春日丸
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| 春日丸 | |
|---|---|
| 艦種 | 外輪船 |
| 艦歴 | |
| 発注 | J. Samuel White&Cowes 社 ワイト島造船所 |
| 就役 | 1860年(「キャンスー」として) 1867年11月3日(薩摩藩が購入) 1868年1月(日本に到着) |
| 主な所属 | 明治政府軍(薩摩藩) |
| 除籍 | 1894年2月2日 |
| その後 | 1896年 雑役船 1902年 売却 |
| 性能諸元 | |
| 排水量 | 常備:1,015トン |
| 全長 | 74.0m |
| 全幅 | 9.0m |
| 機関 | 形式不明石炭専焼水管缶2基 +形式不明レシプロ機関1基1軸 外輪推進 300hp |
| 最大速度 | 17.0ノット |
| 乗員 | 134名 |
| 兵装 | 大砲6門 |
春日丸(かすがまる)は、幕末・明治初期の日本の軍艦で、木製外輪船。本艦は当初、イギリス船籍のキャンスー号(Kiangsu、中国の江蘇省の「江蘇」の事)という貨物船であったが、それを1867年11月3日に薩摩藩の赤塚源六が約16万両で購入し、春日丸と改名させて就役させた。
目次 |
[編集] 戊辰戦争での春日丸
[編集] 阿波沖海戦
1868年1月、春日丸は幕府海軍の軍艦「開陽丸」、「蟠龍丸」、「翔鶴丸」が封鎖する兵庫港に入港した。後に海軍提督になる東郷平八郎は、この時(1月3日)に三等砲術士官として春日丸に乗船している。
1月3日夜、春日丸は僚艦「翔凰丸」、「平運丸」と共に兵庫港を出港し、平運丸は明石海峡方面に、本艦と翔凰丸は紀淡海峡方面に向かったところ、1月4日早朝に春日丸・翔凰丸を開陽丸が発見、開陽丸と春日丸は1,200 - 1,500mの距離で砲撃戦を行った。これが日本史上初の近代的蒸気船同士の海戦である(阿波沖海戦)。
春日丸はこの海戦の後、鹿児島に帰港している。
[編集] 宮古湾海戦
1869年3月、春日丸は旧幕府軍討伐の遠征隊に参加する。旧幕府軍の残党は、北海道でジュール・ブリュネ等のフランス軍アドバイザーも合流して「蝦夷共和国」を樹立していた。
1869年3月25日、宮古湾の北に停泊している時に、遠征隊は幕府の軍艦「回天丸」の奇襲を受けた。回天丸は明治政府の新鋭装甲艦「甲鉄」を急襲し、接舷切込みを仕掛けたが、甲鉄のガトリング砲と春日丸の大砲により撃退された(宮古湾海戦)。30名の戦死傷者を出した。
この後、春日丸は箱館湾海戦等、1869年5月の旧幕府軍降伏までの海事に参加していた。
[編集] その後の春日丸
- 1870年4月 春日丸は薩摩船籍から明治新政府に移管され「春日(艦)」となる。
- 1872年 使節の花房義質を乗せて朝鮮に派遣される。「洋服を着た軍人と使節が乗る蒸気軍艦」であったため、折からの朝鮮の攘夷運動に拍車がかかった(詳しくは「江華島事件#経過」の項目参照)。
- 1875年 江華島事件にいたる外交交渉の段階で「雲揚」や「第二丁卯」などとともに釜山に派遣。
- 1877年 鹿児島に「清輝」と共に派遣。
- 1894年2月2日 除籍。対馬水雷団付属となる。
- 1896年 雑役船となる。
- 1902年 売却。
[編集] 艦長
- 船将
- 艦長