ビスマルク (戦艦)
座標: 北緯48度10分 西経16度12分 / 北緯48.167度 西経16.200度
| 艦歴 | |
|---|---|
| 発注 | 1935年11月16日 |
| 起工 | 1936年7月1日 |
| 進水 | 1939年2月14日 |
| 就役 | 1940年8月24日 |
| その後 | 1941年5月27日 英戦艦と交戦喪失 |
| 性能諸元 | |
| 排水量 | 基準:41,700トン 常備:45,950トン 満載:50,300トン |
| 全長 | 241.55m (水線長)251.0m |
| 全幅 | 36.0m |
| 喫水 | 9.3m(基準時)、10.2m(満載時) |
| 機関 | ワーグナー式高圧重油専焼缶12基 ブラウン・ボベリ式ギヤード・タービン3基3軸 138,000hp(標準蒸気圧時出力) 150,170 hp (110MW) (高加圧時出力)= 30.1ノット (54km/h) (公試時) |
| 最大速 | 30.8ノット(公試時) |
| 航続距離 | 16ノット/9,280海里 19ノット/8,525海里 24ノット/6,640海里 28ノット/4,500海里 |
| 乗員 | 2,092名 (士官103名, 兵員1,962名 , 27名の高官)(1941年時) |
| 兵装 | 38.1cm(47口径)連装砲4基 15cm(55口径)連装砲6基 10.5cm(65口径)連装高角砲8基 37mm(83口径)連装機関砲8基 20mm(65口径)4連装機関砲2基 20mm(65口径)単装機関砲12基 (1941年5月時) |
| 装甲 | 舷側:320mm(水線面上部)、145mm(第一甲板舷側部)、170mm(水線面下部) 甲板:110mm 主砲塔: 360mm(前盾)、220mm(側盾)、320mm(後盾)、130mm(天蓋) 副砲塔: 100mm(前盾)、80mm(側盾)、40mm(後盾)、40mm(天蓋) バーベット部:340mm 司令塔:350mm(前盾)、350mm(側盾)、200mm(後盾)、220mm(天蓋) |
| 艦載機 | アラドAr196A-3水上偵察機4機 カタパルト一基 |
ビスマルク (Bismarck)は、第二次世界大戦中のドイツ海軍最大・最新鋭の戦艦。ビスマルク級戦艦のネームシップ。艦名はドイツ統一の立役者の鉄血宰相オットー・フォン・ビスマルクにちなんで付けられた。
目次 |
艦歴とその特徴 [編集]
設計は1934年に始まり、排水量はイギリスとの合意であった35,000トンを越え42,600トンまで増加した。1936年7月1日にハンブルクのブローム・ウント・フォス社で起工、1939年2月14日に進水、1940年8月に就役した。ドイツの科学力や知識の粋を集めた戦艦だったため、沈没によってドイツ海軍は多大な損害を受けた。
排水量だけを見れば当時世界最大級の戦艦であったが、対空射撃管制や装甲板の防御配置、乗員の練度などに問題も多かった。特に同級は、設計の段階で考慮されるべき遠距離砲戦に対応する防御を、甲板構造物の重量面、その他の問題から、結果として軽視せざるを得なかった。これは、第一次世界大戦当時のバイエルン級戦艦の設計を引き継いでいた為に起こったとされる。搭載砲の大口径化は、遠距離砲戦の頻度を上げる事となったが、同時に砲弾が垂直方向から着弾する可能性を押し上げ、そのため、結果としてビスマルクは近距離砲撃に比べ、遠距離砲撃には脆弱な面を持つ事となった。
バイエルン級戦艦の設計を流用した理由として考えられるのは、海軍の増強が急務であった事と、ドイツ戦艦の活動海域は主として視界の悪いバルト海における対英戦を想定していたこと、近距離砲戦への警戒から可能な限りの喫水線側の防御力を考慮したことである。しかし、大口径化が進んだ背景において、甲板構造物、特に砲塔上面の防御力の重要性は増していた。この近距離砲戦での防御を重視する思想は、既に第一次大戦のユトランド沖海戦で、イギリス海軍の脆弱さの根源として否定されている。つまり、ドイツ海軍は当の第一次大戦におけるユトランド沖海戦の戦訓を次世代の戦艦設計に生かすことが出来なかった。しかし、連合国、特にイギリスの同級に対する警戒心は強く、抑止力としては有効であった。
ライン演習 [編集]
詳細は「ライン演習作戦」を参照
イギリスの補給線を断つライン演習作戦は、当初ビスマルク、重巡洋艦プリンツ・オイゲンに加え、巡洋戦艦シャルンホルストとグナイゼナウが参加し、戦艦1 巡洋戦艦2 重巡洋艦1の強力な水上艦隊をもって行う予定であった。
しかし、作戦前にシャルンホルストは機関故障の修理でブレストに留まり、またグナイゼナウはブレストでイギリス軍雷撃機の攻撃を受け推進軸が損傷、修理のため参加が不可能となってしまった(この修理には6ヶ月を要したという) 。そのため、ビスマルク、プリンツ・オイゲンの2隻で作戦を行うこととなった。
ビスマルク戦隊は、1941年5月18日に出港、同隊の出港はイギリスの諜報員によって報告されていた。スカゲラク海峡でスウェーデン海軍の航空巡洋艦ゴトランドに発見される。ゴトランドは数時間の間ビスマルクを追尾し、スカゲラク海峡を通過し見失ったところでイギリス軍に報告した。
ビスマルクはその後マールスタイン島に向け回頭。コールスフィヨルドを越えグリムスタッド狭湾で、プリンツ・オイゲンはカルヴァネス湾で錨泊した。この夜イギリス空軍の偵察機に発見されその位置を司令部に報告されてしまう。
21日に巡洋艦ノーフォークおよびサフォークによって発見される。イギリス軍司令部がビスマルク発見の報告を受けた時、トーヴィー大将率いる本国艦隊がスカパ・フローに停泊中で、この艦隊は巡洋戦艦フッド、戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、空母ヴィクトリアスを主力としていた。
デンマーク海峡海戦 [編集]
詳細は「デンマーク海峡海戦」を参照
1941年5月24日早朝、プリンツ・オイゲンと共にデンマーク海峡を進んでいたビスマルクに戦艦フッドとプリンス・オブ・ウェールズの部隊が南から接近した。
05:52 フッドが距離約23,000mの位置にプリンツ・オイゲンを捉え、射撃を開始。
05:55 軍艦同士の戦闘にあまり乗り気でない艦隊司令長官ギュンター・リュッチェンス中将がなかなか反撃命令を出さないため、しびれを切らしたビスマルク艦長エルンスト・リンデマン大佐が砲撃命令を行い、距離約20,300mで射撃を開始した。
06:01 ビスマルクが距離約17,000mで放った第5斉射が偶然フッドの非装甲部位に命中。弾薬庫が爆発し、艦は轟沈した。乗組員1415名中、生存者は僅か3名だった。
その後、プリンス・オブ・ウェールズは、司令塔が破壊され、艦長外1名を除く司令塔要員全員が死傷したほか、喫水線下にたて続けにビスマルクの主砲弾3発が命中して浸水したために戦闘海域を退避した。 このときまでに、ビスマルクはプリンス・オブ・ウェールズの主砲弾3発の命中を受け、2,000トンの海水が流入していた。
ビスマルク追撃戦 [編集]
フッド沈没の一報にイギリス海軍はビスマルクに対する復讐心を燃やし、動かせる大型艦のほぼすべてを注ぎ込んでの迎撃を計画、H部隊の巡洋戦艦レナウンと空母アーク・ロイヤルを呼び寄せる一方で、先に撤退したプリンス・オブ・ウェールズを重巡洋艦ノーフォーク、サフォークと組ませて触接を維持させた。
一方、ビスマルクは、僚艦プリンツ・オイゲンと別れ、別のルートでフランスに向かうこととなった。
5月24日22:00 本国艦隊所属の空母ヴィクトリアスから攻撃隊(ソードフィッシュ雷撃機9機)が発進。触接を続けていた巡洋艦ノーフォークの誘導及び機上捜索レーダーにより、2時間後にビスマルクを捉え、攻撃を開始。この攻撃でビスマルクに魚雷1本を命中させるも損害は軽微であった。
5月25日03:00頃 南下していたビスマルクは英艦隊が左舷に移動したときを狙って右舷に180度の大回頭、さらに素早く南東へ変針して敵捜索レーダーの探知圏を脱し、触接を振り切ることに成功した。しかし、リュッチェンス提督が先の海戦の戦闘詳報をドイツ海軍本部に発信したため、再び位置を捕捉された。
5月26日10:30 ビスマルクを捜索中のイギリス海軍の飛行艇が、フランス西方の海上でビスマルクを発見。このとき、英艦隊の主力部隊は「ビスマルク」の北方240km余りの地点にあったことからイギリス艦隊が追いつくことは不可能と判断したため、イギリス海軍は航空兵力による足止めを画策した。
空母アークロイヤル艦載機との戦い [編集]
5月26日14:40 空母アーク・ロイヤルから第1次攻撃隊(ソードフィッシュ雷撃機15機)が発進。しかし、ビスマルクに触接を続けていた味方の軽巡洋艦シェフィールドをビスマルクと誤認して攻撃してしまい、この攻撃は失敗に終わった。
19:00 空母アークロイヤルにおいて、第2次攻撃隊の発進準備が完了。
19:10 空母アークロイヤルからコード少佐を指揮官とする第2次攻撃隊(ソードフィッシュ雷撃機15機)が発進。
20:35 ビスマルクに触接を続けていた軽巡洋艦シェフィールドと第2次攻撃隊が合流。
20:53 第2次攻撃隊が軽巡洋艦シェフィールドの誘導により、ビスマルクを発見。厚い雲のためコード少佐は各小隊単位での攻撃を指示。航空機によるこの日最後の攻撃を開始する。約30分間にわたる戦闘の経過は次のとおり。
-
- ビール中尉機(機体番号:2P)が発射した魚雷がビスマルク左舷中央部に命中。左舷機関区に少量の浸水が発生する。機関区への浸水は防水処置と排水ポンプで阻止された。
- フォーセット大尉機(機体番号:2B)かその僚機であるパッティスン中尉機(機体番号:2A)のいずれかが発射したと思われる魚雷がビスマルク右舷後部に命中。魚雷命中の衝撃により、中央のスクリューが跳ね上がって船体に食い込んだ為、操舵装置が損傷し、舵が取舵12度で固定されてしまった。また、艦底に生じた破口から大量の浸水が始まり、推進機による操舵を行う関係から速度を7ノット以上出せなくなり、航行に致命的な支障を来たすこととなった。また双方の魚雷命中穴からの浸水はその後も次第に拡大した為に、後の英戦艦隊との砲撃までに、ビスマルクをやや左に傾斜した状態となった。
- なお、ビスマルクの対空砲火により、3機が攻撃を断念した。(攻撃を断念した1機であるスォントン中尉機(機体番号:4C)の被弾個所を帰還後に数えたところ175箇所に達した。)
- この攻撃におけるイギリス海軍機に被撃墜機はなかった。
21:30 風と折からの激浪に流されたビスマルクは、軽巡洋艦シェフィールドから14,000mの位置に接近したため砲撃を開始。損傷を受けた軽巡洋艦シェフィールドは、触接を離れる。
第4駆逐隊との戦い [編集]
22:00頃 イギリス海軍の指示により、船団護衛を離れたヴァイアン大佐が率いる第4駆逐隊(駆逐艦コサック、マオリ、シーク、ズールー、ピオルン)が軽巡洋艦シェフィールドの左舷側に現れる。
22:38 駆逐艦ピオルンがビスマルクを発見。第4駆逐隊による触接が始まる。
22:42 ビスマルクが約13,000mの位置に近づいた駆逐艦ピオルンに砲撃を開始。
23:10頃 ビスマルクの砲弾が駆逐艦ピオルンに至近弾となったため、駆逐艦ピオルンは煙幕を張って退避。その後、第4駆逐隊の他の3艦もビスマルクから砲撃を受けたため、退避。
5月27日00:30頃 組織的な攻撃が無理と判断したヴァイアン大佐は、第4駆逐隊の各艦単位でのビスマルクへの魚雷攻撃を命令。
01:21 駆逐艦ズールーが距離約4,500mの位置からビスマルクに魚雷攻撃を行うも外れる。
01:37 駆逐艦マオリが照明弾を発射した後にビスマルクに魚雷攻撃を行うも外れる。直後にビスマルクは船足を停める。
02:30 ビスマルクが5ノット程度の速度で移動を再開。第4駆逐隊は、イギリス海軍の指示により、照明弾による照射を開始。しかし、ビスマルクの正確な射撃により、03:00を最後に照明弾の発射を中止。
03:35 駆逐艦コサックがビスマルクから約4,000mの位置から魚雷を発射するも外れる。
04:00頃 第4駆逐隊の全艦が触接を一時失う。
05:50 駆逐艦マオリが再度ビスマルクを発見する。その後、同隊の駆逐艦シークもビスマルクを発見する。
06:00 駆逐艦ピオルンが燃料不足のため、ロンドンデリーへ向かう。
06:40 駆逐艦マオリがビスマルクから約4,200mの距離から魚雷攻撃を行うも外れる。
英国戦艦との砲撃戦 [編集]
低速での航行を余儀なくされたビスマルクは、5月27日朝、戦艦キング・ジョージ5世およびロドニー、重巡洋艦ノーフォークおよびドーセットシャーに補足された。午前8時47分、距離22kmで砲撃戦が始まった。午前9時頃、ビスマルクは前部に着弾したロドニーの1発の砲弾によって1番主砲と2番主砲が使用不能となった。またノーフォークから発射された1弾により前部艦橋の光学測距儀も破壊された。キング・ジョージ五世は装備されたばかりの探索用レーダーを射撃用に転用して砲撃を行い、9時頃にビスマルクの第3主砲搭に命中弾を与えた。砲弾は主砲搭を貫通しなかったが第3主砲搭は砲撃不能となった。キング・ジョージ5世は、その後この艦特有の砲塔内の故障に悩まされ、効果的な砲撃が困難となった。ビスマルクの残る4番砲塔も9時30分頃にロドニーからの砲弾によって砲塔バーベット部分が貫通されて火災が発生して沈黙した。4番砲塔の火薬庫には緊急的に注水が行われた。ビスマルクは戦闘能力を失い、接近した英国艦艇から至近距離で砲撃を浴びることとなった。ロドニーはビスマルクに接近して魚雷攻撃も行ったが命中しなかった。ロドニーは最終的に3kmの距離まで接近して主砲をマイナス仰角で射撃した。88分間の戦闘で、ビスマルクは約400発の砲弾を受けた。戦闘開始早々に機能を失われていた1番主砲塔と2番主砲塔にも砲弾が直撃して破壊された。艦の至る所で火災が発生し、ビスマルクは黒煙に包まれた。キング・ジョージ5世は故障した砲身を修理しつつ、レーダー側距を併用して射撃を継続したが、一時は全主砲が使用不能となり副砲のみで射撃を行った時期もあった。
午前10時ごろ、ビスマルク副艦長のエールス中佐がビスマルクの自沈を命じたとされる。右舷と中央の機関区ではキングストン弁が開かれ、復水機には爆薬が設置された。また艦内の全ポンプが排水操作から注水操作に切り替えられた。左舷の機関区は浸水が激しくキングストン弁の開放作業は実施されなかった。エールス副長はその後砲撃によって戦死した。午前10時15分頃からビスマルクの乗員が脱出を始めた。また英戦艦についても燃料が残り少なくなったので、攻撃中止の命令が下り戦場からの離脱を開始した。ビスマルクは大きく左に傾きながらまだ微速で動いていたので、海面には脱出したビスマルク乗員が点々と取り残されることになった。午前10時20分過ぎに英戦艦は射程外となったために、砲撃を中止した。
沈没 [編集]
午前10時20分頃より自沈用に設置された爆薬が艦底で起爆したとされる。同じ頃、ビスマルクへの魚雷攻撃を命じられたドーセットシャーから2度に分けて3本の魚雷が発射された(ノーフォークとロドネイは魚雷を撃ちつくしていた)。魚雷は右舷艦橋下と右舷機械室、左舷司令塔下に命中した。魚雷命中の衝撃でビスマルクの艦尾が切断して脱落するのが目撃された。ビスマルクは急速に沈下して左舷への傾斜を増し、艦首を持ち上げて午前10時40分に沈没した。なお沈没原因をドイツ側では自沈としているが、英国側は砲雷撃としている。ドーセットシャーおよび駆逐艦は漂流中の乗組員の救助に当たったが、Uボートの接近と思われる聴音(実際には当時その海域には存在しなかった)により途中で救助を断念した。結局2,206名の乗組員のうち救助されたのは115名であった。エルンスト・リンデマン艦長は甲板に残りビスマルクと運命を共にした。
英戦艦の被害 [編集]
キング・ジョージ5世は、攻撃中に主砲塔が故障した以外には被害は無かった。ロドニーは艦首近くの海面に着弾したビスマルクの副砲弾の炸裂によって、魚雷発射室に軽い浸水を生じたのみであった。
海底のビスマルク [編集]
ビスマルクの船体は1989年6月8日に発見された。発見者はタイタニック号の探査も行った海洋考古学者のロバート・バラードである。ビスマルクはフランスのブレスト西方650キロメートル、4,700メートルの海底に沈んでいる。
ビスマルクが沈没した海域は海底火山の斜面になっており、船体は海底に着低したあと海底を長い距離を滑落した。探査機は滑落した跡をたどっていき、最初に脱落した艦橋を、次いでビスマルクの船体を発見した。船体は正しい向きで海底に沈んでいるが、4つあった主砲砲塔は全て船体から脱落していた。艦橋も船体から脱落して、船体から離れた場所に沈んでいる。艦体の分析で魚雷のために変形したスクリューシャフトと、スクリューと干渉して動作不能になった舵が確認された。イギリス軍の砲弾はメインブリッジの装甲艦橋を貫通しているのを始め、上部甲板構造物を広く破壊していたが、意外にも船体舷側の垂直装甲を貫通している砲弾は数箇所に留まっているとされたが、2001年のより精密な調査では穴あきチーズのように無残にも破壊されていることが確認された。ロバート・バラードの探査では魚雷の命中箇所が艦尾のものを別にすると1箇所のみであったが、2001年の精密海底調査では異なる位置にも多数の魚雷の命中穴が認められた。ドイツ側が主張する自沈説を完全には否定できないが自沈したとは考えにくい。バラードはタイタニックの場合に起こった遺品などの盗難を考慮し沈没地点の正確な場所は発表していない。のちに映画監督ジェームズ・キャメロンがビスマルクの水中撮影をおこない、その映像をもとに番組を制作している。
艦長 [編集]
- エルンスト・リンデマン - 1940年8月20日 - 1941年5月27日(戦死)
同型艦 [編集]
- ティルピッツ Tirpitz
参考文献 [編集]
- C・S・フォレスター『決断 ビスマルク号最後の9日間』実松譲(訳)、フジ出版社、1970年
- ルードヴィック・ケネディ『戦艦ビスマルクの最期』内藤一郎(訳)、早川書房、1982年、ISBN 4-15-050082-7
- ロバート・D・バラード『戦艦ビスマルク発見』高橋健次(訳)、文藝春秋、1993年、ISBN 4-16-347700-4
- ブカルト・フォン・ミュレンハイム・レッヒベルク『巨大戦艦ビスマルク 独・英艦隊 最後の大海戦』佐和誠(訳)、早川書房、2002年、ISBN 4-15-050269-2
- エドウィン・グレイ『ヒトラーの戦艦 ドイツ戦艦7隻の栄光と悲劇』都島惟男(訳)、光人社、2002年、ISBN 4-7698-2341-X
関連作品 [編集]
映像作品 [編集]
- 映画「ビスマルク号を撃沈せよ!」(20世紀フォックス、1960年)
- ドキュメンタリー「大西洋に眠る戦艦ビスマルク」(ナショナルジオグラフィックチャンネル、2001年) - DVD版は、東芝デジタルフロンティアより販売。
- ドキュメンタリー「ナチス超戦艦ビスマルク撃沈の謎」(ナショナルジオグラフィックチャンネル、2011年)
- ドキュメンタリー「ジェームズ・キャメロン 海底の戦艦ビスマルク」(ディスカバリーチャンネル)
- ドキュメンタリー「ドッグファイト 〜華麗なる空中戦〜」シリーズ 第9回「ビスマルクを追え」(ヒストリーチャンネル)
ゲームソフト [編集]
- 月刊テープアスキー収録 シミュレーションゲーム「ビスマルク追撃戦」(アスキー、1983年12月) - PC-8801版とFM-7版が開発(もしくは移植)・雑誌アスキー1984年01月号掲載・販売された。解説HP(画像あり)
外部リンク [編集]
- KBismarck.com - The Battleship Bismarck
- Battleship Bismarck & Tirpitz - English
- Battleship Bismarck - English
- Lots of Photos and Drawings of the Bismarck wreck
- Maritimequest Bismarck photo gallery
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