比叡 (コルベット)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Hiei.jpg
艦歴
発注
起工 1875年9月24日
進水 1877年6月11日
就役 1878年2月25日
除籍 1911年4月1日
その後 売却後に解体
性能諸元
排水量 常備:2,250t
満載:3,178t
全長 70.4m
全幅 12.5m
吃水 5.3m
機関 形式不明石炭専焼円缶6基
+横置式2気筒2段膨張レシプロ1基1軸推進
最大出力 2,270hp
燃料 石炭 280t(常備)、340t(満載)
最大速力 13.0ノット
兵員 308名
装甲 舷側:137mm
水線部:114mm
兵装 クルップ式24.3口径17cm単装砲3基3門
クルップ式25.4口径15cm単装砲6基6門
7.6cm単装砲2基2門
3.7cm単装砲4基4門
ノルデンフェルト式25mm4連装機砲4基
ノルデンフェルト式11mm5連装機銃2基
35.6cm水上魚雷発射管1門

比叡(ひえい)は、日本海軍軍艦。船体が鉄骨木皮の金剛型コルベット艦の2番艦である。のちに三等海防艦。艦名は、滋賀県にある比叡山にちなんで名づけられた。

艦歴[編集]

イギリスペンブロークのミルフォード・ヘヴン造船会社で起工された。設計は後に造船総監となるエドワード・ジェームズ・リード英語版である。1878年、日本に回航され、5月22日に横浜到着。日清戦争日露戦争に従軍し、後に測量任務に就き、日本近海の水路測量を行った。1911年に除籍、翌年に売却され解体された。

年譜[編集]

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 伊東祐亨 中佐:1879年8月19日 - 1881年7月7日
  • 伊東祐亨 中佐:1881年12月27日 - 1882年7月7日
  • 有地品之允 大佐:1882年7月7日 - 12月23日
  • 笠間広盾 大佐:不詳 - 1883年11月25日死去
  • 伊東祐亨 大佐:1883年12月15日 - 1884年2月8日
  • 山崎景則 中佐:1884年2月8日 - 1886年5月28日
  • 松村正命 中佐:1886年5月28日 - 1886年7月14日
  • 隈崎守約 大佐:1886年7月14日 - 1887年6月11日[2]
  • 伊地知弘一 大佐:1887年6月11日[2] - 1887年9月7日
  • 吉島辰寧 大佐:1887年10月8日 - 1889年4月17日
  • 三浦功 大佐:1889年4月17日 - 1889年7月1日
  • 東郷平八郎 大佐:1889年7月1日 - 1889年7月2日
  • 松村正命 大佐:1889年7月2日 - 1890年2月28日
  • 田中綱常 大佐:1890年2月28日 - 1891年6月17日
  • 森又七郎 大佐:1891年6月17日 - 1892年6月29日
  • (心得)桜井規矩之左右 少佐:1894年6月8日 - 12月7日
  • 桜井規矩之左右 大佐:1894年12月7日 - 1895年9月28日
  • 外記康昌 大佐:1895年9月28日 - 1896年4月13日
  • 植村永孚 大佐:1896年11月17日 - 1897年12月1日
  • 石井猪太郎 大佐:1897年12月1日 - 1898年5月23日
  • 中山長明 大佐:1898年5月23日 - 1899年9月29日
  • 早崎源吾 大佐:1899年9月29日 - 11月20日
  • 丹治寛雄 大佐:1899年11月20日 - 1900年8月11日
  • 岩崎達人 大佐:1901年9月10日 - 1902年10月23日
  • 高木助一 中佐:1902年10月23日 - 1903年7月7日
  • 松村直臣 中佐:1903年7月7日 - 1904年1月12日
  • (兼)秀島成忠 中佐:1906年5月10日 - 8月30日
  • 川合昌吾 大佐:1906年8月30日 - 1907年5月2日
  • 土山哲三 大佐:1907年5月2日 - 11月15日
  • 羽喰政次郎 大佐:1907年11月15日 - 1908年9月25日
  • 羽喰政次郎 大佐:1908年11月5日 - 12月10日
  • 森義臣 大佐:1909年2月20日 - 11月1日
  • 志摩猛 中佐:1910年2月16日 - 10月26日

同型艦[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 海軍省水路部『軍艦比叡土耳古国航海報告』水路部、1892年6月。
  2. ^ a b 『官報』第1186号、明治20年6月14日。

参考文献[編集]

関連項目[編集]