水雷砲艦

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水雷砲艦 (英語: Torpedo gunboat) とは、19世紀末期に列強各国で建造された軍艦の種別の1つである。この艦種は砲艦の艦形に魚雷を追加装備したものであり、外洋航洋性と快速を特徴とした。よく似た艦種に「水雷巡洋艦」がある。

欧州での状況[編集]

水雷砲艦は、1880年代から1890年代の間にイギリス海軍によるアラーム級ドライアド級といった多くの艦が建造され、他にも同様の艦がヨーロッパの国々や日本によって建造されるか、または購入されていた。基本的には水雷砲艦はごく小さな巡洋艦であって、自身より小型の敵水雷艇を襲う目的で複数の魚雷管と相応の単一の艦砲を備えていた。実際には水雷艇に追いつけるほど俊足ではなかったので、当初の目的は果たせなかった。当時、最速の水雷砲艦の1つが、1887年に就役したスペインの軍艦「デストラクター」であった。

1890年代末には水雷砲艦は、同様に小型でありながらより近代化されて性能が向上した「水雷艇駆逐艦」(Torpedo boat destroyer)に取って代わられた。この水雷艇駆逐艦はのちに現代の駆逐艦へと進化して行くことになる。

日本での状況[編集]

水雷砲艦は、日本では主に日清戦争前後の時期に使われた艦種である。

無線技術の発達していない当時、その高速を生かして艦隊の前衛として警戒・偵察・通報を行うことや、警備や連絡を任務とした。また艦隊決戦において、その高速と強力な砲・魚雷兵装で、敵主力艦を打ち破ることや敵水雷艇を排除することや、水雷戦隊の旗艦となり水雷艇の支援をすることも期待された、多様な任務に対応できる多目的艦である。駆逐艦軽巡洋艦が登場する前の時代でありながら、実質的にはそれらに相当する艦種である。

日本では千島龍田が該当する。日本への回航中に衝突事故で喪失した千島を除いて、龍田は後の1898年(明治31年)に通報艦に艦種類別が変更されている。よって日本では水雷砲艦と通報艦の区別は曖昧である。千島はフランスのロワール社製、龍田はイギリスのアームストロング社製である。千島と龍田の場合、800トン前後の小さな船体に5000馬力程の大出力のレシプロ蒸気機関を搭載し、当時としては高速の22ノット前後の速度を誇る。外国の文献ではこれらを防護巡洋艦として扱う場合もある。

八重山や、これ以後に建造された宮古千早最上などの通報艦も同様の水雷砲艦としての性格を持つ。これらの通報艦は無線技術の発達と共にその通報という役目を失い、日露戦争に参加後、1912年(大正元年)に通報艦という艦種類別が廃止された為、一等砲艦に艦種類別が変更されている。その後は第一次世界大戦に参加し、南シナ海南洋沿海州の警備や、通商保護や護衛や測量などの任務が与えられている。

出典[編集]

  • Roger Chesneau, Eugène Kolesnik: "Conway's All the World's Fighting Ships, 1860-1905", Conway Maritime Press, London, 1979, ISBN 0-85177-133-5.