砲を装備する四萬五千噸級の巨艦であるとの事だ、然し米國及び英國の海軍人らの考へる所によるに噂や秘密主義は兎も角として日本は矢張り米國の同様三萬五千噸の戰闘艦を建造してるに過ぎまいと見てる、然し海軍専門家の所見によると獨逸が日本と合作してるのに鑑み日本の主力艦も彼のビスマーク號と同様、或る部分機密上似せて造られてるに違ひないと見てる、ビスマーク號は周知の如く英國海軍に撃沈された獨逸の巨艦で其の奮戰ぶりは海軍戰史上の驚異である(以下略)
  8. ^ 建艦競爭 火の手擴大 大艦建造の本家本元 米國で五萬噸級を計畫 ヤンキーは世界一がお好き[21](ワシントン十三日同盟)米國政府は過般末英米佛三國間に決定を見たエスカレーター條項援用の方針に基き四萬五千噸級大主力艦三隻の建造を計畫中と傳へられたが、上院海軍委員ホーマーボン氏は十三日更に五萬噸級大主力艦二隻の建造計畫を仄めかして左の如く言明した リー提督は五萬噸級主力艦二隻の建造計畫を進めてゐると聞き及んでゐる、同計畫は豫て計畫中の四萬五千噸級主力艦を建造する案を變更して新に立案されるに至つたものと思ふ(記事おわり)
  9. ^ (スターク案予算略)[24] ▲大きいと云へば先に六萬五千噸主力艦の建造計畫が公にされたが六萬五千噸では尚ほ不足だとあつて今度は八萬噸建造案が論議されて居る ▲こうした超巨大艦になると主砲も現在最大の十六吋砲など問題にならぬ ▲いくら小さくても二十吋砲を搭載することになるのだが八萬噸、二十吋砲といふ巨艦は想像するだけでもゾツとするようだ ▲しかし米國海軍のことだから結構コンな大艦巨砲を造り上げるかも知れん(豆潜水艇問題)

出典[編集]

  1. ^ #Garzke、p164、p172-175
  2. ^ #Friedman、p450
  3. ^ 国際月報、S16.01-02号 1941, pp. 55–56.
  4. ^ a b Hoji Shinbun Digital Collection、Burajiru Jihō, 1941.03.22、p.1、2023年8月4日閲覧
  5. ^ 写真週報154号 1941, p. 3.
  6. ^ a b 国際月報、S16.01-02号 1941, p. 57◇米五萬噸巨艦建造
  7. ^ a b c Hoji Shinbun Digital Collection、Nippu Jiji, 1941.06.21、p.1、2023年8月4日閲覧
  8. ^ 本會議の前衛戰 豫備會談の重要性/軍縮餘談 ヤンキー海軍穴探し”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nippaku Shinbun, 1934.11.28. pp. 09. 2023年9月18日閲覧。
  9. ^ 日本五萬五千噸の巨艦建造の噂 廿一吋口經の巨砲据附か”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nichibei Shinbun, 1936.05.06. pp. 01. 2023年9月18日閲覧。
  10. ^ a b c d e f #歴群米戦7章 148頁
  11. ^ 十八吋砲を搭載の四萬噸大戰艦 米國政府具體的に考慮中 大艦巨砲時代再來せん”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nippu Jiji, 1938.01.21. pp. 12. 2023年9月18日閲覧。
  12. ^ 十八吋砲を斷念 ロンドン”. Hoji Shinbun Digital Collection. Kashū Mainichi Shinbun, 1938.06.14. pp. 02. 2023年9月18日閲覧。
  13. ^ Shin Sekai Asahi Shinbun 1941.03.22 新世界朝日新聞/nws_19410322(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21022458200  p.2〔 日本の四万噸大戰艦「日進」「高松」と命名 ジエーン海軍年鑑で發表す
  14. ^ 雜報 備砲問題重大視さる 日本海軍は不参加 奇怪な噂十八吋備砲説【華府發】”. Hoji Shinbun Digital Collection. Yuta Nippō, 1937.03.29. pp. 03. 2023年9月18日閲覧。
  15. ^ a b c Hoji Shinbun Digital Collection、Yuta Nippō, 1942.05.15、p.3、2023年8月4日閲覧
  16. ^ a b 日本の海軍力の實際は秘密だ 日本は航空母艦が優勢”. Hoji Shinbun Digital Collection. Taihoku Nippō, 1941.12.18. pp. 02. 2023年9月18日閲覧。
  17. ^ Nichibei Shinbun_19380305、日米新聞/jan_19380305(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J20011821000  p.2〔 英米佛對日策に袖珍戰艦建造か 倫敦三國會商に獨式採用か(華府三日合同特電)
  18. ^ Iowa Class Battleships: Their Design, Weapons and Equipment、p. 41
  19. ^ US Fast Battleships 1938-91: The Iowa class、p. 5-6
  20. ^ a b #歴群世戦7章 148頁
  21. ^ Hoji Shinbun Digital Collection、Nippaku Shinbun, 1938.04.15、2023年8月4日閲覧
  22. ^ 運河問題を度外視し六萬五千噸の大超弩級出現か 米海軍の新計畫注目さる”. Hoji Shinbun Digital Collection. Singapōru Nippō, 1939.12.23. pp. 02. 2023年9月18日閲覧。
  23. ^ 五萬二千噸以上の巨艦は造らぬ 主力艦には十八吋砲 スターク作戰部長説明”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nippu Jiji, 1940.01.10 Edition 02. pp. 03. 2023年9月18日閲覧。
  24. ^ 餘沫”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nippu Jiji, 1940.01.18. pp. 02. 2023年9月18日閲覧。
  25. ^ 国際月報、S16.01-02号 1941, pp. 56–57◇援英より兩洋制覇の米海軍、◇西半球の英領土遠からず米の手へ
  26. ^ #歴群世戦7章 150頁
  27. ^ #歴群世戦7章 150-151頁
  28. ^ 「これからアメリカが造ろうとしている主力艦は陸奥のような三万二千七百トン位しかないちっぽけな軍艦ではない。モンタナ級の五隻などは一隻で五万八千トンもあるという大戦艦だ」高山書院『日本は勝つ』福永恭助著 昭和18年5月発行より引用
  29. ^ #Garzke、p173
  30. ^ a b c #Friedman、p339
  31. ^ #Garzke、p171
  32. ^ 「世界の艦船」1990年1月増刊号 『アメリカ戦艦史』p152-153
  33. ^ http://www.navweaps.com/Weapons/WNUS_18-48_mk1.php
  34. ^ #Friedman、p330-331
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  36. ^ #Friedman、p334-335
  37. ^ #Friedman、p336-337
  38. ^ #Garzke、p163-164

参考文献[編集]

  • コーエー 『未完成艦名鑑』
  • 『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.41「世界の戦艦」』学研、2003年5月。ISBN 405603056-1 
    • 大塚好古『【第7章】アメリカ最後の戦艦計画 戦艦「モンタナ」級その実力と評価』。 
  • 『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.58「アメリカの戦艦」』学研、2007年5月。ISBN 978-4-05-604692-2 
    • 大塚好古『【第7章】米海軍最後の戦艦「アイオワ」級』。 
  • 海人社 「世界の艦船」1990年1月増刊号 『アメリカ戦艦史』
  • Friedman, Norman (1986). U.S. Battleships: An Illustrated Design History. Annapolis: Naval Institute Press. ISBN 0-87021-715-1. OCLC 12214729 
  • Garzke, William H.; Robert O. Dulin, Jr. (1995). Battleships: United States Battleships 1935–1992 (Rev. and updated ed.). Annapolis: Naval Institute Press. ISBN 978-0-87021-099-0. OCLC 29387525 
  • Robert F. Sumrall (1989). Iowa Class Battleships: Their Design, Weapons and Equipment. Naval Institute Press. ISBN 978-0870212987 
  • アジア歴史資料センター(公式)
    • 『写真週報 154号 最近の米國海軍/写真週報(国立公文書館)』。Ref.A06031074900。 
    • 『国際月報 昭和16年1月、2月号/1941年(情_157)(外務省外交史料館) pp.51-57 米・海軍動向』。Ref.B10070251900。 
    • 『軍令部秘報 昭和15.10.15/I米国』。Ref.C14121189800。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]